夢野久作「赤泥社詠草」7(特異点短歌十八首掲載)
落葉林そこあかとなきさみしさに眞晝の月を見出ける哉
此(この)窓の足のめさめに今日の事忘れんとおく白菊の鉢
冬の日は遙かに遙かに西へ落ち又羽織も着ずに樹に依りてあれば
吾が心今しも吾に歸りくるか黄蠟の灯の瞬き息(や)まず
[やぶちゃん注:「灯」は久作が小説中でも好んで「燈」と差別化して用いる字であり、後掲する一首には底本自体が「燈」とするものがあることから、本字で示した。]
枯野行けば我肩にそと日の照りて何か囁く春近きかも
淋しきは吾が性(さが)なれば今宵又春雨の窓閉(とざ)さずて寢(い)ぬ
田の中に一本柿の紅葉せるを人指(ゆびさ)せり秋高晴るゝ
美しき毛蟲が悶(もだ)へて這ひまはるビイドロ瓶の夏の夕暮
吾(わが)馬鈴薯のごと可笑(をか)しければ切れば切る程いくつも芽を吹く
秋眞晝半ば見開く眼の中に大鳶(とび)一つ冷ややかに舞ふ
吾家の何處かに蜂が巣を掛けて見當らぬ儘冬となりゆく
秋の風吹きしく中にもろこしの實をもがれつゝなほたちてあり
秋の空いと高ければ風見車日ねもすめぐりめぐりやまずも
驛長の赤き帽子の悲しさよ此(この)山峽の春の黄昏
[やぶちゃん注:「山峽」は「やまかひ(やまかい)」と訓じたい。]
染々(しみじみ)と吾身一つの愛しさよ雪降る窓の燈を消す
吾が胸の何かの悲しさ羽ばたきて雪の野渡る一羽の鴉
赤き硝子(ガラス)靑き硝子を眼に當てゝ兒(こ)等遊び居り秋高晴るる
[やぶちゃん注:「秋高晴るる」は「あきたかばるる」という一語として詠んでいるように私には感じられる。]
旅にして悲しき夢の多かりきわけて今宵の窓打つ霰
(大正八(一九一九)年二月二十七日)
[やぶちゃん注:短歌十八首一挙掲載の特異点である。先に示した国立国会図書館レファレンスには、大正八年二月二十七日(木)(第一〇一七〇號)・一面・杉山萠圓「無題」(短歌十八首)、とある。]