譚海 卷之一 病犬を病せし藥の事
病犬を病せし藥の事
○江戸に病犬の出來たるは享保より此かた也。以前はなき事也。一年叔父宅にある犬、土用中に雀の樹より落(おち)て死したるをくひて、病つきくるひたるに、霍亂の藥を飮せければ、忽ち愈たりとぞ。
[やぶちゃん注:「病犬を病せし藥の事」の表題はママ。「癒せし」の誤りか。
「病犬」「やまいぬ」と訓じている可能性が高い。しかもこれは広義の噛み癖のある悪しき性質(たち)の犬の意の「病犬」ではなく、真正の狂犬病ウィキの「狂犬病」によれば、本邦では記録が残る最初の流行は江戸時代中期の享保一七(一七三二)年、『長崎で発生した狂犬病が九州、山陽道、東海道、本州東部、東北と日本全国に伝播していったことによる。東北最北端の下北半島まで狂犬病が到着したの』は宝暦一一(一七六一)年のことである、とある。長崎……この時の流行は異国船によって齎されたものか?……思い出さないか?……怪しげなエイズ・ウィルス発見者(私はエイズを想像した悪魔の科学者と確信している)ロバート・ギャロが日本の鎖国時代に長崎の出島にサルをペットに連れてきた外人がおりそれが日本人のエイズの濫觴だというトンデモ説を述べていたのを!……因みに……孰れも発症した場合は致死率がすこぶる高い病気(但し、例えば狂犬病発生地域に行く前に感染前(暴露前)接種=予防接種を行うか、感染動物に噛まれた後(暴露後)、なるべく早く、発症前にワクチンを接種するならば発病を免れる)であるという共通点までそっくりではないか……
「犬」「病つきくるひたるに」これは狂犬病ではない。また死んだ雀が病因とも限らず、病名は不詳である。ただの吐き下し、或いはただ小骨が咽頭に刺さっただけのようにも思われる。
「霍亂の藥」「霍亂」は漢方で日射病や熱中症を指す。また、広く、夏に発症し易い、激しい吐き気や下痢などを伴う急性の病態(コレラを含む)をも言った。「藥」愛犬とはいえ、高価な漢方調剤を飲ませたとも思われないから(霍乱の特効薬には木乃伊(ミイラ)などというとんでもないものもある)、当時、暑気払いに盛んに愛飲され、霍乱除けともされた枇杷葉湯辺りか。]