音の連續 村山槐多
音の連續
音がつらなつて心の底にきこえる
喇叭のふちの樣に輝いた心に
美しい音だ
耳を澄ますとその音は私の眼でひゞき
眼をみはつておどろけばその音は
私の總身で
私の全身に音が起り
それがつらなつて順々にきゝ知る
凉しい嬉しい音だ
高く強く澄みきつた音だ
ダイヤをひゆつと晴れた空にとばす時か
フルートの一息の吹奏か
階段を走り上る踊子の足音か
悦ばしい音がたえまなくひびく
嬉しくなる
幸福だ
何と云ふ幸福な私の心
音がひびく、いつまでもつづく
かけあしの兵隊だ
遠い花火の連續だ
はつはつはつと
ほんとに私の喉まで笑ひ出した、
×
苦がい命をかみしめて
君の面を見てくらす
それしと思ふ一ときは、
×
善い女貴とい女まるい女
玉の樣な女
そなたはそんな女だ
そなたは北極のまん中に輝やく氷山の樣に冷めたい
ひとりぼつちだ、透明だ
そなたは風のひびきだ
そなたは心だ
そなたはしたしめないある高い物だ
完全な直圓體だ、高等數學だ
そなたは心のものさしだ
私の心の、
×
マチスの覗(ねら)ふ單純化はチヽアンの單純化だ
我等の覗ふ複雜化は歌麿の複雜化だ、
×
運命は美しい布だ
奇怪な印度さらさだ
花は輝やき人は走り
馬は血に染む
笑ふ物、泣く物
高まる物、低き物
この布を裸身につけて
われは踊る
いのちの短かき一をどり
×
そなた見捨てゝひとり來た
九十九里の濱に
美しい海のほとりに、
×
寒い風がひゆつと私を吹きとうした
こゝは九十九里の濱だ
四つん這ひになつても追つかない程な
茫々とした砂つ原だ
海が惡龍の樣にあの砂丘のあつちにかくれて居る
そしてうなつて居る
私はひとりぼつちだ
女を、不思議な戀人を離れて私は來た
このすさまじい海邊に居る
寒い風が私をいたはつて呉れない
私はひとりだ
はやくあの人の眼の前に
また私のゆがんだ顏を持つてかいらう
[やぶちゃん注:「ある四十女に」で引いた「全集」の大正六(一九一七)年四月の年譜記載に従うなら、この中で語りかける女は、かの「をばさん」「モナリザ」ということになる。リンク先の記載ではあたかも四月中に房州へ旅立ったかのように読めるが、これは記載の不親切で、彼の日記を見ると旅立ったのは大正六年も押し詰まった十二月二十八日で(底本に載る同日の日記中に、『午食後兩國ステーシヨンへ行つて成東行の汽車に乘つた、四時過鳴浜につく、日が暮れたので、いなりやなる安宿へとまつた』とある)、草野心平「村山槐多」の年譜には、『翌年・大正七年一月二日の帰京まで鳴浜、片貝に写生旅行をする』とある。鳴浜(なるはま)村と片貝(かたかい)町は孰れも現在の千葉県山武郡(旧山辺郡)の、九十九里浜中央に位置し、昭和三〇(一九五五)年には片貝町・豊海(とよみ)町と鳴浜村の一部が合併して九十九里町と改称している。
「ダイヤをひゆつと晴れた空にとばす時か」「全集」は「ダイヤをひゆつと晴れた空はとばす時か」となっている。「全集」の誤植としか思われない。一体、この彌生書房「増補版 村山槐多全集」の校正は誰がやったのか? と叫びたくなること頻りである。
「苦がい」はママ。
「それしと思ふ一ときは、」はママで「全集」も何も注さないが、私が馬鹿なのか、この一行、意味が分からない。
「ひとりぼつちだ、透明だ」の「ひとりぼつち」は底本では「ひとりぱつち」。誤植と断じて訂した。無論、「全集」は「ひとりぼつち」となっている。
「チヽアン」既注。ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)。
「寒い風がひゆつと私を吹きとうした」はママ。
「かいらう」はママ。]