世界の三聖 夢野久作 (詩)
[やぶちゃん注:以下は西原和海編「夢野久作著作集 6」の「獵奇歌」の大パートの定本「獵奇歌」後に配されてある七五調定型詩である。
同氏の解題によれば、昭和一〇(一九三五)年六月一日発行の『九州文化』第二巻第三号に掲載されたものである(署名は夢野久作)。西原氏の解題には以上の書誌情報以外は載せられていない。以下、簡単に語注する。
・「エポバ」はママ。
・第一連最終行の「荊棘」は底本では(くさかんむり)が(へん)の部分だけにかかっている字体。
・「コンパラの花」題名が「世界の三聖」で第一連がキリスト、第三連が孔子と読めるから、この第二連は後半部からも釈迦である。そこで蓮華か沙羅双樹かなどと狙いをつけて調べて見ると、「拈華微笑(ねんげみしょう)」で検索するうち、篆刻家の田中快旺氏のブログ「楽篆堂」の「拈華微笑」で解説される中に、『霊鷲山で天上界の神・大梵天王が、お釈迦さまに金波羅華(こんぱらげ)という花を献上して、説法をお願いした。お釈迦さまは、それを手に取って、百万の人と神とに黙って差し出したが、皆その意味を図りかねた。ただひとり迦葉尊者が破顔微笑したので、仏法のすべてを授けたという』とあり、また、宮城県塩釜市の臨済宗東園寺住職千坂成也氏のブログ「布袋の袋」の「キメるときは花だよね!拈華微笑」で旧清水寺管主大西良慶師の華画賛「世尊拈華 頭陀微笑 絶言絶慮 霽日光風 只行得本 龍華三會 法界他方 永劫流通」を示されて訳された中に、『お釈迦さまが後継者を決めるときのこと』、『お釈迦さんは、梵天から渡されたコンパラ華(げ)という花を何も語らずに一輪持って弟子達に見せた。お釈迦様の説法が始まると思い心待ちにしていた弟子達は、何もしゃべらぬお釈迦さまを見て、ポカーン』としていると、『独り大迦葉のみが微笑を湛えた!』『そこで、お釈迦様は迦葉に法を伝えた事を宣言された』とあることから、これは他でもない、「拈華微笑(ねんげみしょう)」の、一般には白蓮華、白い蓮の花とされるものを指すことが判った。
・「枯じつゝ」「かれじつつ」で、枯れることなく、同時にまた、の意であろう。
・「拱す」は老婆心乍ら、「きようす(きょうす)」と読んでアーチ状に架かるの意。]
世界の三聖
み空の舊徵求むれば 十字の星の光さし
この世のけがれ悲しめば 白百合の花露ふかし
エポバの榮え仰ふぎつゝ 羊を育て魚を獲る
たふとき業を憎しみて 荊棘の冠着せしは誰そ」
曉の星のぼる時 永遠の夢路の眼をひらき
コンパラの花枯じつゝ おほあめつちをほゝゑます
王者の富を振りすてゝ 黃金の肌に破れ衣
足もあらはに鉢を持つ 乞食の惠うけぬは誰そ」
かの逝く河を嘆じては 古の道なつかしみ
かはり行く世を愁ひては 暮春の興を志す
星座は北に拱すれど 水は東に朝すれど
禮儀三百威儀三千 聖者いませし國いづこ」
[やぶちゃん注:これを以って西原版の「夢野久作著作集」所収の詩歌群はほぼ電子化を終了したことになるが、この他にも昭和五一(一九七六)年葦書房刊の久作の御子息杉山龍丸氏の編になる「夢野久作の日記」の中に多量の短歌や川柳を見出すことが出来る。私は十四年前にこの本を求めておき乍ら、実はまともに読んでいなかった。今回、遅まき乍らやっと拾い読みでも見開くことが出来ることとなり、ツン読のままにならずに済んだことを夢野久作自身に感謝し、向後も断続し乍らも「夢野久作詩歌集成」を続けて行く/行けることに感謝するものである。]
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