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2015/07/08

夢野久作「赤泥社詠草」8(後半全歌)/「赤泥社詠草」了

 

     赤泥社詠草

雛つれて畠に遊ぶにはとりも春の姿となりにける哉

春の雲むかしの人の旅のごと松の並木のうへをわたるも

眼さむれば吾が家にあらぬ淋しさよまことにまことに松風の音

   (大正八(一九一九)年三月七日) 

 

春の夕陽沈み果つれば力なく心も共にうなだれてかへる

春の小川闇より闇へ流れゆくおのが心もおのが涙も

村に入り村を出づれば新らたなる物思ひ湧く春の道すがら

   (大正八(一九一九)年三月九日) 

 

     赤泥社詠艸

かいつぶりいつもひとりで浮いて居るおれもひとりで淋しいが好き

わが朝の博物館に櫻散る木乃伊(ミイラ)の夢の數千年して

木蓮の夕陽を今日の名殘りにて唐銅鋲(からかねびやう)の山門閉す

   (大正八(一九一九)年三月十八日) 

 

     赤泥社詠艸

春の夜の心もともに更けゆくやおほあめ地(つち)のわれひとりして

此儘(このまゝ)に死にはせぬかと思はれて又眼をひらきともし灯を見る

家をめぐる樹はことぐく芽を吹きぬ室の掃除をふと思ひ立つ

   (大正八(一九一九)年三月二十一日) 

 

夕燒けの燃え立つ雲の下にして長きわかれとなりにけるかな

春の陽はさみしく沈みはてにけり麥の下葉のそとゆらぎけり

春の陽の沈まんとすれど丘の上の松のひと本みじろぎもせず

   (大正八(一九一九)年四月二日) 

 

春の夜のハーモニカ吹く人やたれ月薄雲を流れやまずも

まひる日中しんかんとして耳の鳴る雛芥子(ひなげし)の花咲き並ぶ畠

海の深さ一丈はかりと思はれぬ春の夕陽の沈み入るとき

   (大正八(一九一九)年四月三日)

 

わかわかく弱き祕め事知れりとや笑みつゝ春の陽は沈みゆく

春の夕陽汽車は野を越え川を越え笛もきこえずなりにける哉

春の夕陽空(から)荷馬車を引く人らこゑ高らかに語らひてゆく

   (大正八(一九一九)年四月四日)

 

黑服の巡査がよぎる麥畑の彼方に夏は近づきにけり

靑葉かげ金色の眼の靑蛙ひそかに夏を迎へける哉

此(この)日頃野山に殘る色も無し世はひたすらに梅雨に入るかも

   (大正八(一九一九)年四月五日)

 

莞艸のあから樣なる花の色六月にして日のよぎりゆく

靑空が故郷と云ひし基督(キリスト)はわれより淋しき男なりけり

灯をうつす轍(わだち)の跡の水たまり五月雨頃はもの思はする

   (大正八(一九一九)年六月一日)

 

[やぶちゃん注:「莞艸」森下愛理沙氏のブログ「森下愛理沙のブログ」の韓国の工芸品 その1 莞草工芸で、『莞草で作られる小物入れや器「莞草(ワンチョ)」とは、イグサによく似た、日本名カンエンガヤツリ(カヤツリグサ科)という1年草で、韓国では「ワンゴル」とも呼ばれています。この莞草を編んで小物入れや器を作る「莞草工芸」は、韓国の代表的な伝統工芸のひとつです』。『ワンゴルは湿地帯に生息し、背丈は長いもので2メートルにも達します。日本では絶滅危惧種の類に指定されている非常に珍しい植物です。仁川(インチョン)広域市の江華島(カンファド)は、古くから良質の莞草が生息していることで知られ、今もなお最大の莞草生産地です。江華島の莞草は、柔らかくて強く、白色で艶があります。より白いものにするために、刈り取った莞草の皮を1枚むいて使う地方もありますが、江華島の良質な莞草は皮をむかずに使われるのが特徴。皮をむいたものに比べ、艶と丈夫さを兼ね備えているのです』。『ござからさまざまな容器にいたるまで、色や柄も多彩な莞草(ワンチョ)工芸は生活に必要な道具に活用されてきました』とあった(以下、解説が続き、非常に美しい箱細工や製作工程の写真もある。必見)。これは単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科カヤツリグサ属カンエンガヤツリ(灌園蚊帳吊)Cyperus exaltatus var. iwasakii で和名は江戸時代の本草学者岩崎灌園に因むものである。帰化植物であるが、本邦では限定的にしか植生せず、森下愛理沙氏のおっしゃるように、本のレッドデータ検索システムを見ると絶滅危惧類(VU:Vulnerable /危急)に指定されており、現在は久作のいた福岡には植生しない。但し、見ると、隣りの山口に分布が認められる(但し、ほかの情報を見ると、本来は本邦でも関東以北の分布である)から、久作の誤認とは言い切れない。カンエンガヤツリの花序は調べみるとなかなかに大形でレッドデータち」同種記載によれば、複生し、花穂の長さ二~四センチメートル小穂は長さ五~七ミリメートルで十~二十個の花をつけるとある。一応、グーグル画像検索カンエンガヤツリをリンクさせておく。「あから樣なる花の色」と言えなくもない。ただ、久作がもっと一般的な私たちも普通に見かけるカヤツリグサ属 Cyperus 類のどれそれを「莞艸」と表記した可能性はある(というか高い気はする)。ただ、花期は九から十月とあって歌の『六月』と合わないから、やはりこれはカヤツリグサ科の別種と考えた方が良いかもしれない。寧ろ私は久作がそいの「花の色」を敢えて「あから樣な」色とした理由に心惹かれる。実は全くの直観であるが、これには何かセクシャルな意味が隠れているいるような気もするのである。

 以上を以って「赤泥社詠草」は終っている。]

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