陰萎人の詩句Ⅱ 村山槐多
陰萎人の詩句Ⅱ
×
草花のしぼむ樣に、
つかれてしぼむだわが□□よ、
×
しぼみしぼみゆく□□のうれひを
もみけす、酒、女、
オペラの音樂、
赤い松の木、
靑い空、
ああ、
×
ねむの木がさはつたらねむつた、
女よ、薄いガランスの絹布よ
わが□□をねむらせて、
×
顫へてしぼむ□□
氣體となりゆく寶石の柱、
×
喉をいためるとて
たばこをよす男を輕蔑す、
血をはくからとて
酒をのまぬ男をわらう、
しかし、
×
日が眞紅のベラを出す
女もベラを出す、
カフエの夕日、
さびし、かなし、
×
風はさぶし
わが顏お能の面のごとし
風に怒れ、
風を叱れ、
×
淸きあの女
ふさはしや
陰萎のわたしに
×
女は猩々の樣にあかくなつて
ソーダをすする、
魔女の休息だ
さて彼はいまだ飮みつづけて居る、
強いつよいコニヤツク
×
淺草の酒、
十二社のさけ
して代々木の酒、
うまい、いづれもうまし
×
血が出る
肺から
こはれたふいごから、
心から、
――一月二十二日
[やぶちゃん注:「陰萎人の詩句Ⅰ」の続編(「Ⅰ」の注で述べたが、これは是非とも「まらなえびとのしく」と読みたい)であるが、こうした形式は槐多の詩篇では特異点である。「Ⅰ」「Ⅱ」としながらも恐らくは一度として二つ並列して置かれたことのない詩篇と思われる。なお、「全集」では編者山本太郎氏は四ヶ所すべての伏字を『魔羅』と推定しておられる。
「酒をのまぬ男をわらう」はママ。
「ベラ」初読――舌――の意と感じた。自信はない。「日本国語大辞典」を引いた。すると、盗賊仲間の隠語で小刀などの刃物、特に凶器にする刃物を指すとあった。槐多好みではある。他に、方言として耳たぶ(奈良宇陀郡)、舌(新潟県南魚沼郡・石川県能美(のみ)郡・長野県上田郡・高知県・宮崎県西薄き群諸塚)などと出ている。私は私自身の直感として、太陽のそれはともかくも、特に「女も」「出す」とすれば、私にはやはり「舌」しかしっくりこない。大方の御批判を俟つものである。
「十二社」前後の地名から考えて現在の東京都新宿区西新宿四丁目近辺の旧地名及び通称地名か? とすれば「じゅうにそう」と読む。旧花街である。
「一月二十二日」「全集」の大正八(一九一九)年(彼は明治二九(一八九六)年九月二十九日生まれであるから、満で二十二歳であった)の冒頭には、前年からの状況を記し、『冬になると彼は毎日ひどく早く起きた。友人をおこしてまわるのだ。太陽が八幡の森から出る美しさを槐多は友人に語った。青いドテラの上にブルーズをきて首にはいつもタオルをまいていた。そして友人の絵具箱からガランスを「一寸」といってはかり、パレットにしぼりだしてはぷいと写生にでかけてしま』い、『友人の画布だろうが絵具だろうが、おかまいなしにみな槐多は使つてしまう。猛烈な意欲で絵を描きはじめた。槐多は何かにせきたてられ急いでいた。彼だけが近づく死のあし音をきいていた』と記す(この年譜、年譜というより、筆者山本太郎の語りという方が相応しい、特異な面白いものである)。「ブルーズ」とは“blouse”。フランス語で画家が好んで着た仕事着としてのコートのことで、元は労働者や百姓の作業着である。ブラウスのこと。草野心平の「村山槐多」の同年の一月の年譜には『午前中は日本美術院の研究所でモデルを描き、午後は写生と自室での制作に没頭する。不規則な食生活、痛飲が続く』とある。]
« 畫具と世界―種々の感想 村山槐多 | トップページ | 恐らく未だ嘗て並んで掲げられたことがないであろう村山槐多の「陰萎人の詩句」二篇を並べてみた »