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« ある日ぐれ   村山槐多 | トップページ | 戀人に   村山槐多 »

2015/07/15

ある四十女に   村山槐多

 

  ある四十女に

 

美しいそなたの額は

過去の宴樂につかれて老ひ

その色は眞珠の如く曇る

 

美しいそなたが心は

打しをれて泣き濡る

 

あはれなるあはれなる女よ

われはそなたを愛す

突風の古びし薔薇の木を傾くる如く

 

美しきなよやかなる過去に

血の如きいまのわれは感ず

 

老いし宴樂の女よ

われはそなたの前に顫ふ

炎の白金の面にためらふ如く

 

女よ女よ

われは胸顫はしてそなたを見つむ

美しき戀の思ひに

 

若き女の眼よりも鋭どく

かくも強くかくも深く

われをまどはするそなたが瞳よ

 

    ×

わが靈は木の果の風にゆるゝ樣に

にほやかにゆすれて居る

美しい物にみにくい物に樣々に眼をやりつつ

たえまなくゆすぶれる

 

ああこのゆするゝ響につれて

私はふらふらと進んでゆく

たえまなくはてしなく

ふらふらと私はゆく

 

 

[やぶちゃん注:「過去の宴樂につかれて老ひ」の「老ひ」、「打しをれて泣き濡る」の「濡る」はママ。

「ある四十女」この女性は、「全集」年譜(山本太郎編)の大正六(一九一七)年の四月の条に以下のようにある「をばさん」という女性である。やや長いが引用させて戴く。

   《引用開始》

 美術院第三回習作展に油絵「湖水と女」素描コスチュームの娘」出品、美術院賞金を受く。この年はコンクールで数度の賞金をうけた。夏、山崎省三と再び大島へゆき、帰ってから、四谷に住まう。

 根津時代みんながツリーの「ワレンス夫人」ダヴィンチの「モナ・リザ」とよんでいた「をばさん」に恋を感じ、さかんに描く。彼女は凄艶ともいうべき芸者あがりの四〇女で「はあちゃん」という女の子といっしょにくらしていた。淋しい女の翳も槐多の心をとらえた。

 槐多は「をばさん」の生活を助ける決心をし、工場(両国の)で働くサラリーをみんな彼女のうちへもちこんだ。絵の仕事をぎせいにして働いた。むろん「をばさん」とは特別の関係はなかった。絵の勉強と女性をたすける生活のための仕事のジレンマにくるしんだ槐多は、とうとう「をばさん」と別れる決心をし、九十九里へ旅立つ。

   《引用終了》

文中の「根津時代」とは前年大正五(一九一六)年春例の「お玉さん」に入れ上げ、小杉未醒の所から出て自活した根津の裏通りの貸間で過ごした頃を指す。『ツリーの「ワレンス夫人」』というのは、私が馬鹿なのか、よく分からない。思想家ルソーが愛人となった後援者ヴァランス男爵夫人(Madame de Warens 「ヴィラン」「ワレンス」などとも音写する)のことかとも思ったが「ツリー」がおかしいし、後の『ダヴィンチの「モナ・リザ」』と並列するからには、肖像画かと思って調べて見たが、ぴったりくるものがない。識者の御教授を乞うものである。また、「工場(両国の)で働くサラリー」とあるのは、その頃の槐多が生活費を稼ぐために午後通っていた両国の木製の筆入れを製造する工場での「焼き絵」の仕事の収入を指す。焼き絵とは、熱した鏝(こて)などの金属や薬品を用いて、絵や文様を紙・木材・象牙・皮革などに焼きつける技法を言う。

 私は永らく、ここに出る槐多の代表作の一つである槐多の「モナ・リザ」とも言うべき「湖水の女」及び同年九月の美術院展第四回に出品した妖気に満ちた怪作「乞食と女」の和装の女性は、この「モナ・リザ」である「をばさん」であろうと思っていた。草野心平も「村山槐多」でそう述べているのであるが、しかし、少なくとも前者のモデルは近年の調査によって、この「をばさん」ではないとされ(『芸術新潮』一九九七年三月号「特集 村山槐多の詩」)、「ポーラ美術館」公式サイト内のコレクションの「湖水と女」にも、この女性は『槐多の後援者、笹秀松の妻の操であるという説が有力となってきた。槐多の遠縁にあたる笹操はすらりとした長身の美女で、この《湖水と女》が描かれた』時は三十一歳頃で『あったという。夫の秀松は、大柄で磊落な性質で知られており、《のらくら者》』(大正五(一九一六)年)『のモデルといわれている』とある。従って前者は私の印象を撤回するとしても、「乞食の女」のサディストと霊性を同時に孕んだ「女」の方は、明白にこの「をばさん」に違いないという印象は変わらぬ。そうして草野は微妙に留保しているものの、この「鬼の線」を額に走らせている横顔の醜悪なマゾヒスティクな乞食はやはり明らかに槐多自身のカリカチャアである(この日動出版の草野の「村山槐多」の第三章『槐多と「モナ・リザ」』は、強力なヴァーチャル・リアリティを持った筆致で記されている。未読の方には是非お薦めしたい)。なお、この「をばさん」については一九九六年春秋社刊の荒波力(ちから)氏の「火だるま槐多」の大正七(一九一八)年譜の四月の条の最後に、『この頃、「おばさん」の行方が分からなくなり、槐多との交渉は終る』と記されてある。

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