生物學講話 丘淺次郎 第十二章 戀愛(13) 五 縁組(Ⅰ) 日本住血吸虫
五 緣組
[片山病原蟲]
動物の中には、どの雄とどの雌との間にでも定なく交接の行はれるものもあれば、生殖期間だけ一疋の雄と一疋の雌とが共同生活をするものもあり、また互に相手を定めて生涯一夫一婦で暮らすものもある。これには皆それぞれ理由のあることで、いづれの場合でも必ずその種族の維持に差し支へのないだけのことが行はれて居る。即ち甲の種類には夫婦の定があり、乙の種類にはその定がないのも、たゞ同じ目的のために異なつた手段が用ゐられて居るといふに過ぎぬ。偕老同穴といふ海綿の内部には、必ず雌雄一對の「えび」が居て、この「えび」は死ぬまで相離れることがないとは、既に前に述べた所であるが、これに類する他の例を擧げて見るに、我が國に近頃有名な地方病を起こす寄生蟲がある。もと岡山・廣島兩縣の境に近い片山村といふ處で最も盛であつたために、片山病といふ名が附いたが、その病原は、「ヂストマ」に類する一種の寄生蟲で、常に血管内の血液の中に生活する。他の「ヂストマ」類と違うて、この蟲は雌雄異體であり、雄は幾分か扁たいが雌はまるで絲のやうに細長い。そして雄は腹面を内にして體を管狀に卷き、その中に常に雌を抱いて居る有樣は恰も「有平」を心にした卷き煎餅の如くである。雌雄ともに腹面の前端に口があり、その後に吸盤があるが、雄と雌とは腹と腹とを向け合せ、口と口とで互に吸ひ著き、雄は雌を抱きかゝへたまま決して離れぬやうにして、死ぬまで血液の中に漂うて居る。偕老同穴の「えび」は同じ部屋の内に一生同棲して決して遠くへ離れぬといふだけであるが、片山病の寄生蟲は雄が日夜雌を抱いたまゝ一刻も離さぬから、この方が親密の度が遙に深い。
[やぶちゃん注:『偕老同穴といふ海綿の内部には、必ず雌雄一對の「えび」が居て、この「えび」は死ぬまで相離れることがない』「第五章 食はれぬ法 (二)隠れること~(7)」を参照。
「片山村」旧広島県深安郡旧神辺町片山地区。現在は福山市神辺町大字川南。高屋川の左岸(南)附近。
「片山病」扁形動物門吸虫綱二生吸虫亜綱有壁吸虫目住血吸虫科住血吸虫属ニホンジュウケツキュウチュウ Schistosoma japonicum がヒトに寄生(通常は経皮感染による)することによって発症する寄生虫病(人獣共通感染症)である日本住血吸虫症(かつての他の流行地であった山梨県甲府盆地に於いては固有病名として「地方病」、佐賀県筑後川流域では「佐賀流行病」などと呼称され、さらに古く江戸以前には「水腫脹満(すいしゅちょうまん)」「腹張(はらっぱ)り」「積聚(しゃくじゅ)の脹満(ちょうまん)」などと記されてある。但し、最初に述べておくが、本感染症は日本国内では一九七六年以来、新感染者はおらず、二〇〇〇年までに撲滅されている)。ウィキの「地方病(日本住血吸虫症)」(この記事はウィキの中でも「秀逸な記事」に選ばれた優れた記載である)によれば、このニホンジュウケツキュウチュウ Schistosoma japonicum は淡水産巻貝の腹足綱盤足目リソツボ上科イツマデガイ科オンコメラニア属 Oncomelaniaミヤイリガイ(宮入貝/別名・カタヤマガイ)Oncomelania
hupensis nosophoraを『中間宿主とし、河水に入った哺乳類の皮膚より吸虫の幼虫(セルカリア)が寄生』することによって感染・発症するものである。その症状はウィキの「日本住血吸虫」によれば、『まずセルカリアが侵入した皮膚部位に皮膚炎が起こる。次いで急性症状として、感冒様の症状が現れ、肝脾腫を認める場合もある。慢性期には虫が腸壁に産卵することから、発熱に加え腹痛、下痢といった消化器症状が現れる。好酸球増多も認められる。虫卵は血流に乗って様々な部位に運ばれ周囲に肉芽腫を形成するが、特に肝臓と脳における炎症が問題になり、肝硬変が顕著な例では、身動きができないほどの腹水がたまる症状が出て、死に至る』。『このように日本住血吸虫が重篤な症状を引き起こすのは、成体が腸の細血管で産卵した卵の一部が血流に乗って流出し、肝臓や脳の血管を塞栓することによるところが大きい』とある。両ウィキの他にも、「日本獣医師会」公式サイト内の佐藤秀夫氏の「日本住血吸虫病(片山病)の終息と広島県の取り組み」もコンパクトにまとめられた片山病の記載として必読である。
『この蟲は雌雄異體であり、雄は幾分か扁たいが雌はまるで絲のやうに細長い。そして雄は腹面を内にして體を管狀に卷き、その中に常に雌を抱いて居る有樣は恰も「有平」を心にした卷き煎餅の如くである。雌雄ともに腹面の前端に口があり、その後に吸盤があるが、雄と雌とは腹と腹とを向け合せ、口と口とで互に吸ひ著き、雄は雌を抱きかゝへたまま決して離れぬやうにして、死ぬまで血液の中に漂うて居る』ウィキの「日本住血吸虫」によれば、ニホンジュウケツキュウチュウ Schistosoma japonicum は『紐状の形の、細長い吸虫。雌雄異体で、雌は黒褐色で細長く、雄は雌よりも淡い色で太くて短い。雄の腹面には抱雌管と呼ばれる溝があり、ここに雌がはさみこまれるようにして、常に雌雄一体になって生活する』。体長は雄が九~十八ミリメートル、雌が十五~二十五ミリメートルで、『ヒトを含む哺乳類の血管(門脈)内に寄生し、赤血球を栄養源にする』とある(グーグル画像検索「Schistosoma
japonicum」をリンクしておく)。「有平」は有平糖(あるへいとう)のこと。白砂糖と水飴を煮つめて練り棒状としたり、花・鳥・魚など種々の形に作って彩色した砂糖菓子の一種。室町末期にヨーロッパから伝来したもので、現在は主に祝儀・供物用に用いられる。
「ヂストマ」本邦では扁形動物門 Platyhelminthes 吸虫綱 Trematoda に属する生物を広く「ジストマ」「二口虫」と呼んできた。これは本吸虫類に特徴的な主に対象に張りつくために備わっている二つの吸盤(口吸盤と腹吸盤)の両方を、古くは口と見誤って、「di」(二)+「stoma」(口)と呼称したことに由来するが、英語の“Distoma”(ジストマ)は二生吸虫亜綱棘口吸虫目棘口吸虫亜棘口吸虫上科蛭状吸虫(カンテツ)科蛭状吸虫(カンテツ)亜科カンテツ(肝蛭)Fasciola
hepatica に代表されるカンテツ類のみを限定的に指すので、現行では広汎名としての和称の「ジストマ」は使用しない方がよい。]
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