フォト

カテゴリー

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 僕の愛する「にゃん」
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の Pierre Bonnard に拠る全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

無料ブログはココログ

« 「氷の涯」は「舞姫」であり同時に極東版心中物である | トップページ | ブログ開設10周年記念 夢野久作「氷の涯」 PDF縦書版 »

2015/07/06

氷の涯 夢野久作 (22) 了 ――キリ―― ブログ開設10周年記念

一部、前の部分をダブらせてある。
 
今日はブログ開設10周年記念である。それに合わせてコーダを今日までずらした。本ブログ読者諸君に深謝する――

而して……そのお詫びも用意してある……♪ふふふ♪……




「……そりやあ左樣(さう)ね……」

 ニーナは何かしら外(ほか)の事を考へて居るらしく形式的にうなづいた。

 その顏を見い見い僕は淋しく笑つた。

「お前と一緒に逃げたお蔭で、とうとう結末が付いちやつたね」

 ニーナはプイツと拗(す)ねたやうな恰好でペーチカの方に向き直つた。さうして思ひ出したやうに、梨の喰(く)ひさしとナイフを頭の上に高々とさし上げて、

「……あアあ、妾(わたし)の仕事もおしまひになつちやつたア。……アンタに惚れたのが運の盡きだつたわよ」

 といふうちに又もガリガリと梨を嚙り始めるのであつた。

 僕は美味(うま)い葉卷の煙を天井に吹き上げてゐた。

 氣のせいか又も二三發、停車場(ていしやじやう)の方向で銃聲を聞いたやうに思ひながら……。

 病氣のせゐもあつたらう。すべてを諦め切つてゐた僕の神經は此時、水晶のやうに靜かに澄み切つてゐた。さうして此時ぐらゐ煙草が美味(うま)いと思つたことは無かつた。天井から吊るした十燭(しよく)の電燈が、ちよつと暗く……又明るくなつた。

[やぶちゃん注:●「十燭」現行の白熱電球の十ワット相当で非常に暗い。]

 その時にニーナは又も、新しい小さい梨を一つポケツトから出して、今度は丁寧に皮を剝いた。さうして其の白い、マン丸い、水分の多い肌合ひを暫くの間ヂツと眺めまはして居たが、やがてガブリと嚙み付くと、スウスウと汁を畷り上げながら無造作に云つた。

「ねえアンタ」

「何だい」

「……妾(わたし)と一緒に死んでみない……」

 僕はだまつてゐた。ちやうど考へてゐたことを云はれたので……

「ねえ。……ドウセ駄目なら銃殺されるよりいゝわ。ステキな死に方があるんだから……」

「フーン。どんな死に方だい」

 と僕は出來るだけ平氣で云つた。少し許(ばか)り胸を躍らせながら……ところが、それから梨を嚙み嚙み説明するニーナの言葉を聞いてゐるうちに僕はスツカリ興奮してしまつた。表面は知らん顏をして葉卷の煙を吹き上げ吹き上げしてゐたが、恐らく此時ぐらゐ神經をドキドキさせられた事はなかつたであらう…。

 僕はニーナの話を聞いてゐるうちに、今の今までドンナ音樂を聞いても感じ得なかつた興奮を感じた。僕の生命(いのち)の底の底を流れる僕のホンタウの生命(いのち)の流れを發見したのであつた。……さうして全然生れ變つた樣な僕自身の心臟の鼓動を、ガムボージ色に棚引く煙(けむり)の下(した)にいきいきと感じたのであつた。

[やぶちゃん注:●「ガムボージ色」“Gamboge”はインドシナ半島に植生するオトギリソウ科の雌黄樹から採る透明感のある黄又は黄褐色のガム樹脂。有毒。

 ――以下、残りの印象的なコーダの部分に注打ちたくないので、総て、ここに示すこととする。……ニーナの……素敵な笑顔の……澄んだ瞳に、乾杯!――

●「無煙炭」固定炭素含有量九十三~九十五%以上の炭化の最も進んだ石炭。黒色で硬く、金属光沢がある。火力が強く、殆んど無煙で燃焼する。揮発成分が少いために短炎で燃える(非粘結性でコークスにはならない)。着火点は凡そ摂氏四百九十度で火が点き難い難点があるが、火力が強く、一旦着火すれば一定温度を保って安定して燃え続ける。 ●「荷馬車揚場」船舶に積まれた荷を陸に揚げると同時に、その場で馬車に積めるようになっている場所の謂いであろう。 ●「ルスキー島」о́стров Ру́сскийо́стров(オストロフ)はロシア語で「島」。ロシア沿海地方南部ウラジオストクの南洋上にあるルースキー島。ウィキの「ルースキー島」によれば、『日本海北西部のピョートル大帝湾中央部にあるムラヴィヨフ=アムールスキー半島の南沖に浮かんでおり、半島先端の港湾都市ウラジオストクとは狭い東ボスポラス(東ボスフォルとも)海峡で分かれている。ムラヴィヨフ=アムールスキー半島とルースキー島がピョートル大帝湾を二分しており、西はアムール湾、東はウスリー湾となっている。ポポヴァ島、レイネケ島、リコルダ島などと共にイェフゲニー諸島を構成している』。面積は九十七・六平方キロメートルあるが、起伏が多く、高さ三百メートル弱の峰が連なって(最高峰はルースキー山で標高二百九十一メートル)おり、『海岸は険しい断崖が多い。ルースキー島の中央には、北西から南東に向けて細長いノヴィク湾が入っており、島はほぼ二分されている。対岸のウラジオストク市街との間は渡船で結ばれているが、ルースキー島連絡橋が建設されている』とある。エンデイングのためにグーグル・マップのウラジオストクとルースキー島をリンクしておく。 ●「或る老看守から傳へ聞いて居たものださうだが」の「だが」は底本では「なが」。誤植と断じて「全集」に従って例外的に訂した。]

 ニーナはその晩から部屋を飛出して準備を始めた。さうして昨日(きのふ)の午前中に三階(がい)に住んでゐる支那人崔(さい)の手を經て、馬付きの橇(トロイカ)を一臺手に入れる約束をした。それから宿の拂ひと買物をした殘りのお金で、昨夜から今日一日ぢう、御馳走を食べ續けて無煙炭(むえんたん)をドシドシペーチカに投げ込んだ。

 僕は病氣も何も忘れて此の遺書を書き始めた。發表していゝか惡いかを君の判斷に任せるために……尤も書きかけの西比利亞漂浪記(シベリアへうらうき)の中から抽(ひ)き出して書いたのだから、大して骨は折れなかつた。

 ニーナはまだ編物を續けてゐる。寄せ絲で編んだハンドバツグ見たやうなものが出來上りかけてゐる。

 注文した馬と橇(トロイカ)はモウ下の物置の中に、鋸屑(おがくづ)を敷(し)いて繫いで在る。張り切つてゐる若馬だから一晩ぐらゐ走り續けても大丈夫だと、世話をしてくれた崔(さい)が保證した。

 僕等は今夜十二時過(すぎ)に此の橇(トロイカ)に乘つて出かけるのだ。先づ上等の朝鮮人參を一本、馬に嚙ませてから、ニーナが編んだハンドバツグに、やはり上等のウヰスキーの角瓶を四五本詰め込む。それから海岸通りの荷馬車揚場(あげば)の斜面に來て、そこから凍結した海の上に辷(すべ)り出すのだ。ちやうど滿月で雲も何も無いのだからトテモ素敵な眺めであらう。

 ルスキー島(しま)をまはつたら一直線に沖の方に向つて馬を鞭(むちう)つのだ。さうしてウヰスキーを飮み飮み何處までも何處までも沖へ出るのだ。

 さうすると、月のいゝ晩だつたら氷がだんだんと眞珠のやうな色から、虹のやうな色に、變化して、眼(め)がチクチクと痛くなつて來る。それでも構はずグングン沖へ出て行(ゆ)くと、今度は氷(こほり)がだんだん眞黑(まつくろ)く見えて來るが、それから先は、ドウなつてゐるか誰(たれ)も知らないのださうだ。

 この話はニーナが哈爾賓(ハルピン)に居るうちにドバンチコから聞いてゐたさうで、そのドバンチコは又、或る老看守から傳へ聞いて居たものださうだが、大抵の者は、途中で醉ひが醒めて歸つて來るさうである。又年寄りの馬はカンがいゝから、橇(トロイカ)の上の人間が眠ると、すぐに陸(をか)の方へ引返(ひきかへ)して來るさうで、その爲に折角(せつかく)苦心して極樂往生を願つた脱獄囚が、モトの牢屋のタヽキの上で眼を醒ました事があるといふ。

「……しかしアンタと二人なら大丈夫よ」

 と云つて彼女が笑つたから、僕は此のペンを止(と)めて睨(にら)み付けた。

「若(も)し氷(こほり)が日本(にほん)まで續いて居たらドウスル……」

 と云つたら彼女は編棒(あみばう)をゴヂヤゴヂヤにして笑ひこけた。

――をはり――    

« 「氷の涯」は「舞姫」であり同時に極東版心中物である | トップページ | ブログ開設10周年記念 夢野久作「氷の涯」 PDF縦書版 »