小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(一九)
一九
『たゞこれだけ――鳥居、貝殼、綾織模樣り小蛇、石――を見物に行つたのか?』と讀者はいふかも知れない。
その通りだ。しかし實際私は魅惑を感させられたのだ。この場所には、何とも云へない、一種の忘れ雖い、竦(ぞつ)とするやうな氣分の伴ふ妙趣がある。
この妙趣は珍異な光景のみから生ずるのではない。さまざま微妙な感覺や思想が織込まれ混じ合つて起るのだ。森や海の心地よい鋭い香、悠々自由に吹く風の、血色を晴れやかにし、元気を快活にするやうな肌觸り、古びた神祕的な苔蒸せる石像の默々たる哀訴、千歳聖土と稱せらるゝ地を踏むと思へば、油然として湧き起る一種敬虔の念、世々の巡禮の足に踏まれて、形のないまでに磨滅せる岩の階段を見ては、人間的義務として禁じ難き、信仰に對する同情の感など、一々數へ切れない。
その外、消し難い記憶がある。靄(もや)の不思議な幕を隔てて、海を繞らせる眞珠貝の都を初めての眺め。天鵝絨の如く滑かで、跫音の立たぬ、褐色の砂地を越えて、可愛らしい島ヘ近づいて行く邊の風吹き渡る入口。靑銅の大鳥居の凄い莊巖さ。輕快な露臺が鋭い影を投げて、風變りて、高い勾配のある、奇怪な檐を有てる町。海風に搖らるゝ、染めた布の暖簾や、謎のやうな文字を書いた旗。奇異な店肆の眞珠光り。
それから、すばらしい日光の印象――神々の國の日光――西洋で見るよりも更に高き太陽。また、海と天日の間に聳ゆる、あの綠色で、神聖な、靜けき島の峯からの壯觀。また、神聖そのまゝの如く靈的で、光そのまゝに淸く白い雲を有てる空の記憶。また、その雲は實際雲でなくて夢か、或は一種の靑い涅槃に永遠溶け込まんとする菩薩の靈のやうに見えた。
それから、また辨天――美の神、愛の神、雄辯の女神――の奇しき物語。彼女がまた海の女神と稱せらるゝのも當然である。その故は、海こそは語り手のうちで最も古く、最も優れたもの――久遠の詩人、韵律世界を振蘯し、宏辭何人も傚ひ難き神祕的讚歌の唱謠者ではないか?
[やぶちゃん注:「千歳聖土」江島神社は社伝によれば欽明天皇一三(五五二)年に神宣に基づいた欽明天皇の勅命によって江の島の南の洞窟に宮を建てたのを始めとすると伝えるから、ハーンが訪れた明治二三(一八九〇)年からは千三百三十八年前となる。
「油然」老婆心乍ら、「ゆうぜん」で、盛んに湧き起こるさま、心に浮かぶさまをいう。
「靄の不思議な幕を隔てて、海を繞らせる眞珠貝の都を初めての眺め。天鵝絨の如く滑かで、跫音の立たぬ、褐色の砂地を越えて、可愛らしい島ヘ近づいて行く邊の風吹き渡る入口。靑銅の大鳥居の凄い莊巖さ。輕快な露臺が鋭い影を投げて、風變りて、高い勾配のある、奇怪な檐を有てる町。海風に搖らるゝ、染めた布の暖簾や、謎のやうな文字を書いた旗。奇異な店肆の眞珠光り。」この部分、失礼乍ら、落合氏の訳は如何にもこなれておらず、詰屈にして聱牙(ごうが)である。愛する平井呈一氏の訳は以下の通り。
《引用開始》
お伽の国の霧のヴェールをへだてて、海に囲まれた真珠貝の町を初めて眺めた時のあの景色。また、ビロードを張りつめたような、足音も立てない茶色の砂浜を、潮風に吹かれながら、美しい島へと、乗り込んで行った時のあの心持。唐銅(からかね)の大鳥居の、あの神がかりじみた荘厳味。高い露台の影をくっきりと投げている奇妙な坂町の、おかしな軒を並べた夢のような町。潮風にへんぽんとひるがえる色とりどりの染めのれんや、謎(なぞ)めいた文字を記した幟(のぼり)のはためき。あっと驚くようなあの店屋の中の真珠光。
《引用終了》
「その故は、海こそは語り手のうちで最も古く、最も優れたもの――久遠の詩人、韵律世界を振蘯し、宏辭何人も傚ひ難き神祕的讚歌の唱謠者ではないか?」「韵律」は「いんりつ」で韻律、韻文の持つリズム、「振蘯」は振盪に同じく、激しく揺り動かすこと、「宏辭何人も傚ひ難き」は「こうじなんぴともならひがたき」と読んで、「宏辭」は宏詞と同じで、優れた詞章、「傚ひ難き」は真似することが出来ないの意である。う~ん、ここも落合先生、やっぱりちょっと詰屈聱牙で御座います。すみませんが、また平井先生のを引かさせて戴きまする。
《引用開始》
なぜというに、海こそは、最も古い話術の名人、――海こそは、永遠の詩人、波の韻律をもって世界を震盪(しんとう)する、神の讃歌の歌い手ではないか。その海の大いなる調べは、いかなる人間も、これを学ぶことはできないだろう。
《引用終了》
最後に。……遂にハーンは江の島で弁天の像を見なたったことになる。そのことについて、「一七」でハーンは中津宮に到達した時点で、『が、そこに辨天はゐない!辨天は神道家の手によつて隱されてしまつた。この第二の祠は第一の祠と同樣に空虛だ』と既に述べて、この最後の部分では特にそれについて不服も何も述べていないのであるが、では実際には弁天像――正式には妙音弁財天女像――「裸弁財天」の別名で知られていた――幼女のような女性器を忠実に彫り込まれてあった――琵琶を抱えた形の全裸体座像の――彼女は一体、何処に居たのであろうか?――彼女は彼が『そこに辨天はゐない!』と心の内で叫んだその時この時! 確かにすぐ――ハーンのすぐ近くに居たのである! では、何故、拝観出来なかったのか?……それはかの悪名高き廃仏毀釈と、その会陰彫琢への好奇によって彼女が著しく傷ついて少女の惨殺遺体のようになっていたからであると考えてよい。……しかも管理していた江島神社の神官は、異国人であったハーンが破損が激しくても是非にと切に望んだとしても、恐らくはその秘所の彫琢の特異性に於いて、淫祠邪教の偶像と誤認されることを虞れ、殊更に見せようとしなかったものとも推理されるのである。私の所持する昭和二八(一九五三)年芸苑巡礼社刊の堀口蘇山著になる「江島 鶴岡 弁財天女像」によれば、以下のようにある。『神仏分離後、尊像は中津宮の一隅に居候した。裸形が奇心を呼びて土地の子供等が格子の間から竹棒で秘部を突いた』。『子供故に竹棒の先には大した力は這入らなかつた。それが為に秘部は胡粉が落ちたのみで』、『その中の核子』(彫琢されたクリトリスのこと)『は寸傷すら蒙らなかった』。『或る日には社司の眼を盗んで中に入り、お前一寸こつちへ来い。と呼んで手を引張り、足を引張つた。遂に』『手と足とを捥ぎ取られて紛失した』(同書にはその、現在あるように修復される前の損壊画像も掲げられてある)。さらにそこに『横向きになつてゐた爲か左の手足のみが損失しただけで、右手は完全に保存され右足は脚踉(ひざ)から先で、まあまあ不幸中の幸であつた。之は土地の古老二三人から聞いた実話であつて、その古老達はその徒小僧』(いたずらこぞう)であり、且つ腕白な餓鬼連中の『親分格であつた。当像が貴き尊体であることを私が説明をした。その時には古老連はそんなことゝは知らなんだ、勿体ないことをしてすまないと懺悔話を一入』(ひとしお)『して笑いつつ別れたことがあつた』とある。これは時代的に見てもハーンが訪れた時から時間が経っての後の話とは到底思われない、貴重な明治後期の話であろうと思われる。ここでは天女像が見られるようにではなく、横向きにした状態で、中津宮の格子のある場所に押し込められていたことが分かる。更に、同書には修理前の昭和四(一九二九)年春の当弁天像の保管場所についても、『中津宮の右側の上段に安置されてあつた』、『即ち修復前には此の上段の床下の一隅に破損したまゝ置かれてあつた』ともあるのである(以上の下線は総てやぶちゃん)。……実際、同書に載る修復前の複数の写真を見る限り(正直、猟奇事件の惨殺遺体そのものである)、ハーンは見なくて正解だったと心底、私は思っているぐらいである。……]
Sec. 19
'And
this,' the reader may say,—'this is all that you went forth to see: a torii,
some shells, a small damask snake, some stones?'
It is
true. And nevertheless I know that I am bewitched. There is a charm indefinable
about the place—that sort of charm which comes with a little ghostly 'thrill
never to be forgotten.
Not of
strange sights alone is this charm made, but of numberless subtle sensations
and ideas interwoven and inter-blended: the sweet sharp scents of grove and
sea; the blood-brightening, vivifying touch of the free wind; the dumb appeal
of ancient mystic mossy things; vague reverence evoked by knowledge of treading
soil called holy for a thousand years; and a sense of sympathy, as a human
duty, compelled by the vision of steps of rock worn down into shapelessness by
the pilgrim feet of vanished generations.
And
other memories ineffaceable: the first sight of the sea-girt City of Pearl
through a fairy veil of haze; the windy approach to the lovely island over the
velvety soundless brown stretch of sand; the weird majesty of the giant gate of
bronze; the queer, high-sloping, fantastic, quaintly gabled street, flinging
down sharp shadows of aerial balconies; the flutter of coloured draperies in
the sea wind, and of flags with their riddles of lettering; the pearly
glimmering of the astonishing shops.
And
impressions of the enormous day—the day of the Land of the Gods— a loftier day
than ever our summers know; and the glory of the view from those green sacred
silent heights between sea and sun; and the remembrance of the sky, a sky
spiritual as holiness, a sky with clouds ghost-pure and white as the light
itself—seeming, indeed, not clouds but dreams, or souls of Bodhisattvas about
to melt for ever into some blue Nirvana.
And the
romance of Benten, too,—the Deity of Beauty, the Divinity of Love, the Goddess
of Eloquence. Rightly is she likewise named Goddess of the Sea. For is not the
Sea most ancient and most excellent of Speakers -the eternal Poet, chanter of
that mystic hymn whose rhythm shakes the world, whose mighty syllables no man
may learn?
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