生物學講話 丘淺次郎 第十三章 産卵と姙娠(8) 四 羊膜
四 羊膜
[雞卵内の發育
(い)雛の體 (ろ)羊膜]
[やぶちゃん注:本図は国立国会図書館蔵の原本(同図書館「近代デジタルライブラリー」内)の画像からトリミングし、やや明るく補正した。講談社学術文庫版の図は白く飛んで見難いので、こちらを採用した。]
蛙の卵または「さけ」の卵を生かして置き、その發生を調べて見ると、初め球形の卵の一粒が漸々形が變つて全部がたゞ一疋の子の身體のみとなるが、雞の卵を雌雞に温めさせてその日の發生を調べると、卵からはたゞ雛の身體のみが出來るのでなく、早くから雛の身體を包む薄い膜の囊も出來る。この囊を「羊膜」と名づける。雞の卵も元來は一個の細胞であるが、生まれた卵は受精後十數時間を經たもの故、その間に細胞の數は殖えて一平面に竝び已に明な層をなして居る。黃身の上面に必ず一つの小さな圓い白い處があるのは、即ちこの細胞の層である。俗にこれを「眼」と稱へて、これから雛の眼玉が出來るやうに言ふが、それは無論誤で、實はこれから雛の全身が出來るのである。親雞に温められると、この白い眼の如き處が漸々大きな圓盤狀となり、その周圍は延びて終に黃身を包み終り、その中央部即ち始め眼のあつた邊では、細胞層が曲がつたり折れたり癒著したり切れたり、極めて複雜な變化を經て終に雛となるが、後に雛になる部分の周圍からは、細胞層が恰も子供の着物の縫ひ上げの如き特別の褶を生じ、この褶が四方から雛の身體を圍んで、卵から孵つて出るときまで恰も囊に入れた如くに全く包んで入る。前に羊膜と名づけたものは即ちこの細胞層の薄膜である。このやうに雞などでは、初め細胞の層ができて、その一部は雛の體となり、殘りの部は雛を包む囊となるのであるから、これを譬へていへば、恰も布を縫うて人形を造るに當り、大きな布を切らずに用ゐ、人形に續いたまゝの殘りの部でその人形を包んだ如くである。同一の材料の一部で人形を造り、その續きでこれを包む囊を造つたと想像すれば、丁度雛の卵の内で、同じ細胞層から雛の身體と雛を包む羊膜とが出來るのと同じわけに當る。
[やぶちゃん注:「羊膜」昆虫類及び脊椎動物羊膜類の発生過程で形成される胚膜の一つである。英名“amnion”。受精卵が卵割を経て数百から千個ほどの細胞の集まりになると、その一部に将来胚を形成する部域が分化してくるが、それにつれてその周辺の外胚葉及び中胚葉の細胞が襞(ひだ)となって持ち上がって来、胚体の上に前後左右から覆い被さるように伸びて胚体の上部で出会い、出会った部分の隔壁が消えると、胚は結局、二重の膜、羊膜と漿膜(しようまく)となる。その孰れもが中胚葉に裏打ちされた外胚葉の薄膜で、これらを総称して羊膜と呼称する(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠る)。
「黃身の上面に必ず一つの小さな圓い白い處がある」胚である。]
[第四週の胎兒と羊膜]
[やぶちゃん注:本図は国立国会図書館蔵の原本(同図書館「近代デジタルライブラリー」内)の画像からトリミングし、やや明るく補正した。講談社学術文庫版の図は白く飛んで見難いので、こちらを採用した。]
發生中に判斷の出來ることは、脊骨を有する動物の中でも鳥類・獸類・龜・蛇・「とかげ」の類に限ることで、魚類や蛙・「ゐもり」の類には決してない。「ゐもり」と「やもり」とは外形がよく似て居るので隨分混同して居る人も少くないが、その發生を調べると、「ゐもり」の方は羊膜が出來ぬから魚類と同じ仲間に屬し、「やもり」には立派な羊膜が出來から寧ろ鳥類の方に近い。されば發生に基づいて分類すると、脊椎動物を無羊膜類と有羊膜類との二組に分ち、前者には魚類と兩棲類とを入れ、後者には哺乳類、鳥類、爬蟲類を組み込むことが出來る。人間も他の獸類と同じく、發生中には羊膜が出來て常に胎兒は羊膜内の羊水の中に漂うて居る。二箇月三箇月の頃に流産すると小さな胎兒が薄い羊膜の囊に包まれたままで生まれ出るが、月滿ちて生まれる場合には、羊躁はまづ破れて羊水が流れ出で、それと同時に兒が子宮から出て來る。但し稀には「袋兒」と稱へて、羊膜が破れず、これを被つたまゝで兒が生まれることもある。
[五箇月の胎兒
胎兒を包む薄い膜の囊は所謂羊膜である この圖では羊膜の一部を縱に切り開いて内部の胎兒を直接に示した 胎兒の肩の上に載つてゐるやや太い紐は臍の緒]
[やぶちゃん注:本図は国立国会図書館蔵の原本(同図書館「近代デジタルライブラリー」内)の画像からトリミングし、やや明るく補正した。講談社学術文庫版の図は白く飛んで見難いので、こちらを採用した。個人的に非常に感銘する作画で、これこそ現今の写真に勝る博物画の美観と言えると私は信じて疑わない。]
動物を通常胎生と卵生とに分けるが、以上述べた通り、羊膜を生ずるのは胎生するものと、卵生するものの一部とに限られてある。蛙も雞も同じく卵生であるが、その發生を調べて見ると、羊膜の有無に就いては卵生の雞は卵生の蛙に似ずして、却つて胎生の獸類の方に遙に近い。大きな卵を産む鳥と微細な卵細胞を生ずる獸類とに、なぜ羊膜が出來て、その中間の大きさの卵を産む蛙になぜ羊膜が出來ぬかとの疑問は返答が難かしいやうに思はれるが、段々調べて見ると、獸類は決して極昔の先祖以來常に微細な卵ばかりを生じたのではなく、最初はやはり今日の龜や「とかげ」の類もしくは「かものはし」などの如き大きな黃身を含んだ卵を産んだのが、その後次第に胎生の方向に進み、卵は少しづつ小さくなつて、終に今日見る如き極めて微細な卵細胞を生ずるに至つたものらしい。かく考へねばならぬ論據は發生學上の詳細な點にあるゆえ、こゝには略するが、たゞ羊膜の生ずる有樣だけから見ても、獸類と鳥類とは共に初め比較的大きな卵を産む爬蟲類から起り、鳥類の方は飛翔の必要上益々完全な卵生の方に進み、獸類の方は卵を安全ならしめるために長く體内に留め置き、母體と子の體との相接觸する所から、その間に新な關係が生じ、母體から絶えず滋養分を供給し、卵はそのため豫め多量の黃身を含み居る必要がなくなり、終に模範的の胎生となつたのであらうと思はれる。かやうに考へると、獸類の微細な卵から子が發生するに當つて、鳥類に於けると同じやうに羊膜の生ずるのは、共に先祖の爬蟲類から遺伝によつて傳はつたものとして、初めて了解することが出來る。
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