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2015/07/11

生物學講話 丘淺次郎 第十三章 産卵と姙娠(2) 一 卵生(Ⅰ)

  
 
      一 卵 生

 

 卵生と胎生とを比較して見るといづれにもー得一失があつて、種族保存の上にいづれを有利とするかは、その種族の習性によつて違ふ。受精後の卵は親の體からいへば最早一種の荷物に過ぎぬから、速に卵を産み出してしまへば、親の身體はそれだけはやく輕くなり運動も樂になる代りに、子はそれだけ多く外界の危險に曝される。何動物でも卵の時代や卵から孵つたばかりの時代は、最も弱く最も死に易いときであるから、卵生する動物は特に卵を保護する種類の外は、非常に多くの卵を産まぬと種族繼續の見込みが立たぬ。そして數多く卵を産めば卵の粒は勢ひ小さくならざるを得ぬが、卵が小さければそれより孵化して出る幼兒も小さく弱いから、それだけ卵の數を多く産まねば安心が出來ぬ。これに反して、胎生の方では子の發育する始は、母の體内にあつて十分に保護せられて居るから、多數が死に失せる如き心配はない。それから少數の卵を生じ、少數の幼兒を産むだけでも種族維持の見込みは確に立つ。この點を考へると、卵生に比べて胎生の方が明に一歩進んで居るやうであるが、子を長く體内に留めて置けば、その間母親は餘計な荷物を負うて居るわけ故、運動も幾分か妨げられ、且もし自分が殺される場合には腹の内の子までが共に殺されて、後に子孫を遺すことが出來ぬといふ不利益がある。

[やぶちゃん注:「その間母親は餘計な荷物を負うて居るわけ故」この部分、講談社文庫版では、『その間母親はよけいの子まで負(お)うているわけゆえ』となっている。これは恐らくは体内の子供を『餘計な荷物』と物のように表現しているのが問題と考えて誰か(丘先生自身ではないような気がする)が書き換えたのではあるまいか? しかしそうだとすれば文字通り『餘計な』ことをしたものである。これでは明らかに日本語としておかしくなっていることに書き換えた人間は気づいていないからである。]

 
Umitanago

[うみたなご]

[やぶちゃん注:本図は底本の画像は薄く粗いので、国立国会図書館蔵の原本(同図書館「近代デジタルライブラリー」内)の画像からトリミングし、補正をした。] 

 動物の種類を數多く竝べて見ると、全部胎生するものはたゞ獸類だけであつて、その他は殆ど悉く卵を産むから、全體としては無論卵生の方が遙に多數を占めて居る。鳥類でも魚類でも昆蟲でも貝類でも皆卵生である。しかし、卵を産むものの中にも例外として、胎生する種類の含まれて居ることは決して珍しくない。たとえば魚類中の「ほしざめ」・「あかえい」・「うみたなご」とか、蛇類中の「まむし」とか、昆蟲類中の「ありまき」とか、貝類中の「たにし」とかいふ如きものは、いづれも卵生する部類に屬しながら、自分は胎生する。かくの如く、大概の組には例外として胎生するものが一種や二種はあるが、たゞ鳥類だけは悉く卵生であつて、一種として例外はない。これはなぜかといふに、鳥類は主として空中を飛するもので、餌を捕へるにも敵から逃げるにも、飛翔の巧みなることを要するが、姙娠は身を重くして甚しく飛翔を妨げるからである。抑々飛翔は動物の運動法の中で最も進歩したもので、最も速力の大なる代りに最も多く筋力を要し、これをよくするものは僅に鳥類、蝙蝠類、昆蟲類の外にはない。他の運動法に比して飛行の困難なることは、船や車が何千年の昔から用ゐられて居ながら、飛行機が漸く近年になつてできたのを見ても知れる。されば鳥類の身體は飛翔のためには他の何物をも犧牲に供し、他の方面では如何なる不便を忍んでも專ら飛翔のよく行はれ得るやうな仕組になつて居る。鳥類の骨の中まで空氣の入つて居ることも、絶えず脱糞して一刻も腸内に不用の物を貯へて置かぬことも、尿が獸類に於ける如き多量の液體でなく、恰も練乳の如くに濃くして少量なることも、皆身を輕くするための方便に過ぎぬ。生殖器官もそれと同じく、なるべく身を輕くして、しかもなるべく完全な子の生まれるやうな手段が行はれ、卵生ではあるが、卵生中の特に發達したものとなり、他に比類のない大きな卵を生ずるに至つたのであらう。他の動物の卵が皆小さくて多くの場合には人に知られぬに反し、鳥の卵だけは太古から食用に供せられ、單に卵といへば直に鳥の卵と思はれるのも皆その瀆に大なるためであるが、その大なる理由は陸上の高等動物なる鳥類が安全に種族を繼續し得べき完全な雛を生ずるに足りるだけの多量の黄身を含むからである。

[やぶちゃん注:「卵を産むものの中にも例外として、胎生する種類の含まれて居ること」卵胎生。ウィキの「卵胎生(アカデミズム崇拝者のために後で平凡社「世界大百科事典」の記載を掲げておく)によれば、『卵胎生(らんたいせい、英語:ovoviviparity)とは、動物のメス親が、卵を胎内で孵化させて子を産む繁殖形態で』『哺乳類以外の動物は一般には卵を産むが(卵生)、魚類・爬虫類・貝類等の一部に卵胎生が見られる』。『卵胎生は、卵を胎内で孵化させるものを指す。 卵胎生では、子が利用する栄養は卵内のもの(卵黄)だけで、ガス交換以外には母体からの物質供給に依存しないのが原則である』。『魚類の多くは卵生で交尾をせず体外受精するが、魚類でも卵胎生の種の一部には体内受精の必要性から交尾・交接をし、オスの尻びれが交尾器・交接器として発達しているものがみられる』。以下、「進化と分類上での位置付け」の項。『卵胎生は、卵生から胎生への進化上の段階と考えることができ』、『卵生は比較的低コスト、卵胎生・胎生では子がより成長して、体が大きい等生き残りに有利な状態で生まれる傾向が強い』。『胎生は哺乳類の大きな特徴であるが、卵胎生・胎生は無脊椎動物を含む様々な生物種で見られる。これは平行進化と考えることができる』。『紀元前4世紀には、すでにアリストテレスが軟骨魚類が卵胎生であること等に注目して、他の魚類と別に分類していることは興味深い』。また、『海中での生活が卵胎生を生じる例があ』って、『現生の動物ではウミヘビにその例がある』とし、さらに『中生代の魚竜も卵胎生であったことが化石から知られている。なお首長竜は胎生であった事が二〇一一年になって実証されている』と記す。以下、「卵胎生か胎生か」という項。『あるものを卵胎生と呼ぶか胎生と呼ぶかは流動的で』、『魚類のサメやエイの一部・ハイランドカープ、ボア科など一部のヘビ等では臍帯・胎盤などの器官があり、母体から子へ栄養供給がある。これらは哺乳類と同じ胎生と捉えられている(真胎生とも呼ばれている)』。『また、胎内で孵化後に母体からの分泌液を子が経口摂取したり、胎児が無精卵や他の胎児を食べるものもある』。『このように卵胎生と胎生の間には様々な進化上の移行段階と見ることができる例が知られており、近年は、卵胎生と胎生は厳密に区別するべきものではないと考えられ始めている。これまで卵胎生ととらえてきた生物を、胎生と呼ぶように変わってきたケースもある』(下線やぶちゃん)とある。因みに私も、この最後の見解を強く支持するものである。

「ほしざめ」軟骨魚綱メジロザメ目ドチザメ科ホシザメ(星鮫)Mustelus manazo 。和名は背部体表面に白い星状斑文があることによる。卵胎生で六月〜八月に排卵・交尾・受精が行われる。胎盤は形成されず、孵化後は卵黄を吸収しつつ、その後はの子宮内に分泌される子宮乳を摂取して育ち、受精後凡そ十ヶ月余りで体長二十三〜三十センチメートルに成長、翌年の四月から五月にかけて出産する(ここはしばしば御厄介になっている「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のホシザメ」を参照した)。なお、軟骨魚類には卵胎生が甚だ多く、必ずしも珍しくないので注意されたい。これを注してしまったので一応バランスが悪いので、例外的に後も注しておく。

「あかえい」軟骨魚綱板鰓亜綱トビエイ目アカエイ科アカエイ Dasyatis akajei 。卵胎生で、春から夏にかけて、浅海で五~十匹の稚魚を産む。出産直後の稚魚は体長十センチメートル程度で背も腹も一様に淡褐色を呈するが、体型は既に親と同じである(以上はウィキアカエイに拠る)。

「うみたなご」条鰭綱棘鰭上目スズキ目ウミタナゴ科ウミタナゴ属ウミタナゴ亜種ウミタナゴ Ditrema temmincki temmincki(和名は条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科タナゴ亜科タナゴ属 Acheilognathus の淡水魚であるタナゴ Acheilognathus melanogaster に魚体が似ることに由来するが、両種は近縁性の全くの種であるので注意)。以下、ウィキウミタナゴ」から引く(注記碁は省略した)。体長は二十センチメートル程度で、『北海道中部以南の日本各地の沿岸に生息する。胎生で春から初夏にかけて子供を産む』。『冬の防波堤での玉ウキ釣りの対象魚として親しまれている。漁港に係留してある漁船の下などに群れていることが多く、場所によっては魚影を見ることが出来』海辺近くの人にとっては馴染みの魚である。『胎生で増えることから、安産の「おまじない」として食べる地方もある一方、島根地方ではウミタナゴが子供を生む様を逆子が生まれてくるのに重ねて縁起が悪いともされている。身は淡白な白身で小骨が多い。塩焼きにされることが多いが、素揚げや煮物、刺身やなめろうにされることもある』。グーグル画像検索「ウミタナゴ 卵胎生をリンクしておく(魚を捌けない人は見ない方が無難)。

「まむし」爬虫綱有鱗目ヘビ亜目クサリヘビ科マムシ亜科マムシ属ニホンマムシ Gloydius blomhoffii 。卵胎生で、夏に交尾し、翌年の八~十月に一回で五~十五匹の幼蛇を、二~三年に一度のペースで産む(出産はの総排泄腔が用いられる)。参照したウィキの「ニホンマムシによれば、『言い伝えに、「マムシは口から子供を産む。だから、子が生まれる際に牙で子が傷つかぬよう、妊娠中のマムシは牙を折るために積極的に噛みつく」といったものがある。 しかし、毒蛇にとって牙は重要なもので、定期的に生え換わるようになっており、常にマムシは牙をもっている。もちろん、子が口から生まれてくるわけではないものの』、『他の動物全般に言えることだが、実際に妊娠中の個体は神経質になる傾向があり、「積極的に噛みつく」ということはあながちデマではない』とある。

「ありまき」昆虫綱有翅亜綱半翅(カメムシ)目腹吻亜目アブラムシ上科に属するアブラムシ科 Aphididae・カサアブラムシ科 Adelgidae・ネアブラムシ科 Phylloxeridae の仲間の総称。一般には「アブラムシ(油虫)」であるが、「アリマキ(蟻牧)」とも呼称する(私は前者が「ゴキブリ」類と認識一致しているため、生理的に後者の方がいい)。ウィキアブラムシの「生物的特徴」の項に、『春から夏にかけてはX染色体を2本持つ雌が卵胎生単為生殖により、自分と全く同じ、しかも既に胎内に子を宿している雌を産む。これにより短期間で爆発的にその数を増やし、宿主上に大きなコロニーを形成する。秋から冬にかけてはXO型、つまりX染色体の一本欠けた雄が発生し、卵生有性生殖を行う。卵は寒い冬を越し、暖かくなってから孵化する。このとき生まれるのは全て雌である。南方系の種には広域移動を行うものも知られ、』主に四月~六月に『東南アジア方面から気流に乗って飛来し野菜・果樹新芽の茎上や葉の表面・裏面に現れ始め』、九月から十一月には『野菜・果樹から移動し、その後、越冬せずに死滅する』と記す。

「たにし」腹足綱新生腹足上目原始紐舌目タニシ科Viviparidae に属する巻貝の総称であるが、ウィキの「タニシ」によれば、本邦にはアフリカヒメタニシ亜科 Bellamyinae(特異性が強く、アフリカヒメタニシ科 Bellamyidae として扱う説もある)に四種が棲息する。タニシと卵胎生の様態については大和本草卷之十四 水蟲 介類 田螺の私の注で詳しく記したので、そちらを参照されたい。

個人サイト「鳥便り」の「卵生 胎生の鳥がいない訳」の頁に、脊椎動物の綱で鳥類に胎生の種が一種もいないことへの推論とそれへの反論が併置されていて、非常に勉強になる。また、最後にサイト主は、鳥類の場合、『体内で受精された卵は、何回かの卵割が進んでから産卵される』が、ここで厳密な分類基準として、『卵が産卵された後に発生を開始する場合を卵生』、『受精卵が発生を開始した後に産み出される場合を胎生と定義する』と――即ち、『卵割の開始をもって発生の開始』とする観点に立つならば(私、藪野はこれを大いに支持するものである)、『大多数の鳥類は、卵生とみえても、実は胎生とも言うこともできる』と記しておられる。平凡社の「世界大百科事典」の「卵胎生」にも実は(全文を引く。コンマを読点に代えた)、『動物の生殖の一型式。受精卵が母体内で孵化し、ある程度発生が進んだ胚を生む型式をいう。ただし狭義の胎生のように胚が母体からの栄養の補給を受けることはなく、みずからの卵黄を消費して発生を進める点で狭義の胎生と区別される。この型式をもつものとしては、マムシ、タニシ、グッピー、アリマキなどが有名である。なお体内で孵化はしないけれども、鳥類のように受精をしてのちある程度発生が進行してから産卵するものをも広義に卵胎生と呼ぶことがある』(下線やぶちゃん)とあるので、実はこの方の見解はすこぶる正当なものなのであった。まっこと、目から卵。]

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