氷の涯 夢野久作 (19)――エンディングの月を考証する――
それから橇(トロイカ)で浦鹽(うらじほ)に這入つてスヱツランスカヤの裏通りの公園に近い處にある穢(きたな)い乞食宿(こじきやど)に泊つた。舊式煉瓦(きうしきれんぐわ)を四角い煙突みたいに積み上げた五階の天井裏の一室で、ぺーチカの薪を擔(かつ)ぎ上げるのが一仕事であつた。宿主(やどぬし)の名前は忘れたがシワクチヤナとかクチヤクチヤナ(洒落ではない)とか云ふ浦鹽(うらじほ)生え拔きの因業婆(いんごふばゝあ)で、醜業婦(しうげふふ)や旅藝人、密輸入者、賭博打(ばくちうち)、インチキ兩替屋(りやうがへや)なぞが各階にゴチヤゴチヤしてゐた。
[やぶちゃん注:「スヱツランスカヤ」須藤康夫氏のサイト「百年の鉄道旅行」の「東清鉄道 ウラジオストック」に掲げられてある戦前の日本製の地図及びグーグル・マップを見ると、ゾロトイローグ(金角)湾(グーグル・マップは「ソロトイ・ログ」)の北岸を東西に走る通りに「スヴェトランスカヤ通り」というのを現認出来る。多くのネット記載から、現在もここはウラジオストク一二の繁華街で、レストランなども並んでいることが分かるので、ここであろう。エンデイング近くで、駅裏での処刑の銃声らしきものが聴こえてくるシーンがあることを考えると、彼らの木賃宿はこのスヴェトランスカヤ通りの西(現在の金角湾に南北に南北に渡る橋よりも西側)辺りにあったのではないかと推定される。]
此處に落ちつくとニーナは、クチヤクチヤ婆さんを通じて何處かの親分にワタリを附けたらしい。例の通りの鉛白粉(なまりおしろい)と紅棒(べにぼう)で毒々しくお化粧をして、スヱツランスカヤの大通りに並ぶレストランや珈琲店(カフヱ)を軒別(けんべつ)に踊つてまはつた。
しかし僕は一歩も外に出さなかつた。
「浦鹽(うらじほ)には日本軍が駐屯してゐる。おまけに亞米利加(アメリカ)の軍艦が引上げてからと云ふもの、どうした譯か日本軍のスパイの詮議が滅茶苦茶に八釜(やかま)しくなつたらしい。一週間に一人位(くらゐ)宛(づつ)、停車場裏(ステーシヨンうら)の廣場で銃殺される音が聞えるといふからヂツとして待つて居なさい。そのうちに氷(こほり)が解けたら、ジヤンクに乘つて上海(シヤンハイ)にゆけるから……」
さう云つて僕に黑麺麭(くろパン)と、酒と、罐詰めを當(あ)てがひながら口笛を吹き吹き出て行つた。僕は其の留守中にいつも手風琴(てふうきん)を彈いたり、西比利亞漂浪記(シベリアへうらうき)を書いたりしてゐたが、長いこと旅行を續けた揚句に來た幽囚(いうしう)同樣の生活だつたから、たまらなくわびしかつた。疲れ切つて歸つて來る彼女の醉拂(よつぱら)ひ姿はなほさら文句なしに悲しかつた。さうして二月に入ると僕はスツカリ健康を害してしまつたらしく、ニーナの留守中に薪を荷(かつ)ぎ上げるのが容易ならぬ苦痛になつて來た。多分一度罹つた肋膜が再發したものであらう。輕い熱と咳さへ出て來たのであつたが、しかし僕は苦心して此事をニーナに知らせないやうにした。
けれども、かうした僕の苦心は、そんなに續ける必要が無かつた。二月に入つてから間もない一昨日(さくじつ)(八日(か))の晩の事であつた。ニーナが平生(いつも)よりも早く九時半頃(ごろ)、帽子も冠(かぶ)らないまゝ大雪を浴びて歸つて來たから寢てゐた僕は眼を醒まして、
「……どうしたんだえ……」
と問うた。またお客と喧嘩して來やがつたな……と思ひながら……。
[やぶちゃん注:「二月」大正一〇(一九二一)年二月。いつもお世話になっている「こよみのページ」で調べると、その二月「八日」は火曜日(この夜が新月)で、以下の会話のシークエンスは二月十日木曜の晩に設定されてある。……ということは……本作の印象的なコーダは……そこから丸二日後、遅くとも四日後と考えられるから(支度に有意にかかっていることが分かるが、探索の手が伸びる可能性が示唆されているから、これ以上は考え難い)、それは――二月十三日(日曜)・十四日(月曜)十五日(火曜)未明の午前零時――ではなかったろうか……因みに……それらの夜の月は……切れそうな上弦の三日月である……そうして……そうして十五日だったなら……彼らが旅立つ午前零時頃……月の光は……旅立つ二人を……煌々と照らし出していたものと思われる……]