夢野久作詩歌集成 『心の花』掲載短歌群 大正五(一九一六)年
未だ見ぬ國
秋の夕かのニコライの鐘打てば病院の窓いくつ閉すも 杉山萠圓
[やぶちゃん注:これ、ロケーションが病院であるところに膽(まさに「キモ」)がある。]
麥の芽の黑土原に輝やけば羽根大きなる鳶低く飛ぶ
山の彼方まだ見ぬ國に巨人ありて寢そべりて居る秋高晴るゝ
黑ん坊が腕組をして立ち並ぶ平たく丸き落日の下
まじめなる吾が顏をふと見出でけり厨の隅の水甕の底
野の涯に破れたる甕の捨てゝあり中に一匹のこほろぎ住めり
[やぶちゃん注:禪の公案を髣髴とさせる。]
秋の風山の手線のシグナルのカタリと色をかはしける哉
梨畑の雞を鼬にとられにき其夜の月はまんまるかりき
[やぶちゃん注:既にして猟奇歌。]
あやつりのおいらんの首がつくりとうなだれて見る秋の夜の灯
[やぶちゃん注:後の川柳「あやつりは役目が濟むと首を釣り」より遙かによい。やはり既にして遙かに猟奇歌。]
艸に來て艸の色してきりぎりす今宵の月に霜に枯るるか
男はありと云ふ女は無しと云ふ何事かしらず冬になりゆく
[やぶちゃん注:ありがちな前衛短歌のようだが、面白い。]
樹の幹をわが拳もて打ちたゝきわが罪責むる冬のたそがれ
(大正五(一九一六)年二月号)
眼閉れば風の聲のみ胸に滿つ雲行き絶えよ草枯れ果てよ 杉山萠圓
春淺みしろかねの矢の野に落ちてゆくへもしらず曉となる
血ばしつた卵の黄味のおそろしやまん中の眼のわれをにらめる
[やぶちゃん注:目の付け所がよい。久作ならではの一首である。]
此月此日水より淡き陽の下に風茫々と野山をめぐれる
霜の朝殘んの月に似たる哉此の世を寒くひとり行く身は
[やぶちゃん注:「殘んの月」老婆心乍ら、「のこんのつき」と読む。明け方の空に残っている月、残月のこと。]
(大正五(一九一六)年三月号)
重たき雨
春いく日心重たき雨の色緋に紅に崩るゝ牡丹 杉山萠圓
渡殿に燭のまばたく夢心地牡丹はいつか崩れ了(をは)んぬ
から國の御代も果かや力なし牡丹のいくつ崩れゆく春
春いく日褒姒(ほうじ)は遂に笑まずして牡丹のいくつ崩れ了んぬ
[やぶちゃん注:「褒姒」西周の幽王の后で、決して笑わない絶世の美女(名は陝西褒城にあった姒姓を持つ国人の国である褒が献じた女であったことに由来するという)。幽王は彼女を何とか笑わようとするが悉く失敗する。ところが、たまたま、手違いで諸侯を参集させる合図の烽火(のろし)を上げてしまい、諸侯が群参する様を見たところが、彼女が微笑んだため、彼はその後、褒姒の微笑み見たさに、たびたび烽火を上げ、諸侯は辟易してしまう。後に彼女のせいで幽王の后の座を追われた申后の父申侯が西方の異民族犬戎(けんじゅう)とともに幽王を攻めてきた。直ちに烽火を上げたが、諸侯は何時ものそれと呆れて全く参集せず、幽王は殺され、西周は滅んだ(褒姒の消息は捕虜になったとも殺されたとも伝え定かではない)殷の妲己(だっき)・夏の末喜(ばっき)と並ぶ傾城傾国の美女とされるが、唯一、私の好きなファム・ファータルである(いや、もう一人、越の西施がいた)。]
花の雨わびつゝひとり帶とけば夢心地して燭のまばたく
南國の淫らなりける罪悔いて毒を仰ぎし黑ダリヤ花
[やぶちゃん注:キク目キク科キク亜科ハルシャギク連ダリア属 Dahlia の内濃い暗赤色の花弁の色を持つダリア。グーグル画像検索「黒ダリア」をリンクしておく(因みに、その向きの好きな方は即座に小説にもなったアメリカで起ったブラック・ダリア殺人事件を思い出されるであろうが(私も実はそうであった)、あれはずっと後、戦後の昭和二二(一九四七)年一月の事件である。]
彼の女ゴジツク式の寺の窓暮るゝが如くわれとへだてぬ
紫陽花が田舍を出でてはるばるとお江戸に着きぬ五月雨の頃
(大正五(一九一六)年五月号)
« 夢野久作詩歌集成 『心の花』掲載短歌群 大正四(一九一五)年 | トップページ | ついさっき! うれぴーことあり! »