アリス物語 ルウヰス・カロル作 菊池寛・芥川龍之介共譯 (六) 豚と胡椒
六 豚と胡椒
一、二分の間(あひだ)、アリスは佇んで、その家(うち)を眺めながら、これから何をしようかと、思案して居ました。と、突然に什着(しきせ)を着た取次(とりつぎ)の下男が、森から走つて出てきました。(アリスは此の男が仕着を、着て居るものですから、取次の下男だと思つたのでした。それでなくて顏だけで判斷すると、魚(さかな)だと言つたことでせう。)この男は指關節(ゆびふし)で戸をトントンと叩きました。するとやつぱり仕着せを着た、もう一人の下男が戸を開けて出て來ました。丸顏で蛙のやうに大きな目をした男でした。そしてこの下男達は、二人とも頭一面に縮れ生えた髮に、髮粉(かみこ)を付けて居りました。その人達の樣子や何かすベてが、アリスには大變物珍しく、思はれてきましたので、もつといろいろ知り度(た)くて、アリスは森から少し匍(は)ひだして、耳をかたむけました。
[やぶちゃん注:「(アリスは……魚だと言つたことでせう。)」の丸括弧の閉じる方は底本では丸括弧でなく、鍵括弧になっている。誤植と断じて訂した。
「髮粉(かみこ)」髪をカラーリングするための粉。十八世紀のフランスで流行し始めたファッションで、主剤は小麦粉・白土・澱粉。それを白以外にも黒・紫・赤・青・灰色などに染めたものを振りかけて用いた。参考にした「ポーラ文化研究所」の「フランス貴族も髪のおしゃれにカラーリングしてたってホントですか?」によれば、『当時、上流階級の男女の髪型といえば外出時はかつら、もしくは地毛に入れ毛やつけ毛を使った盛髪がキホン。その上に香油やポマードを塗って、仕上げに髪粉を噴きつけて完成というもの。粉を噴きつけるなんて想像するだけでも大変ですが、専用ルームでマスクとケープを装着し、顔や服が粉だらけにならないようガードして噴きつけていたんだとか。けっして優雅じゃないこの方法、それでもこの時代、髪粉が大量に使われたワケは、髪の汚れを目立たなくする、髪の量を多くみせるという、うれしいプラス効果もあったから。今は手軽にヘアカラーが楽しめる時代、ほんとうに便利でよかったですよね』とある。また、別の記載によれば、カツラが基本であった当時のファッションに於いて、カツラの髪の色と自分の髪の色が違いを誤魔化すためにパウダーが使われ始めたともあり、更に、同時期には「おしろい」が男女ともに流行って、そうした人工的な白い肌に合った色としてブロンドやプラチナ・ブロンドの髪がもて囃されたからともあった。加うるに、当時は洗髪習慣がなかったことから、頭髪の臭いを隠すために香水をこの髪粉に含ませて噴きつけたともあった。]
魚(さかな)の下男は、脇にかかへて居た自分ほどの大きさの封筒をとりだして、もう一の下男に渡しながら、かごそか聲で言ひました。「公爵夫人へ、女王(じよわう)樣より、球打遊(たまうちあそ)びの御招待」といひました。蛙の下男は、同じやうにおごぞかな聲で、ただ言葉の順序を一寸(ちよつと)變へただけで、言ひました。「女王樣より、公爵夫人へ球打遊びの御招待。」
[やぶちゃん注:「球打遊び」原文は“croquet”。本邦のゲートボールの原型で、芝生のコートで行われるイギリス発祥の球技クロッケー(音写では「クロゥケイ」に近い)。ウィキの「クロッケー」によれば、マレットと称する木槌によって木製或いはプラスチック製の球を打ち、六個の門(フープと呼ぶ)を通して行き、最後に中央に立っているペグ(杭)に当てる早さを競う。日本クロッケー協会公式サイトの「クロッケー歴史年表」によれば、
一八五三年(本邦では幕末の嘉永六年)に『イギリスにおいてクロッケーと言う名称でゲームが大衆化』したとある。本書の原作は一八六五年に刊行されているから、かなりナウいスポーツであったことが分かる。]
それから二人は大層腰を低くして御辭儀をしましたので、二人の髮の毛はもつれあつてしまひました。
アリスは此の樣子があまりをかしいので、吹き出したくなりましたものですから、聞こえてはいけないと思つて森の中を走つて歸りました。少したつてアリスが覗いて見ると、魚(さかな)の下男はゐなくなつてもう一人の下男が、玄關の側(そば)の地面に腰を下(おろ)し、馬鹿げた顏をして、空を見つめて居ました。
アリスはビクビクしながら、戸口まで行つて戸を叩きました。
「戸を叩く必要なんかないよ」とその下男が云ひました。「それには二つの理由(わけ)がある。第一にわたしは、か前さんと同じ戸口の外に居る。第二に家の内側では大騷ぎをして居るから、誰もお前が戸を叩いたつて聞えやしないよ。」實際、家の内側では大層な物音がして居りました――たえず唸るやうな、くさみをするやうな音がして、時時皿か土瓶でも粉粉にこはれるやうに、ガラガラといふ物音が響いてゐました。
「それでは」とアリスが言ひました。「どうしたら家へ入れますでせうか。」
下男はアリスの言ふことなんかには構はずに言ひつづけました。「二人の間に戸があるとすれば、戸を叩くのに何か考へがあるにちがひないさ。たとへばお前さんが戸の内側に居て、戸を叩くなら、わしはお前さんを外にだしてやることができるといふものだ。」かう云ひながらも始終下男は空を見て居りました。アリスは隨分失禮なことだと思ひました。「けれども多分(たぶん)上の方を見ないでは居られないのだわ。」とアリスは獨語(ひとりごと)をいひました。
「目が頭のてつぺんのところについて居るんだもの。でもとにかく尋ねたんだから、返事をしてくれてもよさそうなものだわ。ねえ、どうしたらうちに入れるんでせう。」とアリスは大きな聲で繰返して言ひました。
「わしは明日迄ここに坐つて居(ゐ)るよ――。」と下男は言ひました。
この時家の戸があき、大きなお皿が下男の頭へ向つて、眞直(まつすぐ)にとんできて、鼻を掠(かす)めて、その下男の後(うしろ)にある樹にあたつて、粉粉に壞れてしまひました。
「――それともその明くる日まで居(ゐ)るかも知れない。」と下男は何事もなかつたやうに同じ調子で言ひました。
「どうしたら入れるのでせうか。」とアリスは又大きな聲で言ひました。
「お前はとにかく内に入りたいのだな。」と下男は言ひました。「それが第一の問題なんだらう。」勿論それに違ひありませんでした。けれどもアリスはさう言はれるのが嫌(きらひ)でした。「動物などのいふことはほんとに、いやになつてしまふわ。氣ちがひにでもなりさうだわ。」とつぶやきました。
下男はこれを好い機會だと思つて、調子を變へてまた言ひだしました。
「わしはここに、いつまでも、いつまでもズツと續けて坐つて居(ゐ)るよ」と言ひました。
「ではわたし、どうすればいいの。」とアリスが言ひました。
「お前の好きなことをすればいいよ。」と下男は言つて、口笛を吹き始めました。
「まあ、こんな人に何を言つても無駄だわ。」とアリスはあきらめたやうに言ひました。「この人は全くお馬鹿さんなのだわ。」かう言つてアリスは戸を開けて内に入つていきました。
戸を開けると突きあたりは大きな臺所(だいどころ)でした。そして隅から隅まで煙で一杯になつてゐました。公爵夫人は臺所の眞中で赤ん坊に乳をやりながら、三本足の腰掛に坐つて居ました。料理番は火の前で身體(からだ)をまげて、スープが一杯入つて居るらしい、大鍋をかきまはしてゐました。
「このスープにはキツト胡椒(こしよう)が入りずぎて居るのだわ。」とアリスはくしやみをしながら、できる丈(だ)け大きな聲で言ひました。
まつたくのところ、胡椒がひどくその室中(へやぢゆう)にとんでゐるのでした。公爵夫人ですら時時くしやみをしました。そして赤ん坊は、ひつきりなしにくしやみをしたり、わあわあ泣いたりしてゐました。この臺所の内でくしやみをしなかつた二人のものは、料理番と、竃(かまど)のそばにすわつて耳から耳まで大きな口をして、ニヤニヤ笑つて居る大猫とだけでした。
「あの失禮ですが、」とアリスは自分から先づ話しだすのは、禮儀作法にかなつて居るかどうだか分らないものですから、少しおどおどしていひました。「何故あなたの猫はあんなにニヤニヤして居るのですか。」
「あれはチエシヤー猫なのだ。」と公爵夫人は言ひました。(チエシヤー猫はいつも知つて居るやうを顏をして居るのです。)「それがその理由(わけ)なのさ。豚兒(ぶたつこ)や。」
[やぶちゃん注:「チエシヤー猫」“Cheshire Cat”は無論、架空の猫であるが、ウィキの「チェシャ猫」によれば、『当時はありふれていた「チェシャ猫のように笑う」という英語の慣用表現をもとにキャロルが作り出したキャラクターである』とし、『「チェシャ猫のように笑う」(grin like a Cheshire cat)という英語表現は、キャロルが作品を書いた当時はありふれた慣用表現であった。この成句の由来ははっきりとわかっていないが、雑誌『Notes and Queries』では1850年から1852年にかけて、この成句の由来について盛んな議論が戦わされ』。たが、それは――①イングランド北西部に実在するチェシャ州
(the county of Cheshire、Cheshire
county)の州域は顎の形をしており、そのため、「顎州」と呼ばれることもある。②チェシャ州で作られていたチェシャ・チーズは一時期、「猫」の形をしていた。③チェシャ州のとある看板描きが宿屋の看板に「吠えるライオン」を描いたが、「笑っている猫」の顔にしか見えなかった。――というものであったという(この説を紹介しているロジャー・グリーンは③が由来としては最もそれらしいと述べているという)。『チェシャ州はキャロルが生まれた地方であり、また』アリスのモデルであるアリス・プレザンス・リデル(Alice Pleasance Liddell 一八五二年~一九三四年)の『リデル家の紋章は三頭のライオンであった』。一九七九年刊の「ルイス・キャロル伝」の『著者アン・クラークは、チェシャ州の首都チェスターに住んでいたジョナサン・キャザレルという人物に関する説を紹介している。キャザレルの紋章には猫が1304年という年号とともに描かれており、キャザレル自身は怒ると歯をむき出す(grin)癖があった。チェシャチーズが猫の形をして、かつ笑って(grin)いるのは彼の貢献をたたえてのものであるという』。『しかしチェシャ州の住民がもっとも好んでする説明は、「チェシャ州には酪農家がたくさんあり、ミルクとクリームが豊富にあるので常に猫が笑っている」というものである』。また、『何人かの研究者は、キャロルがリッチモンドにあるクロフト教会の彫刻からチェシャ猫のキャラクターを着想したという説を唱えている』。それはキャロルの父が『1843年から1868年にかけてこの地方の牧師を勤めており、キャロル自身も1843年から1850年までこの地で生活していた』ことに拠る。『アリスの注釈者であるマーティン・ガードナーは、キャロルが月の満ち欠けからチェシャ猫のキャラクターを着想したのではないかという説を紹介している。月の満ち欠けは昔から狂気と結びつけて考えられてきたものであり、また三日月の形はにやにや笑う口の形そのものである』。『フィリス・グリーンエイカーは、その精神分析的な研究書の中において、チェシャ猫のキャラクターは「チーズに化けた猫が、チーズを喰うねずみを喰うところを想わせるから、まさにキャロル的な魅力を持つ」と指摘している』。また「不思議の国のアリス」刊行以前、『アリスと同じマクラミン社から出版されてヒット作となったチャールズ・キングスレーの『水の子どもたち』(1863年)には、水中から顔を出したカワウソがチェシャ猫のようなニヤニヤ笑いを浮かべていた、というくだりがあ』り、更に「不思議の国のアリス」は出版される際、『その版形は『水の子』に倣って決められている』ともあって、実は『「チェシャ猫」のキャラクターとそのエピソードは、『不思議の国のアリス』を正式に出版する際に付け加えられたもので、物語の原型である手書き本の『地下の国のアリス』には登場しない』という事実があると記されている。]
アリスはこのおしまひの言葉が、あまり亂暴なので驚いてとび上りました。けれどもアリスは直ちに、それか赤ん坊に言ひかけたので、自分に向つて言つたのではないといふことが分りました。それで元氣をだして又云ひ始めました。
「チエシヤー猫はいつもニコニコ笑つて居るものだ、と言ふことは知りませんでした。ほんとのところ、わたし猫が笑へるものだとは知りませんでした。」
「猫はみん々笑へるんだよ」と公爵夫人は言ひました。「そして大抵の猫は知つてゐるよ。」
[やぶちゃん注:「そして大抵の猫は知つてゐるよ。」原文は“and most of 'em do.”。この台詞は、「大抵の猫は笑うことを知ってるさ。笑えるんだよ」という謂いである。]
「わたし笑ふ猫を知りませんでしたの。」とアリスは婦人が話相手になつてくれたのが、嬉しくて大層叮嚀(ていねい)に言ひました。
「お前は何にも知つて居ないねえ。それはほんたうだよ。」と公爵夫人は言ひました。
アリスは、どうもこの言葉つきか氣に入りませんでした。そして何か外に新しい會話の題(だい)をひきだしたいと思ひました。アリスが何かの題にきめようと考へてゐますと、料理番の女はスープの大鍋を竃(かまど)から下(おろ)しました。そして直ちに自分の手の屆くものを何でもとつて、公爵夫人と赤ん坊に向つて投げかけだしました。――初めに火箸(ひばし)を、それから小皿や大旦や平皿を雨のやうに役げつけました。公爵夫人は當つても平氣ですましてゐました。そして赤ん坊は前からズツと泣き通(どほ)しで居ましたから、何かあたつて痛いから泣くのか、少しも分りませんでした。
「まあ、どうか氣をつけてして下さい。」とアリスは怖がつてあちらこちらを跳び廻りながら叫びました。「まあ、あの子の大切な鼻がとれるわ。」外れて大き々皿が赤ん坊の鼻をかずめて、もうすこしのことで、もいでしまふところでした。
「誰でも自分の仕事に氣をつけてしさへすれば、」としやがれた聲で、公爵夫人が言ひました。「世界はズツと早く廻つていくだらうよ。」
「それはためにならないでせう。」とアリスは自分の學問を示すのに、いい時だと思つて、大層喜んでいひました。「まあさうなると夜と晝とが、どうなることか考へてごらんなさい。御承知のやうに地球はおのが軸(ぢく)の上を廻るのに二十四時間かかるのですよ――。」
「おの(斧(をの))だつて」と公爵夫人は言ひました。「首をちよんぎつておしまひ。」
[やぶちゃん注:「おの(斧(をの))だつて」これもキャロル得意の言葉遊び。前のアリスの台詞の中の地球の自転の地「軸」を意味する“axis”(アクシス)を公爵夫人は“axes”と聴き――これは実は“axis”の複数形(「軸」は加算名詞)であるが、同じ綴りで“ax”(手斧・首切り用の斧)の複数形でもある――かくも関係妄想的展開を起こすのである。]
アリスは科理番がほんとに、言はれた通りにするかどうか、心配さうにそつちをちらと見ました。けれども料理番は忙がしく、スープをかきまはしながら、何にも耳に入らないやうでした。それでアリスは又言ひつづけました。「二十四時間だと思ひますけれど、それとも十二時間だつたかしら、わたし――。」
「まあ、うるさいね。」と公爵夫人は言ひました。「わたし數字なんか嫌ひだよ。」かういつて、夫人は自分の赤ん坊に乳をやりはじめました。さうしながら子守唄のやうなものを唄つて、唄の終ひに赤ん坊をひどくゆりました。
男の子にはガミガミ言つてやれ、
くしやみをしたら毆(ぶ)つてやれ。
人困(ひとこま)らせにやるんだもの、
せつつく事を知つてゐて。
合唱(これには赤ん坊も料理番も一緒でした。)
ワウ、ワウ、ワウ
公霞夫人は次の歌の文句を唄ひながら、赤ん坊を荒荒しく高く上げたり落したりしました。
赤ん坊はひどく泣きましたからアリスには唄の文句が聞えない位(くらゐ)でした。
わたしの子供にはガミガミ言ひまする、
くしやみをすれば毆(なぐ)ります。
氣のむくだけ胡椒をば、
充分嗅ぐことができるんだもの。
合唱 ワウ、ワウ、ワウ、
「おい、お前よければ少しお守をしておくれ。」と公爵夫人はアリスに言ひながら赤ん坊を投(はふ)りつけました。「わたしはこれから出かけて、女王樣との球打遊(たまうちあそ)びの仕度(したく)をしなければならないのだJと言つて室(へや)から急いで出ていきました。料理番はフライ鍋を夫人のうしろからぶつつけましたが、それはあたりませんでした。
アリスは、やつとのことで赤ん坊をうけとりました。赤ん坊は奇妙な形をして居て、手足を八方にのばしました。『まるでひとでのやうだわ。」とアリスは考へました。アリスが抱きとりました時、赤ん坊は蒸氣機關のやうに荒い鼻息をしてゐました。そして身體(からだ)を二重(ふたへ)に折つてみたり、眞直(まつすぐ)にのばしてみたりするので、初め一寸(ちよつと)の間(あひだ)は、全くそれを抱いて居ることがアリスには精一杯のことでした。
間もなく、アリスは赤ん坊をお守するよい方法を考へつきました。(それは赤ん坊を撚(よ)つて結び目のやうなものにして、それからほどけないやうに右耳と左足をしつかり抑へておくことでした。)かうやつてアリスは、赤ん坊を外に抱いてでました。「わたしが抱いてでなかつたら、この赤ん坊なんか一日か、二日のうちに殺されてしまふわ。それをすてて行くのは人殺(ひとごろし)をするやうなものだわ、」とアリスは考へました。アリスはこの終(しま)ひの言葉を大きな聲で言ひました。すると赤ん坊は、返事に豚のやうにブウブウ言ひました。(このときには、くしやみは止めてゐました。)「ブウブウお言ひでない。」とアリスは言ひました。「そんなのチツトもいい話しぶりぢやないわ。」
赤ん坊はまたブウブウ言ひました。アリスは赤ん坊が、どうかしたのではないかと思つて、大層心配さうに顏を見て居ました。たしかにそれは大變上(うへ)を向いた鼻がでした。鼻と云ふよりもむしろ嘴(くちばし)のやうでした。又その目(め)は赤ん坊にしてはずゐぶん小さいものでした。それでアリスは全く赤ん坊の顏が嫌(いや)になつてしまひました。「でも此の子はすすり泣(なき)をしてゐたのかもしれないわ。」とアリスは考へて、涙かでてゐやしないかと、又赤ん坊の眼(め)を見ました。
[やぶちゃん注:「赤ん坊はまたブウブウ言ひました」の「ブウブウ」は底本では「ブウフウ」であるが、原文でも差異はなく、誤植と断じて訂した。]
涙なんか一つもありませんでした。「ねえ、坊やが豚にでもなるのなら、わたしはかまつてあげないわよ。いいかい。」とアリスは眞面目くさつて言ひました。可哀さうな赤ん坊は、又しくしく泣きました。(又はブウブウいひました。これはどちらとも云ふことができませんでした。)それから二人はしばらくの間(あひだ)默つて歩いていきました。
アリスはそのときかうか考へ始めました。「まあ、わたしうちに歸つたらこの子をどうしませう。ナると赤ん坊か又ひどく、ブウブウ泣き始めましたから、アリスは少少驚いて赤ん坊の顏を見ました。こん度は全く間違ひなし、それは豚にちがひありませんでした。それでアリスはこん々ものを抱いて、この先きあるいていくのは、全く馬鹿らしいと思ひました。で、アリスはこの子を下におろしてやりました。するとヒヨコヒヨコと、森の中へ歩いていつたので、安心をしました。「あれが大きくなつたら、」とアリスは獨語(ひとりごと)をいひだしました。「ずゐぶんみつともない子になるでせう。でも豚にすればきれいな方だわ。」さう言つて、アリスは自分の知つて居るうちで豚にしたら、よささうな子供のことを考へました。それからかう獨語(ひとりごと)をいひだしました。「人の子と豚にかへる、ほんとに方法が分つて居るといいのだけれども――。」するとそのとき驚いた事に二、三尺離れた樹の枝にチエシヤー猫が坐つて居るのが見えました。
猫はアリスの顏を見ても、ニヤニヤしてばかりゐました。素直な猫だとアリスは思ひました。けれども大層長い爪と、大きな齒を澤山もつて居るので、アリスはこりや丁寧にあしらはないと、いけないと思ひました。
「チエシヤーのニヤンちやん。」アリスはかう呼びかけて、猫が嫌ひはしないかと、少しおぢおぢしました。けれども猫は前より大きな口をあけて、ニヤニヤして居るばかりでした。「まあ氣に人つて居るらしいわ。」とアリスは考へて、言ひ續けました。「濟みませんが、ここから行くにはどの道をいけばよろしいんでせう。」
「それは、お前さんの行きたいと思つて居るところできまるよ。」と猫はいひました。
「わたしどこでもかまはないのです。」とアリスは言ひました。
「それぢやどつちを行つても構はないさ。」と猫が言ひました。
「――どこかへ行(い)けさへすれば。」とアリスは辯解(いひわけ)らしく言ひ加へました。
「まあ、お前ながいこと歩いて行(い)きさへすれば、どこかに行(い)けるよ。」と猫は言ひました。
アリスはこの言葉が、もつともだと思ひましたので、今度は別の問(とひ)をだしました。「この邊には、どんな人が住んで居るのでせうか。」
「あの方角には、」と猫は、右の前足をぐるぐる廻して言ひました。「お帽子屋〔帽子屋と言つても帽子を賣つたり作つたりする人のことではありませんアダ名の帽子屋です。〕が住んで居(ゐ)る。それからあの方角には、」と別の前足を動かして言ひました。「三月兎(ぎわつうさぎ)が住んで居る。どつちでも、氣のむいた方へ行つてごらん。二人とも氣違ひだよ。」
[やぶちゃん注:「お帽子屋」原文“Hatter”。ウィキの「帽子屋」によれば、以下に注する「三月兎」と同様に『「帽子屋のように気が狂っている」(mad as a hatter)という、当時よく知られていた英語の慣用句を元にキャロルが創作したキャラクターである。この表現はより古い言い回しの「mad as an adder」からの転訛とも考えられるが、それとともに当時の現実の帽子屋は、帽子のフェルトの製造過程で使われる水銀(フェルト地を硬くするために当時使われていた)のためにしばしば本当に気が狂ったということもある。水銀中毒の初期症状である手足の震えは当時「帽子屋の震え」と呼ばれており、やがて舌がもつれ、さらに症状が進むと幻覚や精神錯乱の症状が起こった。現在のアメリカのほとんどの州やヨーロッパの国々には水銀の使用を禁じる法律がある』とあり、また、『帽子屋のキャラクターは、オックスフォード大学クライスト・チャーチの用務員で奇人として知られていたシオフィラス・カーターがモデルになっているといわれている。彼はどんな天候のときにもシルクハットを被っていたことで「狂った帽子屋」として知られていた。彼は発明家でもあり、起床時間になると跳ね上がって眠っている人を放り出すベッドというような珍妙な発明をし、これは』一八五一年に行われた『ロンドン万国博覧会でも展示されている』とあり、さらにエリス・ヒルマンという研究者は、当時『「気狂いサム」として知られていたマンチェスターの人物サミュエル・オグデン』も挙げられている。彼は一八一四年に『ロンドンを歴訪したロシア皇帝の特注の帽子を作ったという。ヒルマンはまた、「Mad Hatter」がなまって「Mad Adder」に聞こえれば「狂った計算機/計算屋」になり、キャロル自身を含めた数学者全般とも解することができ、あるいは計算機械の研究に熱中しすぎておかしくなっていると言われていたケンブリッジ大学の数学教授チャールズ・バベッジも思わせると書いている』ともある。
「三月兎」原文“March Hare”。但し、この名の実在種が存在するわけではなく、本作のチェシャ猫や帽子屋と並ぶトリックスターである。ウィキの「三月ウサギ」によれば、『三月ウサギは、「三月のウサギのように気が狂っている」(Mad as a March hare)という、当時はよく知られていた英語の成句をもとにキャロルが創作したキャラクターである。この成句は繁殖期である三月に雄のノウサギが見せる落ち着かない振る舞いを示している』(ノウサギは真主齧上目グリレス大目ウサギ目ウサギ科ノウサギ属ヨーロッパノウサギ Lepus europaeus )。但し、実際のノウサギの繁殖期は八ケ月の長きに及ぶもので、『三月だけ特に繁殖行動が盛んになるというわけではないらしい。このノウサギの繁殖期の観察を行った科学者は』「愚神礼讃」で知られる宗教改革を唱えた神学者エラスムス(Desiderius Erasmus Roterodamus 一四六六年~一五三六年)の『句に「沼のウサギのように狂った」というものがあり、この沼(marsh)が三月(March)に転訛したのだと述べている』とある。]「けれどわたし、氣違ひの人達のところなんかへ行きたくないわ。」とアリスは言ひました。
「だが、さうはいかないよ。ここではみんなが氣違ひなんだ。わたしも氣違ひだし、お前も氣違ひなのだ。」と猫は言ひました。
「わたしが氣違ひだといふことが、どうして分つて。」とアリス言ひました。
「お前は氣違ひに相違ないよ。」と猫が言ひました。
「それでなければ、こんなところへ來やしないよ。」
アリスはそんなことで、氣違ひだといふことにならないと思ひましたが、尚(なほ)續けて言ひました。「それではお前が氣違ひだといふことが、どうして分るの。」
「まづ第一に、」と猫は言ひました。「犬は氣違ひではない。お前それを認めるかい。」
「さう思ふわ。」とアリスが言ひました。
「よろしい、それでは。」と猫は續けて言ひました。
犬がおこると唸(うな)つて、嬉しいと尻尾(しつぽ)をふることは、お前さん御承知だらう。ところでわたしは、嬉しいと唸るし、おこると尻尾をふるんだ。それだからわたしは氣違ひなのだよ。」
「わたしは、そのことを唸(うな)るといはないで、ゴロゴロいふと言ひますわ。」
とアリスが言ひました。
「どうとでもを言ひなさい。」と猫は言ひました。「お前さんは今日(けふ)女王樣と球打遊(たまうちあそ)びをするのかい。」
「わたし球打(たまうち)が大好きなんだけれども、まだ招待をうけてゐないわ。」とアリスは言ひました。
「あそこでなら私に會へるよ。」さう言つたかと思ふと、猫は姿を消してしまひました。
アリスはこれには、そんなに驚きませんでした。といふのも色色な珍らしい出來事には、もう馴れて居たからでした。それからアリスがまだやつぱり猫の居たところを見て居ますと、突然に又猫が姿をあらはしました。
「ついでのことだが、赤ん坊はどうなつたい。」と猫は言ひました。「私や訊(き)くのを忘れさうだつたよ。」
「あの子は豚になつたよ。」とアリスは、猫がまるで、あたりまへに戻つて來たかのやうに、靜かに答へました。
「うん、さうだらうと、わたしも思つて居た。」と猫は言つて、又姿を消してしまひました。
アリスは猫が、また出てくるのかと思つて待つて居ましたが、もう出て來ませんでした。それからアリスは、三月兎(ぐわつうさぎ)が住んで居ると云ふ方角へ向つて歩いていきました。「わたし帽子屋には前にあつたことかあるわ。」とアリスは獨語(ひとりごと)をいひました。「三月兎(ぐわつうさぎ)はきつと、とても素敵に面白いとり思ふわ。それに今は五月なんだから、さう氣違ひじみてもゐないと思ふわ。――すくなくとも三月ほど氣が變ぢやないでせう。」アリスはかう言つて上を見ました。すると又猫が樹の枝の上に坐つて居りました。
「お前はピツグ(豚)といつたのかい、フイツグ(無花果)といつたのかい。」と猫が言ひました。
[やぶちゃん注:原文は“"Did you say pig, or fig?" said the Cat.”。]
「豚と言つたのだわ。」とアリスは答へました。
「そうしてわたしお前がそんなに突然(だしぬけ)に現はれたり、消えたりなんかしないでくれればいいと思ふわ。わたしほんとに目がまはりさうよ。」
「よろしい。」と猫は言ひました。今度はそろりそろりとまづ尻尾の先から消えて、しまひにはニヤニヤ笑ひがのこりました。それはからだの外(ほか)の部分が消えてしまつても、あとまで殘つてゐました。
「まあ、わたし今までにニヤニヤ笑ひをしない猫は、幾度も見てゐるけれど、猫がゐなくてニヤニヤ笑ひだけなんて、初めて見たわ。これが生れて初めて見たふしぎなことだわ。」とアリスは言ひました。
アリスがさう長くは歩かないうちに三月兎(ぐわつうさぎ)の家(いえ)が見えてきました。アリスはこれがほんとの兎の家だと思ひました。なぜなら煙突は兎の耳のやうな形をしてゐましたし、屋根は兎の毛皮でふいてありましたからです。隨分大きな家(うち)でしたから、アリスは蕈(きのこ)の左側をかじつて二尺位(ぐらゐ)の背になつてからではないと、近づく氣になれませんでした。その時ですらアリスはビクビクしながら家(うち)の方へ歩いていき、こんな獨語(ひとりごと)をいひました。「何だかやつぱり兎もひどい氣違ひかもしれないわ。わたし兎のかはりに帽子屋に會ひに行けばよかつたらしいわ。」