(無題/「人々よ……」) 村山槐多
千九百十六年(21)
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人々よ
わが惡しき凡庸を笑ふか
笑へ、嘲けれ
この惡しき遊惰が
如何なる健康を産むかを
われは心に數千の寶玉を貯はへ
身に黄金を裝ひて
汝等の前に現はるべし
必ず現はるべし
その時汝等の驚ろきは
わが知る所ならず
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貧しくも光れ輝やけ
強きダイヤモンドの如く
靑く、赤く、黄いろく
とゞろきめぐるこの世に
血走りさわぐわが體に
靈こそはめざめたれ
めざめたれめざめたれ
曉の眼の如く
いざわれは光らん輝かん
かくて走らん自動車の如く
とくとく勇ましく
晝夜わかたず
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ただ現在のみを愛せよ
現在によかれよと心はねがふ、
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ダヌンチオの本を古本屋さんにわたすと
お禮に五十錢玉を呉れた、
ぴかぴか光る銀の五十錢を、
私は牛乳屋へ行つてあつい乳を呑ましてもらつた、
お禮に五錢やつた、
たばこ屋さんであさひを貨つたから十錢出した、
ふらふら歩いて居る内に乞食に五錢出した、
夕方に活動寫眞へ這入つたら
入口で美しいねいさんに十錢とられた、
出てなわのれんでごはんをたべて二十錢銀貨を出したら
二錢かへして呉れた、
二錢もつてかへつた、
二錢抱いて寢ちやつた、
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なわのれんをくゞると
愛らしい女の子は私にごはんを
持つて來て呉れた
澤山たべておなかがふくれた
善い氣持さ
「おあしはいくらだい」と私が言ふと
その子がよせ算をしてくれる
「はい二十錢」
安い物だ、かちんと銀貨をやつた、
さあと立ち上つて外へ出ると
外は花の樣に晴れて居る
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室をとび出て薔薇の樣な空の下に立ちどまり
「はていまゝで吸つてた卷たばこはどこへすてたかな」
と思へば氣になり出す
も一ペん室にもどつてあちこちさがせば
灰に半分なつたたばこめは
横になつた手鏡の上にのつて居た、
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苦しめよ
一切の苦しみを味はへよ、
そは腐肉の鹽を吸ふ業なり
苦痛こそ汝の
ただ一箇の蘇生の道なり、
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われは美しき若者と呼ばれ
光榮ある美術家と呼ばれん事を
強きギリシア的思想のもとに願ひ
そこに達せんと努むべし、
われはよき節制と
よき勤勉とに依りて
心に光を滿たし
身に輝きを添へん、
われは信實を貴とび
卑しき噓僞をにくまん、
われはいま此こにざんげす
過去の惡しき放埓の生活を、
しかして入る
嚴格なる眞の快樂の道に、
あゝ惡魔よ、われを去れ、
われを去れ、
[やぶちゃん注:本篇は無題である。「全集」は「人々よ」と題する。
「ねいさん」「なわのれん」(二箇所)はママ。
「ダヌンチオの本」「ダヌンチオ」はファシスト運動の先駆とも言える政治的活動を行ったことで知られるイタリアの詩人で作家のガブリエーレ・ダンヌンツィオ(Gabriele D'Annunzio 一八六三年~一九三八年)。本名はガエターノ・ラパニェッタ(Gaetano Rapagnetta)。本邦では「ダヌンツィオ」「ダンヌンチオ」「ダヌンチオ」とも表記する(以上はウィキの「ガブリエーレ・ダンヌンツィオ」に拠る)。彼の本(彼についての解説本ではなく)で槐多が読んだものを推定するなら、この三年前の大正二(一九一三)年に刊行されて爆発的な人気を博した生田長江訳の「死の勝利」(Il Trionfo della Morte 一八九四年作)ではないかと思われる。
最後から二つ目の連の冒頭「苦しめよ」の後には底本では、読点のような汚れのようなものが視認出来る。しかし、他の読点の箇所から明らかに下がっており、形もそれらの活字と異なっていて、しかも有意に滲んでいる。かなり迷ったが、汚れと判断して無視した。「全集」には打たれていない(今までも概ねそうだが、「全集」の句読点は底本初出とは全く異なり、明らかに編者によって〈殺菌〉整序されてしまっている。そのために本来の槐多の詩のリズムが完膚なきまでに把握出来なくなっていしまっていると私は大真面目に思っている)。
「噓僞」はママ。「全集」は「虚偽」とする。
「出てなわのれんでごはんをたべて二十錢銀貨を出したら」この一行は「全集」では、
*
出てなわのれんでごはんをたべて
二十錢銀貨を出したら
*
と改行されている。]