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2015/07/10

(無題「全身に酒はしみゆき……」)   村山槐多

全身に酒はしみゆき

ぶどうの房のゆるるに似たる

美しき豐なる思ひみなぎり

われはうれしさに耐へがたし

 

酒杯を打ちて語れる

電の如くはげしき友よ

わが心ののどかさは

五月の野の如し

 

唇は甘味になれんとし

心は光のうちに消えんとす

何もなし何もなし

われは愚人となりて坐せり

 

ただ酒にもてあそばる

小鳥の舌の如く顫へて

またつかれに似たる

埒もなきうるはしの醉に、

 

林檎の水に沈むが如く

花の燃へ落つるが如く

美しき醉は次第に

われを抱きて沈む

 

酒杯を打ち眼を血走らせ

手負ひしが如く語る友よ

君の昂上をわれは遠きかなたより

打ながめほほ笑むを知らずや、

 

    ×

うるはしき少女よ

小鳥の樣に首打放り

花を求め繪をねだる

 

甘き風ましぐらに吹き

咲かんとして櫻はためらふ

 

さびしくわれは眼をあげて

この春のはじめの樣(さま)に

微笑をいざなはれぬ

 

    ×

岩の如くわれは坐せり

春の笛の鋭き吹奏は

風の如くわれを打てり

われは岩の如く打默す

 

苦がき曲がりたるわが心よ

春は羽根の如く空をとびて

われを笑はし躍らしめんとするに

岩の如く默してあり、

 

    ×

力を私はしまつておく

女が寶玉を祕藏する如く

 

時々私はそれを取り出す

それをみせびらかす

その美しい豪華な一ときを樂しむ

 

力のしまひ場所のある限り

その鍵のなくならぬ限り

私はこよなくも富んだ者である

 

その力は現世の最貴であり

そしていつでもとり出せるから

 

     ×

美しい血のうるほひよ

電車の中、路の上

いつまでもめつける事の出來る

人間の血のうるほひよ

 

このうるほひのある間

自分は世にも幸福である、

 

    ×

君ちやん

おれは眞劍だ

この眞劍さを知つて居て呉れ

おれは暴風の中の小鳥の樣に

そなたの前にをののいて居る。

 

    ×

眞紅の燈しびが白晝

少女の頰をてらし

雲は煮えたぎりし絹布の樣に輝やき

草木は美裝をこらし

家は鑛物の樣に立つて居る

 

牛は醉つて居るし犬は色情に狂ひ

人々はうたつて居る

 

自分は

酒も呑まず

煙草も喫はず

女にもふれぬ

と固く決心して眉を上げた、

 

そして紅く燃える綠の平原を

飛びゆく彈丸の樣に通過して

遠くへ逃げて行つた、

 

    ×

何をわれ作り出さんとする

このさびしさをもて

この光なき心をもて

われ何を作るべきか

ああ神よ

われは何物をつくるべく選ばれたるものなるか。

われにつくるべき物なし

されども何物をか作らんとする慾望身をやかんとす、

神よ、

わが道を明に啓示し給へ、

 

    ×

われは茫然とす、

眞に茫然とす、

長き放埓の後に

輕くめざめて、

 

何物もなかりき

しかり何物も、

 

    ×

二十才の女よ、美しい神秘な物、

黄色い果實のくだける樣な

何とも言へぬなやましさよ、

泣いたり笑つたりするのであらう、

それから甘へたりすねたり、

女よ、女よ、つんつんとしてその底には

淫婦の微笑をおしかくしたる、

充(み)ち切つた女よ、

君のわがまゝな選擇の中に私もとり上げられん事を

神に祈つて置かう。

 

    ×

耐へがたい

五月の空 夜の

點々と燈 川にうつり

涙に似たる 銀の星

空にふる

ああ、ああ、

わが靑春

あへなく 過ぎゆく。

 

    ×

紫の花、火に燒くるが如し

なまめかしき女の眼

執念深き蛇の血が薄く

そのまはりに汗ばみたり。

 

その眼は星の如く動きゆく

新富町の河岸を

その眼はじつと深き戰慄を射込んだ

私の春情になやむ心の底に、

 

    ×

美は火花なり

影、はやく、閃めき強し

 

その火花は

いまわが世界を轟かす

かのひとの面に、

かのひとのからだに、

 

戀は燃ゆ、爐の如く

君に、君に

君に、

 

    ×

ああわれをまどはし

ひきよせる美しの力

その危險性をよくしりたれども

いかで抗するを得んや

 

恐ろしきサイレンのうたよ

われは一切をなげうつとも

 

    ×

全身はしびれわななき

惡は滿ち溢る

 

ああ惡魔の血にかへられし

呪はしきわれ自らよ、

 

強き「美」の一たび飛び來りて

わが善き靈をよみがへらしめよ、

 

よみがへれ、よみがへれ

わが善き心。

 

 

[やぶちゃん注:本篇は無題である。「全集」は「全身に酒はしみゆき」と標題する。

「ぶどう」はママ。

「花の燃へ落つるが如く」の「燃へ」はママ。

「昂上」熟語としては「向上」に同じい。内田魯庵の「家庭の読書室」に『知識慾も精神上の昂上心も無い先生たちは一向不自由をしない』という用例がある。

「いつまでもめつける事の出來る」の「めつける」はママ。西日本の広範な方言としては一般的。私は鎌倉生まれで関東在住が長いが(中高の六年間は富山県高岡市伏木)「めっける」はしばしば用いる。

「君ちやん」不詳。女性ではあろう。

「家は鑛物の樣に立つて居る/牛は醉つて居るし犬は色情に狂ひ」この改行部分、底本では改頁であるが、明らかに一行分の空きが作られていることが視認出来る。「全集」は連続している。従わない。

「われにつくるべき物なし」改造文庫版(但し、抜粋)も同じ。ところが「全集」は「われにつくるべき物なり」とある。これでは詩句として繋がらない。明らかに「全集」の誤植である。

「君のわがまゝな選擇の中に私もとり上げられん事を」「全集」は「とり上げられる事を」となっている。不審。

「新富町の河岸」東京都中央区新富町であろう。東が月島、西が銀座、南が築地、北が八丁堀で、花街として賑わった。当時は松竹の経営に移った新富座もあった。osampo-ojisan氏のブログ「東京地形・湧水さんぽ」の第17回 新富町駅~月島駅には、『明治時代の地図を見ると、この入船橋交差点から八丁堀駅に続いている新大橋通りはかつて運河があり、新富河岸という舟入り場があったようだ。それゆえ、ここは入舩町と呼ばれたのだろう』ともあるが、果してこの時代にその河岸が残っていたかどうかまでは確認出来なかった。識者の御教授を乞うものである。]

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