畫具と世界―種々の感想 村山槐多
畫具と世界―種々の感想
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わが全身はたえまなくわが世界と交接する、眼も、耳も、鼻も、青も、肌も、肺も。わが全身はくまなく好色だ。中でも二つの眼玉は凄いほどのドン・フアンだ、私は自分でこの二人のドン・フアンを律する事が出來ぬ。
けふも見よ、彼等は代々木の松の木とつるんで居た。□□の血で眞赤に染んだ世界と。
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ああ、うら若い□□のたくましい□□に於けるが如く、物凄いある超自然の感じを以て自然はわが全身にせまる、この感じは、ああこの感じは。
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眞夜中の眞のくらやみにふとめざむれば、わが世界は、わが全身をおしつけて眼から涙を押し出した。夜があけて、太陽が出たらああ、眼から何が出やう。
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痛ましい血族のある最後の血の袋が私のからだ。やぶれかけた血の袋がこの私。
一九一九年の一月の末のある夜、代々木にころがつた赤いソーセージ。ああこの血の袋を世界が押しつぶさうとするではないか。
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むちを上げて私をたたいておくれ、私の肺をひきさき、私の心臟に穴をあけ、私の胃をくさらせ、私の骨をくだき、私の肉にうじむしをははせておくれ。最後に腦みそを赤インクで染め□□を斷つておくれ、もつと最後に眼玉をくりぬいておくれ、そしてとどのつまりに私の靈を地獄へ追ひこんでおくれ、私の可愛いい、うつくしい惡魔さん。
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ああ、すべては喜劇と悲劇とだ、すべてはシネマトグラフで輕業でパノラマでキネオラマだ、その他だ。何故ならば女が私にひぢをくはした事は、悲劇で、私がえらい畫描きになれば、それは喜劇だ、あらゆる家庭や世間の出來事はシネマトグラフのたえまない興行で眼にうつる景色はパノラマだ。
こんな風に考へたあとでやつぱりいけない。
さびしくなつた、私は見物と役者とのあひのこか。
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をどれ、をどれ、をどれ、をどれ、手をふるはし足をふるはせ、そして血のめぐりを強め、美の絹服を織れよ、そして心をもおどらせよ。
そして心のちり、すなはち屈托とさみしさとをふりおとせよ、をどれ、おどれ、おどれ、眞から水が一杯ほしくなるまで。
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絶えず磨け、みがけ、そしてすりへらせ、心を、しんほど光る金剛石を、そうだ心をみがけ、せめてみがいた樣に見せておけ。
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食べつくさぬお菓子がある、たべやう、たべやう、なくなるまで、このたとへ方は自然についてのなんと云ふ淺はかな言ひ方だらう、しかし五十年かかつてもそのお菓子がなくならなかつたら。
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一切はかりのすがたである事がすこしづつわかつて行く、すべては流轉すると云ふ事がすこしづつわかつて行く、この世界が、おのれの影があざやかになつてゆく、そのたんびに私は哄笑する。その癖に、私はわづか一圓のお金で死ぬ程くるしむ事もあれば、十町の泥道で死ぬ程、氣がふさぐ事もある、ましてや人殺しをしたら、親不孝をしたら、どんなに私はつまづきまよふ事だらう、一切のぼんなうを斷つ事は出來ることか、是か非か。
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やはりガランスを文房堂へ行つてかふ事にしやう。一月二十六日夜
[やぶちゃん注:本篇は彌生書房版「増補版 村山槐多全集」では「感想」の部に入っており、実は私はこの「感想」に分類されてある六篇総てを遠い昔に電子化している。しかし、今回、「槐多の歌へる」を読むと、そこでは詩篇としてこれを採り上げており、しかも再度この「畫具と世界―種々の感想」を熟読してみるに、これはアフォリズムというよりも散文詩に近いことが判った。そこで底本に従い、ここに改めて全くゼロから「槐多の歌へる」を基に電子化した。なお、「全集」では各段落冒頭を総て一字下げにしてある。また、伏字部分を編者山本太郎氏は以下のように推定復元しておられる。伏字を含む箇所を補填して一条分総てをしめす。
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わが全身はたえまなくわが世界と交接する、眼も、耳も、鼻も、青も、肌も、肺も。わが全身はくまなく好色だ。中でも二つの眼玉は凄いほどのドン・フアンだ、私は自分でこの二人のドン・フアンを律する事が出來ぬ。
けふも見よ、彼等は代々木の松の木とつるんで居た。魔羅の血で眞赤に染んだ世界と。
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ああ、うら若い女性のたくましい乳房に於けるが如く、物凄いある超自然の感じを以て自然はわが全身にせまる、この感じは、ああこの感じは。
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むちを上げて私をたたいておくれ、私の肺をひきさき、私の心臟に穴をあけ、私の胃をくさらせ、私の骨をくだき、私の肉にうじむしをははせておくれ。最後に腦みそを赤インクで染め魔羅を斷つておくれ、もつと最後に眼玉をくりぬいておくれ、そしてとどのつまりに私の靈を地獄へ追ひこんでおくれ、私の可愛いい、うつくしい惡魔さん。
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「染んだ」は「しんだ」或いは「そんだ」でマ行五段活用動詞「染む」(そむ/しむ)の連用形である「染み」の撥音便形に完了・存続の助動詞「だ」が付いた形。すっかり染まってしまった。
「眼から何が出やう」の「出やう」はママ。
「シネマトグラフ」cinématographe (フランス語)は、世界初の撮影と映写の機能を持つ複合映写機のこと。一八九〇年代に発明され、世界初の実写映画の作成と映画を商業公開することで映画史に名を残した。参照したウィキの「シネマトグラフ」によれば(アラビア数字を漢数字に代えた)、『リュミエール兄弟が発明したとも、レオン・ボウリーが発明したとも言われている』が、『一説には、エジソンの開発したキネトスコープを、リュミエール兄弟の父であるアントワーヌが一八九四年のパリにて目の当たりする。これをきっかけに、息子兄弟に動画の研究を勧め、キネトスコープを改良、映像をスクリーンに投影することによって、一度に多くの人々が鑑賞できるシネマトグラフを開発。リュミエール兄弟は特許を取得したとされる』。『シネマトグラフを用いて、一八九四年に世界初の実写映画『工場の出口』(原題:La Sortie de l'usine Lumière à Lyon)が作成された。製作・監督はルイ・リュミエール、フランスのリヨンで撮影された、五〇秒ほどのモノクロ無声ドキュメンタリー映画である』が、最後のものは私も見たことがあるかなり知られたものである。本篇は大正八(一九一九)年年初の作であるから、「工場の出口」から二十五年後のことである。
「パノラマ」半円形に湾曲した背景画などの前に立体的な模型を配し、照明によって広い実景を見ているような感じを与える装置で、本邦では明治二三(一八九〇)年に上野公園で初めて公開された。なお、映画用語としては狭義にはフィルムの縦横比が3:1のものを指すがここは前者であろう。
「キネオラマ」和製英語「kineorama」で映画の意の「キネマ」(kinema:kinematograph の略)と「パノラマ」(panorama)の合成語。パノラマ写真に色彩光線を当てて、景色を変化させて見せる装置。明治末から大正にかけての興行物として流行った。
「心をもおどらせよ」はママ。後の三度出る「おどれ」もママ。
「そうだ心をみがけ」の「そうだ」はママ。
「たべやう」(二箇所)ともにママ。
「一圓」現在の凡そ千四百円ほどに相当。
「十町」ほぼ一キロメートル。
「文房堂」「ぶんぱうだう(ぶんぽうどう)」と読む。現在も神田神保町にある創業明治二〇(一八八七)年の老舗画材店。それでも公式サイトを見ると、専門家用絵具を発売したのはこの二年後の大正一〇(一九二一)年とあるから、槐多が求めたガランス(茜色)の絵の具は舶来品であったものと思われる。]