大原の小春 村山槐多
大原の小春
美しい空は段々に薄紫になれば
わがなさけも段々に醉ひゆけば
歩くさへものろい程に
心は入るなつかしい恍惚
西びとの薄絹のヴエールめきて
しつとりと咲く猫柳の冷めたい花の上に
遠い燈火の樣に輝やいて
美しい紅ひのあまたの星が光る
歩き行く大原に日は輝きて
美しいいにしへの夢が改璃のかけらを
五色の玻璃のかけらをふらし
われはあぶなげに見つめつつゆく
菫色、薄紫、また紅いろ
農家の屋根が比叡山の下に光り居る
あの中に寂光院がかくれて居る
かのいにしへの美しい官女のあとが
かつと金色の叡山の美しいうねり
眞に紅の杉の木がとびとびに
歩きゆく小道の草生には花が咲く
猫柳が、たんぽぽが、紫のすみれが
汗ばむばかり温かいわれの心に
その時ふるへて居る薄いなさけ
「ああ大原へはるばる來てまで
君を思ふのか」と叫ぶ薄いなさけ
わたしと同じ樣に都を出て來て
一人の京の人がわがかたはらにいこふて
じつと見つめるは遠い遠い
寂光院の屋根か、かの人の面影か
×
わたしがあの美しい少年(ちひさご)に
笑つて別れた日
紫のかげは地に浮び
空は赤かつた
あああの時の哄笑のなやましさ
二人はたがひにはづかしく
少年の頰は薄紅かつた
そして眸(ひとみ)はまたたいた
眸はまことにまたたいた
星の樣に薄く靑く
だがわたしは笑つた
ああなぜあんなに強く高く
わたしはあの時笑つたらう
[やぶちゃん注:「紅ひの」「いこふて」はママ。]