夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅱ) 大正元(一九一二)年 (2)
九月二日 月曜
〇たちいづるあとは霞の春の旅宿に忘れし握飯哉
[やぶちゃん注:個人的に好きな一首である。]
九月十九日 木曜
〇かく生れかく行ひてかく死にて思ひ殘さぬ大和魂
乃木大將を思ひて
[やぶちゃん注:乃木希典はこの六日前の明治天皇大葬当日であった大正元(一九一二)年九月十三日午後七時四十分頃、妻静とともに自刃殉死している(殉死当日の日記記載やそれへの言及はなく、この短歌の前後も全くの日常備忘録記載である)。当時、久作満二十三歳、因みに、私が推理する夏目漱石の「こゝろ」の主人公の「私」(学生)(リンク先末尾にある「●「私」《=学生》の時系列の推定年表」を参照されたい)はまさに二十三歳である。]
九月二十日 金曜
人知らぬ深山の奥の其奥に
神代の儘の瀧つ瀨の音
九月二十一日 土曜
木枯しに葉も切れ切れの柿の木にさみしく照らす月の影かな
天かけるはやての雲のましぐらに辰巳に走る武藏野の原
(林病院に在りて生活す)
[やぶちゃん注:第一首目の「切れ切れ」の後半は底本では踊り字「〱」。「(林病院に在りて生活す)」というのは意味不詳乍ら、文語文で記し、二首目の歌の後書として記しているように見える(この日の短歌の前に一行空けで記されてある日記文は口語で書かれてある)。]
九月二十二日 日曜
〇あら浪の雲を洗ひて幾万里。
[やぶちゃん注:この句の直前に、同じ圏点を附して、
*
〇全世界の人類を一個人として考えたる時吾人は玆に一大事実を發見せむ。天は何物をも示さず地も何物をも教えざるに人は自ら獨創にて神なるものを設けて之を崇拜したり。
*
とある。]
九月二十三日 月曜
〇雨止みて五色に光る落葉哉。
九月三十日 月曜
月冴えてほのかに遠し二つ鐘(バン)
[やぶちゃん注:「二つ鐘(バン)」当該地よりも比較的遠い場所で火事が起ったことを示すために半鐘を二度ずつ打つことを言う。この二日前の九月二十八日の早朝、同居していた久作の祖母友子が中風の発作を再発、この日まで久作の日記には看病の様子が記されている。]
十月四日 月曜
祖父君を見舞に來る父見れば
嬉しくもあり悲しくも悲しくもあり。
[やぶちゃん注:「悲しくも悲しくも」のダブりはママ。父茂丸(友子の長男)は発作で倒れたその日に東京より來鎌しており、十月一日の日記には父と一緒に入浴もしていて、この日が初めての見舞いな訳ではない。]
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