宵の曲 村山槐多
宵の曲
今宵薄き石竹色の大空に月出でて
都は金絲交りたる豪奢極めし織物となる
あやにしき、紫の天鵝絨となる
燈火さへ點々ときらめきしかば
この時美しき模樣姿を現はしぬ
美しき女連れたる人々のそぞろ歩きや
縱横になつかしの靄の中のあちこち
ほんのりと情含みし眼に光る玉の數々
十八金の黄金の唇眞紅に染めたる
美しの女はやさしくも手を曳かれて
いそぎ足火を喰ふ鳥の姿にてとく過ぎてゆく
蠻人めきし若者と
いにしへ新羅より孔雀もたらす使者の如
紫の女をともなひたる人もあり
プリズムを覗く不思議さはでやかさをも着物にしたる
大理石めきたる頰の女もきたる
この壇に行く數々の足なみに
薄紫の情熱となげき添はり
肉感は電めきてうつとりと光る
香水や物語や肌のにほひや
ああその色見たるだに美しの人々よ
ななめに行きかふ幾度となく同じ處を
さながらに西びとの夜の踊りを見る如く
酒の香ほのかに濁るこのよひ
玻璃製の薄ばらの月は三絃の
街の連れ引よりそひて壇へと上る
悦ばしや情をさそふ派手なる燈も光る都大路をそゞろ歩く美しの男
女たちや
美しき金絲は
にしきの上に照らされし夜の都を貫ぬきて
あてどなく歩める群に
美しき女つれたる人人の上に輝やく
戀慕なりやあそびなりや音樂なりや
石竹色の大空に酒と改璃泣く
うらわかき男女たちのそぞろ歩きや
豪奢なるいかめしき都の宵を、
×
夜の紫の空を
薄き葡萄酒に染めしかと怪しむ
薄くれなゐにともれる
夜ふけのアーク燈は
わが心を染め
澱める水の面にうつれり
[やぶちゃん注:本篇は最終連が六行でこれまでの彼の形式の中では頗る破調である。
「石竹色」ナデシコ科の植物セキチク(ナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属セキチク Dianthus chinensis )花のような淡い赤色。ウィキの「石竹色」によれば、『セキチクは中国原産種でおもに観賞用に栽培され、その花は赤や白やそれらの色を組み合わせた模様など多くの種類が存在するが、色名としては桃色に近い花の色のことをさす。撫子色、ピンクととほぼ同じ色合いであり、同様の語源を持つ。英語ではチャイニーズピンク(Chinese pink)という』とある。この色である。
「天鵝絨」ビロード。読みもそう読みたい。
第五連一行目「この壇に行く數々の足なみに」に初出し、実際には本篇の冒頭からロケーションであるところの「壇」とは何か? 京都であるからど素人の私などは清水辺りの高台などを想起はするものの不詳である。そもそも京都に住む人が単に「壇」と呼んだ場合、何処かを指すのか指さないのかも私は存じない。識者の御教授を乞うものである。
同じく第五連二行目「薄紫の情熱となげき添はり」の「添はり」は読み不詳。「そなはり」と訓じているか?
同じく第五連三行目「肉感は電めきてうつとりと光る」の「電」は何と読むのか? 「めきて」と続く以上、「いなづま(いなずま)」か「いかづち」か?
第七連一行目「玻璃製の薄ばらの月は三絃の」の「薄ばら」は底本では「薄ぼら」。誤植と断じて「全集」通り、「薄ばら」とした。
同じく第七連三行目「悦ばしや情をさそふ派手なる燈も光る都大路をそゞろ歩く美しの男」は一行字数ではやはり特異点である。]