深夜の耳 村山槐多
深夜の耳
奇妙な金色の耳が何かしらにじつときき澄まして居る、ぴくぴくと動いて居る。深い深い夜中の闇に、なる程ある幽かなれど滋味ある物音が傳はつて來るのだ、遠くから、まるで世の果からでも來る樣な遙(はる)けさの、耳はしきりにそれを明にせんとしてもがく、その物音の端では私は恐しい物にさぐりあてた、そこには一人の力強い男がかよわい女□□□□□□□□□□□□不思議にも美しい□□□□□□□□のである。
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環状の燈光はわが眼うばひ
撒いた樣に町の上に
荒木町の上に
三味線のひびきは耳に
辛いたばこは口に
夜の窓が私は好きだ
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わが命は燃えさかる
靑空のかなたに延ぶ
女の股より頭に突拔く
白と赤との境に輝やく
ああああ狂ほしくも
幽靈の如く人魂の如し
また鐵工場の火花の如し
強く鋭とくあつし
音して燃ゆる命よ
音させて投げ
音させて物をくだかん
ダイナマイトの如きわが命
戀よ戀よ戀よ
酒よ酒よ酒よ
わが命を消し止めよ
苦し苦し苦し
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どうするんだい、
どうするんだい、
女がどなる
金切聲でどなる
美しい男をとらへて
怒る樣に泣く樣に
腐つたざくろがちぎれておちた、
紫のあぶくが空に浮く
苦しい血つぽい夕ぐれだ、
女がどなる
金切聲でどなる
小鳥の樣な男をつかまへて
あまえる樣にいぢめる樣に
ああああ
聞く身の辛さよ。
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裸の女がうんと
薄着をして神樂坂を歩く
そいつらは香水の瓶の樣に
樣々なにほひを空に殘こす
ああ惡鬼、雌の鬼ども
そいつらはそいつらは
眞白い顏には熱がさし
につと薄明りの中に笑ふ
笑つてばかり居る
それから瞳だ、ぴくぴくとしだらなく
美しくなまめかしく
氣をそそるではないか、
にぎやかな夜の空氣
消えては起る蓄音機のうた
藝者が紫の花をちぎりすてた
すつと女の一群が飛んだ、
[やぶちゃん注:最初の散文的な異様に長い一文の連のみ底本では版組が二字分、上っている。
個人的に私は昔から「不思議にも」この詩に惹かれている。特にそのコーダはそこら辺で詩人面している凡百の連中のそれより、まっこと、詩であると思うのである。
「荒木町」は現在の東京都新宿区荒木町であろう。ウィキの「荒木町(新宿区)」によれば、『荒木町一帯は、江戸時代には美濃国高須藩藩主・松平義行の屋敷があったところであった。荒木町北辺に接している津の守坂通りも、義行(摂津守)の名が由来となっている』とあり、『この屋敷には滝を伴った大きな池があった。この池で徳川家康(義行という説もある)が乗馬用の策(ムチ)を洗ったことから「策の池」と呼ばれた。明治時代には屋敷が退き池や庭園が一般にも知られるようになり、荒木町一帯は東京近郊でも名の知られた景勝地となり料理屋が軒を連ね芸者らが行き交う風情ある花街となった。町域内には今でも車力門通りや杉大門通りの通り沿いや路地裏などに各種飲食店が散見でされ、かつての花街の風情を残した部分を見ることができる。また「策の池」も規模はかなり縮小したが、現在でも津の守弁財天のところに残って』いて、昭和三十年代の『雰囲気を色濃く残した町として訪れる人は多い』とある。仮にここから後に出る大正時代に隆盛を誇った花街であった「神樂坂」下までを、靖国通りから神田川左岸を外堀通り沿いに北上したとしても、たかだか二キロメートルほどで着く。
「強く鋭とくあつし」の「鋭とく」はママ。「全集」は「鋭し」とする。微妙に気に入らないのでママとする。]