金剛光中の遊戯 村山槐多
金剛光中の遊戯
l
とある日紫の空そよとも動かず
太陽の金絲は重たく輝やけり
とある廢園の垣のすきまより
覗き見たるわれはおどろけり
2
三人の貴婦人遊戯するなり
何事とも知らざれど遊びたはむる
まばゆき金剛光の中に
なまめかしくそが紅の着物は戯むる
3
あるひは泣き或は美しく
あるひは悦び或はみにくし
すべてあでにみやびやかなる振舞にて
ひたと耽れり美しくあやしき遊戯に
4
金剛光はかきみだされふみにぢられて
かしこにここにあへぐなり
貴婦人の貴き四肢のふるまひに
寶玉の冷たさを打消しつ
5
われその美しさに面あかめつ
見入りし時貴婦人の綠と群靑と櫻色との
三すじの帶はゆるやかにまたいとも鋭く
ふと三角形をつくりけり金剛光のその中に
6
あなはしけやき貴婦人の遊びは
金剛光のその中に花とにほひつ
われには見えぬ大なるブラジルのダイヤモンドの遊戯
この晴れし日の廢園に
7
太陽の金絲はすべてこの貴婦人に耽溺し
空はそよとも動かざりき
なべての物は重たくは見えたれども
すべてみなカラツトをもて計られたり
8
美しき鋭き女聲は
印度の舞妓の豪奢なる衣をまとひ
あでやかに空におどれり金剛光の中を出でて
紫に銀に靑に
9
われはみとれて時忘れしが
いつしかに靑きたそがれ落ちきたりて
廢園の貴婦人の遊戯も去りて
空なる金剛光演劇の舞臺の燈よりあざやかにあとに殘りぬ。
[やぶちゃん注:「4」の「ふみにぢられて」「あへぐなり」、「5」の「三すじ」、「8」の「おどれり」はママ。なお、本篇末には編者山本太郎氏による『註』が附されてあり、『金剛光とは鑛物學上金剛石の發する光の事 adamautive 』とある(改造文庫版註もこの綴り)。この最後にある英語は普通の辞書には載らない語であるが、研究社の「リーダーズ+プラス」を見ると、「非常に固い・堅固無比の・磐石の・不屈の」という形容詞“adamant”には、名詞としては詩語で「鉄石のような固さ」、古語として「無砕石」(想像上の石で実際にはダイヤモンドや鋼玉などを指す)があり、形容動詞として“adamantly”もある。さらに「光沢などがダイヤモンド(金剛石)のような」という意の“adamantine”という単語も見出せる。接尾語“-ive”は「~の傾きのある」「~の性質を有する」の意を意味するが、概ね、名詞として用いられるものが多いから、ここは編者山本太郎氏は「ダイヤモンドのような光」の意でこの単語を出しておられるものかとは思われるものの、一般的な英語とは思われず(ネット検索でも見当たらない)、失礼乍ら、この“adamautive”という綴りは“adamantive”の誤植(活字がひっくり返った)としか思えないのであるが、如何であろう?
全篇の最後、「8」の最終行の「金剛光演劇」は「全集」では「金剛光遊戯」となっている。これも例外的に原稿が残っていて、かく校訂したものなのだろうか?]