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« 大驚愕!!!!!!!! | トップページ | 命   村山槐多 »

2015/07/17

わが命   村山槐多 (附 冒頭稿及び異同)

 

  わが命

 

あぶの樣にうなつて居るわが命よ

お前はまだお前の本體にかいらぬか

病んでから五月はたつた、

死神の手からにげて四月はたつた、

お前はまだ幽かにうなつて居る

お前はまだ影だ

こはれたまゝだ

 

情なき汝が聲よ

いかに自分が完全なる充溢せる汝をのぞんで居るかを知るか

私ののぞんで居るのは

張り切つたツヱツペリン航空船の樣な命だ

はぜんとするダイナマイトだ

人をけ殺す狂馬の命

羅馬の鬪士が命だ

 

まだお前は自分の心を滿たさぬ

そんなかげろうの樣な

すゝりなくヴヰオロンの樣な命

つぶやきうなるのをやめろ

力と量とを得ろ

 

    ×

樂器の如くなりひびく少女を腕にかかへたや

 

    ×

性慾をどう始末すべきかまだまださしせまつた事ではないらしい

 

    ×

愛らしい少女に□□□を描いてみせたら

少女の顏はさらに愛らしく輝やいた、

色情はすべての美の元か

 

    ×

古いひようたんが木に吊るさがつてしんとして居る

 

    ×

わが體なにとなくだるし是はやまひ故か氣のつかれか

 

    ×

この秋は吉か凶か、しかしそれどこではない、

 

    ×

赤酒を盛りし杯をはこぶウヱーターか

われはわがともすれば溢れ出でんとする

血をもちて生く

 

    ×

砂上にあふむきにひつくりかへる時空は

菲萃に澄み微風海より吹く、

この恍惚たる生の一瞬、

 

    ×

時としてわが心、身をはなれ空より

われとわが身を見る、

砂上に横たはる痛ましき人肉一片、

 

    ×

鋼鐵の肌をもちし小女よ

その肌を日に燃やして戀するか、

 

    ×

ルユーベンスの油畫流れよりしと思ひしは

海中にすつくと出でし漁夫の體

 

    ×

病んで居るギリシア人でありたい、

 

    ×

世界は赤だ、靑でも黄でもない、

 

    ×

あるすてばちの心を自分は起す、

しかしすてばちにはもう何べんなつたろう、

すてばちはもう自分をなぐさめなくなつた

 

    ×

おれのつなわたりも終りにちかづいた、

つなは斷れさうだ

 

 

[やぶちゃん注:結核罹患後の詩篇であることが具体的に明確に記されている、現存する中で最初の詩篇である。「病んでから五月はたつた、/死神の手からにげて四月はたつた、」――彼の結核性急性肺炎の発作(推定)は大正七(一九一八)年四月中旬で(同四月末までには小康状態を取り戻したかのように「全集」年譜では読めるが、果して本当にそうかどうかは分からない。寧ろ、「死神の手からにげて四月はたつた」という謂いから考えるなら、一時的な小康状態に復したのは五月中下旬であったと断言してよい)、草野心平の「村山槐多」(昭和五一(一九七六)年日動出版刊)の年譜の方がこの辺りの事実記載は詳しく、それによれば、『六月、一時治癒していた結核性肺炎が再発』(細かいことだが、結核罹患ではこういう「結核性肺炎が治癒」という謂い方自体がおかしいと私は思う。五月蠅いと思われるであろうが、かく拘るのは私自身が結核性カリエス――肺ではないが、彼ら結核菌のシツコさはあなたがたよりはよっぽど詳しい――の罹患経験者だからである。悪しからず)『山崎省三との共同生活を打ち切り、牛込々神楽町の両親の家に移る。神楽町の自宅で「煙草吞み」(百号)を院展に出展すべく製作する』(これは落選し、後に破り捨てた)。『八月中頃、健康回復を期して房州に出掛ける。鳴浜村の木賃宿(稲荷屋)に投宿』したとある(この時点では発症から四ヶ月で、ここの。「病んでから五月はたつた」に一ヶ月足らない)。この間、九月七日に院展のために上京し、三日後の十日には友人『山本二郎と連れ立ち作田』(現在の千葉県山武郡九十九里町作田(さくだ。九十九里町の北側に位置する。作田川を隔てて南西側が前に出た片貝で、一方、作田の北東がやはり前に出た鳴浜である)『に出掛ける。同地投宿。翌日、帰京する山本二郎を片貝に送る』とある。また、ここには続いて『この頃、離れ島に渡ることを突然思い付く』(以下に附された槐多が調査したというデータによれば、その島というのは「御倉島」とあるが、これは伊豆の御蔵島(但し、古くは「御倉島」とも書いた模様)のことであろう)が、『結局体力的、金銭的理由で断念』したとある。そして九月『二十五日、小杉未醒から送金十円を旅費にし、汽車で勝浦に行き、高砂館に投宿する』とある。この時点で突然の四月半ばの発作から五ヶ月「病んでから五月はたつた」と合致し、前で私が推測した通り、一時的な小康状態に復した「死神の手からにげて四月はたつた」のが五月中下旬であるとすれば(翌月には再発しているものの)、この「四月」とも合致するのである。

 §

題名は底本・「全集」ともに以上のように「わが命」である
が、今回、県立三重美術館所蔵になる詩篇冒頭詩稿を視認したところ、「わが命に」とあることを知った。他に「わが命」とする改稿決定稿がないとは断言出来ないものの、私は高い確率で本当は、これが正しい表題なのではないかと思っている。以下、なるべく忠実に同詩稿断片を活字化してみる。〔 〕は抹消字を示す。標題上の「レ」は槐多のチェック記号。

   *

 

 レ わが命に

あぶの樣にうなつて居るわが命よ

お前はまだお前の本体にかいらぬか、

病んでから五月はたった、

死神の手からにげて四月はたった

お前はまだ幽かにうなって居る

お前はまだ影だ、

こはれたままだ、

 

情なき汝が聲よ

いかに自分が完全なる充溢せる汝をのぞんで居るかを知るか

私ののぞんで居るのは

張り切ったツヱツペリン航空船の樣な命だ、はぜんとするダイナマ〔ト〕イトだ、

人をけ殺す狂馬の命

羅馬の鬪士が命だ、

 

まだお前は自分〔に〕の心を滿たさぬ

そんなかげろうの樣な

すすりなくヴヰオロンの樣な命

つぶやきうなるのをやめろ

力と量とを得よ

 

   *

以上の詩稿【稿】と「槐多の歌へる」【槐】との違いは以下の通り。但し、正字と略字の違い及び拗音化の有無と踊り字使用の有無は除いた。

【稿】(詩題)「わが命に」→【槐】(詩題)「わが命」

【稿】「お前はまだお前の本体にかいらぬか、」→【槐】「お前はまだお前の本体にかいらぬか、」(●但し、この読点は他に比して小さく、原稿の汚れの可能性も否定は出来ない。)

【稿】「死神の手からにげて四月はたった」→【槐】「死神の手からにげて四月はたつた、」(●稿には明らかに読点はない。)

【稿】「張り切ったツヱツペリン航空船の樣な命だ、はぜんとするダイナマイトだ、」→【槐】「張り切つたツヱツペリン航空船の樣な命だ」(改行)「はぜんとするダイナマイトだ」(●稿は明らかに一行で連続している。さらに言うならば稿はその行末の詰りから、次の行「人をけ殺す狂馬の命」も続いている可能性をも示唆してするものではある。)

【稿】「羅馬の鬪士が命だ、」→【槐】「羅馬の鬪士が命だ」(●稿には明らかに読点がある。)

【稿】「力と量とを得よ」→【槐】「力と量とを得ろ」

 

以上は通常の詩の校訂上、無視してよい部類のものでは、決してない。

   §

「お前はまだお前の本體にかいらぬか」の「かいらぬか」はママ。「全集」は「かへらぬか」となっている。

「ツヱツペリン航空船の樣な命」我々が想起する知られた「ツエッペリン号」は「LZ 127」を公式名とするドイツの商業航空会社ツェッペリン社製の巨大飛行船の一つである愛称「グラーフ・ツェッペリン」(ツェッペリン伯号)であるが、これは一九二八年九月十八日が初飛行で、本詩篇当時(大正七(一九一八)年には存在していない)。同社製の硬式飛行船第一号は一九〇〇年の「LZ1」で、槐多が想起したものはそれかそれ以降に改良された船である。なお、老婆心乍ら、イメージの強烈な落下炎上した飛行船は同社の旗艦であった「LZ129」、ヒンデンブルク号であるが、あのアメリカ合衆国ニュージャージー州レイクハースト海軍飛行場で発生した爆発事故も一九三七年五月六日のことであり、この槐多の「張り切つた飛行船の樣な命」「はぜんとするダイナマイト」のような「命」というイメージの中にあの映像はないので注意が必要かと思われる(以上は主にウィキツェッペリン及びそのリンク先ウィキに拠った)。

「愛らしい少女に□□□を描いてみせたら」の伏字について、「全集」で編者山本太郎氏は『ちんぼ』と推定復元されておられる。

「ひようたん」はママ。

「菲萃」「樹下」の注で似たような「菲翠」を注したが、この「菲萃」もまた現代中国語で「翡翠」を示し、誤字ではない。にも拘らず、「全集」はやはり「翡翠」と〈訂〉してしまっている。

「鋼鐵の肌をもちし小女よ」「全集」は「小女」を「少女」とする。ただの「少女」の誤字か誤植と判断したのであろうか。そうかも知れない。が、そうでないかも知れない。「こむすめ」と読むつもりだった可能性を稿によって完全に否定出来るのであれば、その〈訂正〉は正しい。稿がないのであれば、それは捏造による〈改悪〉である。

「しかしすてばちにはもう何べんなつたろう、」の「なつたろう」はママ。]

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