大和本草卷之十四 水蟲 介類 榮螺
【和品】
榮螺 漢名未知順和名佐左江中夏ノ書ニ出處未
見之本邦ニ甚多シ頗佳品トス無毒然レ𪜈堅硬ノ物
不益人殻ニ角多キアリ無角アリ鎌倉ノ海ニ左顧ノ榮
螺アリ下ノ半邊ノミアリテ小ナリメクリニ角アリイツレモ
左ノ方に顧ル○生ナルヲヨク打テ煮レハ軟ニナル
○やぶちゃんの書き下し文
【和品】
榮螺(サヾヱ) 漢名、未だ知らず。順が「和名」に『佐左江(サヾヱ)』。中夏の書に出づる處、未だ之を見ず。本邦に甚だ多し。頗る佳品とす。無毒。然れども、堅硬の物、人に益せず。殻に角〔(つの)〕、多きあり、無角あり、鎌倉の海に左顧(まき)の榮螺あり、下の半邊のみありて小なり。めぐりに角あり。いづれも左の方に顧〔(まく)〕る。生なるをよく打ちて煮れば、軟かになる。
[やぶちゃん注:腹足綱古腹足目サザエ科リュウテン属 Turbo サザエ亜属 Batillus サザエ Turbo cornutus 或いは Turbo (Batillus) cornutus 。寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」から「榮螺」を引いておく〔 〕内は私の訳)。
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さざゑ
【和名、佐左江。】
榮螺
「和名抄」に「食經」を載せて云ふ、『榮螺子は蛤に似て圓き者なり。』と。
△按ずるに蚌(ばう)は長く、蛤(かう)は團く、螺(ら)は曲り尖る。此の物、螺の屬にして蛤に似ず、體、團くして、尾、盤曲(めぐ)り尖り、外、灰-皁〔黒。〕色。岨※(たかひく)あり。内、白く、口、圓く深く、厴(へた)、圓く厚く堅く白色にして、細小なる鮫粒〔鮫肌のような粒状突起。〕有り。裏、赤褐色、滑かなり。之を煮て、厴を脱(のぞ)き、其の肉、一端は黑く、一端は黄にして、中は白く、尾は長く、盤-屈(めぐ)りて、碧色にて腸を包む。肉味、甘くして、硬く、厚し。腸・尾を去りて切りて、醤油を和して再たび殻に盛り、之を煮熟して食ふ。之を壺熬(つぼいり)〔或いは「つぼやき」と読んでいよう。〕と謂ふ。攝〔摂津。〕・泉〔和泉。〕の産は、小さくして圓く、殻背、甚だ麁(もろ)からず。角(つの)無く、味、最も勝れり。或は生ながら炭火に投じて、厴、開くを俟(ま)ちて、醤酒に和して、煮て食ふ。腸、苦く、而も亦、佳なり。之を苦燒(にがやき)と謂ふ。諸螺の中、特に上饌に充つ。關東の産、殻、角有りて、大なり。
[やぶちゃん字注:※=「山」+「吾」。]
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因みに、良安は他には附している中国音を「榮螺」には附していない(次注参照)。
「漢名、未だ知らず」現行の中国語では「角蠑螺」であるが、時珍「本草綱目」(明代)には載らない。但し、荒俣宏氏の「世界大博物図鑑 別巻2 水生無脊椎動物」の「サザエ」の項には(コンマを読点に代えた)、何故か、食の王国のはずの『中国人はサザエをさして珍重せず料理書をみても、サザエを使った料理はほとんど見当たらない』とされつつ、唐代に書かれた陳蔵器の「本草拾遺」には、『サザエの蓋を焼いて粉末にしたものは、疥癬や頭瘡を治したり、ヘビやサソリやハチに襲われたさい、その痛みをやわらげる効果があると』記してあるとあった。この原文を探してみたところ、中文サイトの「甲香」の解説頁に「本草拾遺」から『主甲疽、瘺瘡、蛇蠍蜂螫、疥癬、頭瘡、嚵瘡』と引くのを見出した。しかもこの解説文中には『蠑螺』とある。「蠑螺」は現行では「珠螺」などの古腹足目サザエ科リュウテン属リュウテンサザエ(龍天栄螺)Turbo petholatus などの本邦のサザエを含むリュウテン属 Turboの漢名である。
「中夏」中華。「大言海」には、「夏」は「華夏」の略でかの古代中国の国であった「夏」又は「夏」で大きいの意、とある。
「殻に角、多きあり、無角あり」私は「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「榮螺」の前項の「にし/あぎ 蓼螺」(アカニシ)の注でこれらの腹足類は同種であっても、生息域が外洋に面し波浪が強ければ有角となり、比較的波の穏やかな内湾のものは無角となると述べ、今までそう思っていたのであるが、今回、ウィキの「サザエ」を読んだところ、『殻に棘があるものと無いものがあり、それぞれ有棘型、無棘型と呼ばれるが、棘の発達の度合いは色々あり、成長の途中から棘が出たり、あるいは消失したりする場合もある』(但し、この箇所には要出典要請が求められている)。『棘の発達した外海の個体を水流のない水槽などに移して飼育すると、その後は多くの個体で棘を形成しなくなり、逆に棘の発達しない個体を外海に放流すると棘を形成することが知られている。このため、かつては「波の荒い外海に棲む個体は流されるのを防ぐために棘を形成し、波の荒くない内海ではその必要が無いため棘無しになる」という説があった。しかし、実際には波の荒い地域であってもトゲ無しの個体が確認され、またその逆の場合も存在し、飼育実験でも個体によっては棘の有無と水流とが合致しない例もあることから、棘の有無には環境要因と遺伝的要因の両方が関与しているのではないかと考えられるようになった』(但し、この箇所にも要出典要請が求められてはいる)とあった。この筆者の説を以って貝類蒐集家たる私もそれを支持するものである。
「鎌倉の海に左顧(まき)の榮螺あり、下の半邊のみありて小なり。めぐりに角あり。いづれも左の方に顧〔(まく)〕る」「新編鎌倉志卷之七」の現在の逗子の「杜戸明神」の項に、
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賴朝の泉水 岩間(いはま)に淸冽たる水あり。昔は左卷(ひだりまき)の榮螺(さざい)あり。若し是を得れば神物なりとて、其の儘(まま)海へ歸(かへ)し入るゝなり。又此の砂濵に相思子(すがい)も多くあり。
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とある。この「左卷の榮螺」について、私はそこで以下のような注を附した。
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腹足類(巻貝)の巻きの方向は貝の頂頭部を上にして、殻の口が見えるように持った際、殻の口が向かって右側に見えるものを右巻き、左側に見えるものを左巻きと規定する。通常、巻く方向は種によって定まっており、腹足類の九割の種は右巻きと言われる(右旋回する理由はよく分かっていない)。但し、左右両巻きがどちらも存在する種にあっては内臓の配置も左右逆になっていることが確かめられており、現在の知見では巻く方向は、単体の遺伝子若しくは強く連鎖した複数個の遺伝子によって決定されていると考えられていることから、サザエの特異な左巻き個体出現し(発見論文を確認したわけではないが存在するようである)が常に「神物」として、特異的に同一海域に戻されプールされ続ければ、森戸の海岸に左巻きの遺伝子を持ったサザエが多く生息していたとしても不思議ではないように思われる。
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なお、平凡社の「世界大百科事典」のサザエの項の「民俗」に千葉徳爾氏が『巻貝としては右巻きのものが一般的であるが、左巻きのサザエもあり、《鎌倉巡覧記》に見える源頼朝が舟遊びのときに左巻きにしたサザエをまいたので、鎌倉産のサザエは皆左巻きになったという伝説は、それがまれなものであるということを説明するものであった』(コンマを読点に代えた)と記しておられるのであるが、肝心の、この出典である「鎌倉巡覧記」というのは、上記の「新編鎌倉志」の原型となった「鎌倉日記(德川光圀歴覽記)」の誤りである。当該部はその「杜戸」の条で、『左リ卷ノ采螺、昔ハアリシガ、今ハナシト也。若是ヲ取レバ神物也トテ、其僅海へ歸シ入ルト云』とあるのを指す。但し、この益軒の言うところの「左巻きの栄螺」であるが、下の半分位しかない、即ち、螺殼の巻が異常に小さく、その周囲に有意な棘が出るというのは正直、非常に不審である。もしかすると全く異なった別な貝を誤認している可能性もあるやに思われる。]