夢野久作 定本 獵奇歌 (Ⅰ)
[やぶちゃん注:以下、知られた怪歌群「獵奇歌」を正字正仮名で電子化する。西原和海編「夢野久作著作集」第六巻の西原氏の解題によれば、夢野久作の「獵奇歌」は昭和二(一九二七)年から昭和一〇(一九三五)年に亙って『探偵趣味』『獵奇』(この誌名は、この電子データでは一貫して正字で示すことにした)『ぷろふいる』の三誌の探偵小説誌に断続的に発表された、久作の怪奇異常なイメージを短歌した作品群の総称であるが、掲載誌によっては「うた」「獵奇の歌」「れふきうた」という表題で掲げられているものもあり、『恐らくこの「猟奇歌」というのは、作者自身による命名ではなく、同誌編輯部によるものであっただろう』と推測されておられる(因みにこれは私なども「りょうきか」と読んできたのであるが、西原氏によれば、これは「れうきうた(りょうきうた)」と読むのが正しいと記しておられ、ウィキペディアの「猟奇歌」も新字正仮名の「青空文庫」版「猟奇歌」もそう読みを示す)。なお、掲載時の署名は西原氏によれば、『「夢野久作」の他、「ゆめの・きうさく」「Q」「夢の久作」などが用いられ』ているとある。
底本は西原和海編「夢野久作著作集」第六巻を元とした。これは編者西原氏が『久作の「猟奇歌」は、本巻に集成した形をもって、いわば〝定本〟の体裁を有したことになる』と記されておられる、現在の望み得る最上の「獵奇歌」のテクストだからである。但し、例によって私のポリシーによって発表当時の雰囲気、更には正字の持つところの私が勝手に呼ぶ〈擬似的「獵奇性」〉を味わうために、恣意的に正字に変換してある(何度も述べているから一言だけにするが、「蟲」と「虫」、「戀」と「恋」では見た一瞬の印象が全く異なる)。なお、今回は作業時間を短縮するため、加工用の原データとして「青空文庫」版「猟奇歌」(柴田卓治氏入力・久保あきら氏校正版)を使用させて戴いた。ここに記して厚く御礼申し上げる(因みに、青空文庫版は新字であり、しかも筑摩書房ちくま文庫一九九二年刊「夢野久作全集」第三巻(私は所持しない)が底本で、そこには西原氏が底本解題で夢野久作の作ではないと断定されておられる八首が混入している点に注意されたい。当然のことながら、その八首は私の以下の電子テクストからは除外してある)。前書は底本の情報に従い、前に掲げ、書誌データは掲載誌分短歌の後に、( )で附した。]
獵奇歌(れふきうた) 夢野久作
殺すくらゐ 何でもない
と思ひつゝ人ごみの中を
濶歩して行く
ある名をば 叮嚀に書き
ていねいに 抹殺をして
燒きすてる心
ある女の寫眞の眼玉にペン先の
赤いインキを
注射して見る
この夫人をくびり殺して
捕はれてみたし
と思ふ應接間かな
わが胸に邪惡の森あり
時折りに
啄木鳥の來てたゝきやまずも
(昭和二(一九二七)年八月号『探偵趣味』・署名「夢野久作」総表題は「うた」)
[やぶちゃん注:『探偵趣味』に載ったのはこの一回のみ。『探偵趣味』は「探偵趣味の会」により大正一四(一九二五)年九月の創刊されたもので、同会は江戸川乱歩(乱歩は三重出身で早稲田大学政治経済学部予科に入るまでの青少年期は名古屋で過ごした)と『大阪毎日新聞記者』春日野緑が発起した関西系探偵小説同人誌である。]
此の夕べ
可愛き小鳥やはやはと
締め殺し度く腕のうづくも
よく切れる剃刀を見て
鏡をみて
狂人のごとほゝゑみてみる
高く高く煙突にのぼり行く人を
落ちればいゝがと
街路から祈る
[やぶちゃん注:「高く高く」の後半は底本では踊り字「〱」。]
殺すぞ!
と云へばどうぞとほゝゑみぬ
其時フツと殺す氣になりぬ
人の來て
世間話をする事が
何か腹立たしく殺し度くなりぬ
今のわが恐ろしき心知るごとく
ストーブの焰
くづれ落つるも
ピストルのバネの手ざはり
やるせなや
街のあかりに霧のふるとき
ぬす人の心を抱きて
大なる煉瓦の家に
宿直をする
かゝる時
人を殺して酒飮みて女からかふ
偉人をうらやむ
人體のいづくに針を刺したらば
即死せむかと
醫師に問ひてみる
春の夜の電柱に
身を寄せて思ふ
人を殺した人のまごゝろ
殺しておいて瞼をそつと閉ぢて遣る
そんな心戀し
こがらしの音
ピストルの煙の
にほひばかりでは何か物足らず
手品を見てゐる
ペンナイフ
何時までも銹さびず失くならず
その死にがほの思ひ出と共に
(昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』・署名「ゆめの・きうさく」・総表題は「獵奇歌」)
一番に線香を立てに來た奴が
俺を…………
………と云うて息を引き取る
若い醫者が
俺の生命を預つたと云うて
ニヤリと笑ひ腐つた
だしぬけに
血みどろの俺にぶつかつた
あの横路地のくら暗の中で
頭の中でピチンと何か割れた音
イヒヽヽヽヽ
……と……俺が笑ふ聲
白い乳を出させようとて
タンポヽを引き切る氣持ち
彼女の腕を見る
棺の中で
死人がそつと欠伸した
その時和尚が咳拂ひした
[やぶちゃん注:「欠伸」は底本のままとした。私は初出誌は未見であるので、事実そうであるかどうかは不明であるが、私は私の「氷の涯」の電子化作業の中で、久作が「欠伸」(あくび)と記す場合、他の「缺席」などと異なり、「欠」を用いている事実に従った。]
抱きしめる
その瞬間にいつも思ふ
あの泥沼の底の白骨
ニセ物のパスで
電車に乘つてみる
超人らしいステキな氣持ち
靑空の隅から
ジツト眼をあけて
俺の所業を睨んでゐる奴
自轉車の死骸が
空地に積んである
乘つてゐた奴の死骸も共に
闇の中から血まみれの猿が
ヨロヨロとよろめきかゝる
俺の良心
[やぶちゃん注:「ヨロヨロ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
監獄に
はいらぬ前も出た後も
同じ靑空に同じ日が照つてゐる
白い蝶が線路を遠く横切つて
汽車がゴーと過ぎて
血まみれの戀が殘る
見てはならぬものを見てゐる
吾が姿をニヤリと笑つて
ふり向いて見る
眞夜中に
心臟が一寸休止する
その時にこはい夢を見るのだ
枕元の花に藥をそゝぎかけて
ほゝゑむでねむる
肺病の娘
倉の壁の木の葉が
幽靈の形になつて
生血がしたゝる心臟が
切り出されたまゝ
(昭和三(一九二八)年十月号『獵奇』・署名「Q」・総表題は「獵奇歌」)
けふも沖が
あんなに靑く透いてゐる
誰か溺れて死んだだんべ
[やぶちゃん注:「だんべ」小学館「日本国語大辞典」によれば、これは「だんべい」或いは「だんべえ」で連語「であるべし」の変化したもので、「であろう」「だろう」の意の関東方言とするが、同義の用法としての方言としては他に、「だんべい」「だんべえ」で山形・福島・茨城・栃木・群馬・埼玉・神奈川・山梨・静岡(加茂郡)が、「だべ」で青森・秋田が、「だべい」で岩手(東磐井郡)・福島が、「だっぺい」で福島(南部地方)・茨城・群馬・千葉が、「だっぺ」で新潟(南魚沼郡)が、そして本歌の表記の「だんべ」では岩手・秋田・栃木・埼玉が採集例示されてある。歌には「沖」とあるから、ロケーションが地方で、ネイティヴであるとすれば、この情景は岩手か秋田の可能性があるとは言えるかも知れない。]
水の底で
胎兒は生きて動いてゐる
母體は魚に喰はれてゐるのに
日が暮れかゝると
わが首を斬る刃に見えて
生血がしたゝる監房の窓
あの娘を空屋で殺して置いたのを
誰も知るまい
藍色の空
地平線になめくぢのやうな雲が出て
見まいとしても
何だか氣になる
血だらけの顏が
沼から這ひ上る
俺の先祖に斬られた顏が
啞の女が
口から赤ん坊生んだゲナ
その子の父の袖をとらへて
ドラツグの蠟人形の
全身を想像してみて
冷汗ながす
[やぶちゃん注:これは恐らく、当時流行った衛生博覧会の薬物中毒者の激しく損壊した身体の一部を模したムラージュであろう。ムラージュ(Moulage)とは傷病の記録や医療教育に使用された模型などの呼称で、特に皮膚学会に於いて本邦の旧医学界で盛んに用いられた、驚くべきリアリティで再現された蝋製病理標本である。因みに、久作の生地、福岡の九州大学には大正初期から五百体近くのムラージュが製作され、置かれてあった(九州大学公式サイト産業医科大学皮膚科学名誉教授・九州大学皮膚科自遠会会長旭正一氏の「ムラージュについて」に拠る)。こちらで現存するそれらのムラージュを見ることも出来る(但し、縦覧してみたが、この中には薬物中毒病変由来のものは残念ながらない模様である)。但し、ムラージュ乍ら、頗る強烈であるから、久作の詠うように「冷汗ながす」ものである。……クリックはくれぐれも自己責任で。……♪ふふふ♪……【2017年4月7日追記】「ドラツグ」を違法薬物の「ドラッグ」と思い込んでいたのであるが、本日、ツイッターの間武氏の投稿で、江戸川乱歩の「悪魔の紋章」の中に蝋人形の製作会社名として出ると知り、早速、たまたま所持していた光文社文庫版(二〇〇三年刊)全集の同作のそこの注を見たところ、『薬小売の全国チェーンである有田ドラッグ商会が、ショーウィンドーに性病患者の性器や顔の蠟人形を展示していたことがモデルとなっていると思われる』とあった。この「ドラツグ」もそれだったのだ!]
自分が轢いた無數の人を
ウツトリと行く手にゑがく
停電の運轉手 動いてゐる
さても得意氣にたつた一人で
暗の中で
俺と俺とが眞黑く睨み合つた儘
動くことが出來ぬ
すれちがつた今の女が
眼の前で血まみれになる
白晝の幻想
自惚れの錯覺すなはち戀だから
子供は要らない
ザマア見やがれ
ピストルが俺の眉間を睨みつけて
ズドンと云つた
アハハのハツハ
毎日毎日
向家の屋根のペンペン草を
見てゐた男が狂人であつた
夏木立ヒツソリとして
ぬす人の心の色に
月の傾むく
カルモチンを紙屑籠に投げ入れて
又取り出して
ジツと見つめる
[やぶちゃん注:「カルモチン」しばしば自殺に用いられる睡眠剤の商品名。正式な化合物名はブロムワレリル尿素(bromvalerylurea ブロムイソバレリルカルバミド)。ウィキの「ブロムワレリル尿素」によれば、一九〇七(明治四十年)に登場した薬物で、『商品名としては、「ブロバリン」(Brovarin、日本新薬)、「リスロンS」(佐藤製薬)「カルモチン」(武田薬品工業・販売中止)がある。現在市販され、ブロムワレリル尿素を含有する鎮静剤には、「ウット」(WUTT、伊丹製薬、アリルイソプロピアルアセチル尿素などとの配合剤)がある。また、鎮静作用から市販の鎮痛剤にも配合される』。かつてはバルビツール酸系(尿素と脂肪族ジカルボン酸とが結合した環状化合物)よりも『中毒になり難い事などから良く用いられたが、ベンゾジアゼピンの登場により廃れ、現在では医療用としては殆ど用いられない』。後の一九五〇年代から一九六〇年代の『第二次自殺ブームの主役となった薬であり、多くの若者がこの薬で自殺を試みた。そのため、自殺を防ぐ目的で市販薬では一定量を超えた薬は発売が禁止され、医師が発行する処方箋の必要な要指示薬に変更され』ているとある。『自殺目的などで大量服用し急性中毒を引き起こす場合があるが、致死性は低』く、『太宰治は生涯心中を含めカルモチンによる自殺を幾度と無く図るも何れも未遂に終わ』っているともある。]
色の白い美しい子を
何となくイヂメて見たさに
仲よしになる
(昭和三(一九二八)年十一月号『獵奇』・署名「Q」・総表題は「獵奇歌」)