日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十九章 一八八二年の日本 大日本水産会での講演
七月五日、私は招かれて、日本水産委員会で智的な日本人の聴衆を前に、講演をなした。華族女学校で会った皇族の一人が出席され、非常に親切に私に挨拶された。私は欧洲や米国の水産委員会がやりとげた事業と、魚類その他海産物の人工繁殖による成功とに就て話をした。
[やぶちゃん注:磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」によれば、明治一五(一八八二)年六月の『モースの来日目的は陶器および民具類の収集だったので、動物の採集や貝塚の研究はまったく行なわなかったが、講演は何度かしている。その最初が』本文にも前に出た、『六月三十日に木挽町明治会堂で開かれた東京生物学会主催の「化醇論」(進化論)』で、それに続くものがこれで、『大日本水産会の招待で、農商務省の議事堂において「水産の緊要」と題して、欧米の水産事業と人工養殖について話した。同会の会頭は東伏見親王で、このときモースは名誉会員に選ばれている。『東京日日新聞』の七月十四~十七日号に連載された講演要旨によると、漁業資源の減少についての欧米での事例をまず概観したのち、アメリカでのサケとカキの養殖について、人工受精の方法と稚魚・幼生の飼育法を図を使ってかなり具体的に説明しているが、当時そのような試みがまだ行なわれていなかった我が国にとっては、少なからず参考になったことと思われる』。『モースはこのあとも、十三日には二箇所で講演、十五日には女子師範学校卒業式に出席するなど相変わらず忙しかったが、今度の訪日の目的である陶器収集の旅に出る準備も着々と進めていた』とある。
「華族女学校で会った皇族の一人」「華族女学校」は「第十八章 講義と社交(Ⅱ) 家族学校講演と慶応義塾での進化論講話と剣道試合観戦」に出てきた華族学校の女子部門で現在の学習院女子中・高等科の前身。「皇族の一人」とは磯野先生の言われる、『東伏見親王』、即ち、元帥海軍大将でもあった東伏見宮依仁親王(よりひとしんのう 慶応三(一八六七)年~大正一一(一九二二)年)その人であろう。]
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