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2015/07/10

生物學講話 丘淺次郎 第十二章 戀愛(16) 五 縁組(Ⅳ) まとめ

Gorirakazoku

[『「ゴリラ」の家族』]

[やぶちゃん注:本図は底本では省略されていて存在しない(本底本の挿絵の省略は珍しい。最早、動物園で馴染みの知られたゴリラの図を載せる必要はないと考えたものか)ので、国立国会図書館蔵の原本(同図書館「近代デジタルライブラリー」内)の画像からトリミングし、補正をしたものである。]

 

 これに反して獸類には一夫一婦のものは極めて稀で、「さい」の類が雌雄一對で生活するといふ話はあるが、これも眞僞の程が疑はしい。多くの場合では牝牡はたゞ交尾の時だけ相近づき、その他のときは別に生活して、子を育てることは牝ばかりでする。猫や犬はその例である。但し狐などは子が育つまでは牡も牝と一緒に居るが、子が相應な大きさまでに育つと牡は去つてしまふ。また牝牡が常に集まつて生活して居る種類ならば大概一夫多妻で、小鳥類に見る如き嚴重な一夫一婦の緣組は決してない。馬・牛・羊・鹿なども一疋の牡が多くの牝を率ゐ、「をつとせい」なども牡は體が遙に大きく、大抵一疋で二三十疋の牝を統御して居る。かやうな種類では生まれた子が成長しても組を離れぬので、老若、牝牡を交へた大きな群が生ずる。アフリカの平原にいる「しまうま」・「かもしか」類の大群や、アメリカの廣野にいた野牛の大群は、かくして成り立つたものである。猿類には數百匹の大群をなすものもあるが、普通の種類は十數疋乃至數十疋位づつが一團を造つて生活する。そして各團には必ず一疋の強い牡があつて絶對に權威を振ひ、その命に從はぬものは殘酷に罰し懲らす。その代り敵でも近づいたときには、この牡が獨り蹈み止まつて部下のものを安全に逃げ去らしめる。團中の牝は悉くこの一疋の牡の妻妾であつて、若しも他の若い牡が牝に近づきでもすれば、殆ど死ぬ程の目に遇はされる。すべての牝は常に努めて團長の機嫌を取り、果物などを持つて來て捧げ、團長は威張つてこれを食ひながら兩手で左右に一疋づつ牝を抱へたりしてゐる。即ちこの牡は牙と勇氣との實力によつて、他から犯すことのできぬ位置を保つて居るのである。猩々などの如き人間に近い大きな猿は常に小さな家族を成して、親と子とが一處に生活して居るが、これも決して嚴重な一夫一婦ではないらしい。

[やぶちゃん注:「獸類には一夫一婦のものは極めて稀」哺乳類の中で一夫一婦制を採っているのは全体の三%と極めて低い。調べて見ると、生態学的に一夫一婦制を採っていると認識されているものは、類人猿ではサル目真猿亜目狭鼻下目ヒト上科テナガザル科テナガザル属 Hylobates のテナガザル類、他の名の知れているものでは食肉(ネコ)目イヌ科イヌ亜科イヌ属コヨーテ Canis latrans、イヌ科タヌキNyctereutes procyonoides(五亜種有り)、ウマ目バク科バク属マレーバク Tapirus indicus などがいる。ペット・サイト「PECO」の「愛する伴侶と一生を共にする…一夫一妻制の動物を集めてみました」も参照されたい。

『「さい」の類が雌雄一對で生活するといふ話はあるが、これも眞僞の程が疑はしい』現在の記載ではサイが一夫一婦制であるという記述は見当たらない。

『「をつとせい」なども牡は體が遙に大きく、大抵一疋で二三十疋の牝を統御して居る』これはあたかも♂の方が♀よりも有意に大型である性的二型と一夫多妻が密接に連関しているかのように書かれてあるが、現在の生物学及び生態学の知見では性的二型は寧ろ、本来は一夫一婦制を支持する生態形態であると考えられているようであるから、この丘先生の叙述は少しおかしい(後の注のオランウータン研究者久世濃子サイトの「Q and A」の「オランウータンは一夫多妻ですか?」の記載冒頭を参照されたい)。

「かもしか」とあるが、アフリカとあり、改訂版では「羚羊」と書き換えられているので、これは現在のウシ目ウシ亜目ウシ科 Bovidae のレウヨウ或いはアンテロープ(Antelopeのことである。ウィキの「レイヨウ」によれば、『ウシ科の大部分の種を含むグループ。分類学的にはおおよそ、ウシ科からウシ族とヤギ亜科を除いた残りに相当し、ウシ科の』約百三十種のうち約九十種がこのグループに含まれ、かく呼称されるが、「レイヨウ」は正規の生物学的な分類群ではなく、「レイヨウ」『と呼ばれる生物は、ウシ科の多くの亜科(ヤギ亜科以外の全て)に分かれて存在する。多くはレイヨウ同士より、それぞれがウシかヤギにより近い関係にある。多くの異なる種があり、大きさも、小型のものから非常に大型化する種まで、さまざまである』。『古くは「カモシカ」と呼ばれることもあった。「カモシカのような足」というときの「カモシカ」は、本来はレイヨウのことである。しかし現在でいうカモシカはヤギ亜科に含まれ、レイヨウには含まれない』。『なお、レイヨウの亜科のひとつにアンテロープ亜科(ブラックバック亜科)があるが、このアンテロープはAntelopeではなく、模式のブラックバック属 Antilope のことである。アンテロープ亜科はアンテロープの中の1亜科であり、オリックス、インパラなど代表的なレイヨウの多くが別亜科である』(下線やぶちゃん)。……「かもしか」のような肢の「かもしか」は「羚羊」で「カモシカ」でなく「カモシカ」は「レイヨウ」でないし、「アンテロープ」亜科の「アンティロープ」は「アンテロープ」でない……落語みたような話である。

「アメリカの廣野にいた野牛」アメリカ合衆国中西部からカナダ西部に棲息するウシ目ウシ亜目ウシ科ウシ亜科バイソン属アメリカバイソン Bison bison 。丘先生が「いた」とという過去形を用いているのは、乱獲と保護政策をとらなかった結果、十九世紀末には個体数が約七百五十頭にまで激減していたからである(本書初版は大正五(一九一六)年)。現在は保護策によって北米全域で約三十六万頭にまで回復している(以上はウィキアメリカバイソンに拠った)。

「猩々などの如き人間に近い大きな猿は常に小さな家族を成して、親と子とが一處に生活して居るが、これも決して嚴重な一夫一婦ではないらしい」「猩々」はインドネシア(スマトラ島北部及びボルネオ島)・マレーシア(ボルネオ島)に棲息する霊長目ヒト上科ヒト科オランウータン亜科オランウータン属 Pongo を指す(現在はボルネオオランウータン Pongo pygmaeus とスマトラオランウータン Pongo abelii の二種とする見方が有力。かつては後者は前者の亜種扱いとされた)。オランウータン研究者久世濃子サイトの「Q and A」の「オランウータンは一夫多妻ですか?」によれば、元来は一夫一婦制であったと思われるが、現在は実質的には乱婚形式を採っていると考えられる、とある。丘先生はここに本来はオランウータンの家族画像を入れたかったのであろうが、適当なものが見当たらず、ヒト科ゴリラ属 Gorilla の家族の挿絵を入れられたものと推察する。]

 

 このやうに鳥類には一夫一婦のものが頗る多いに反し、獸類の方は大概一夫多妻であるのはなぜかといふに、これは恐らく子を育てるに當つて、兩親が同樣の役を務めるか否かに關係することであらう。鳥類は卵生であるから卵を産んだ後は雌も雄と同樣に身が輕く、卵を温めるにも雛を育てるにも、雌雄が同じ仕事をすることが出來るが、獸類は胎生であつて、長い間胎内に兒を養ふことも、生まれ出た兒を乳汁で育てることも、皆雌の獨占事業であるから、雄は別に世話のしやうもない。鳥類では壞れ易い卵を安全に温めるための巣を造るにも、速く成長する雛に十分の餌を與へるにも、雌雄二疋が力を協せてこれに從事することが種族維持の目的に最も適するから、自然に一夫一婦の定が生じ、獸類の方では形の具はつて生まれた子に、雌が乳を吞ませさへすれば種族維持の見込みが立つから、雄はたゞ子の育つ間、敵に對して雌と子とを護るものがあるに過ぎぬのであらう。

[やぶちゃん注:以上を以って「第十二章 戀愛」は終了する。]

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