夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅳ) 大正元(一九一二)年 (4)
十一月二十一日 木曜
朝先生を訪ふ。槳基さし易經を讀み午飯に豚を喰ひて歸る。
柳散るや隣の狂女物凄き(國)聲許りして此日暮れつゝ
あそこから月が出るらし雜木森
又土耳古負けた相など月見哉
鳴かず飛ばず故郷で四度月見哉
云ひけらく寺に柚味噌禪の味
歸りて即興帳を作りて駄句る
いひけらく寺に柚味噌禪の味(國)
かさかさと壁にすれ合ふ糸瓜哉
[やぶちゃん注:「かさかさ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
秋雨を軍歌で歸る兵士哉
大佛の顏大きなる枯木立(國)
古枯や乾坤捲いて何處へか(國)
木枯の吹き殘しけり柿一ツ
かしこけれどみあとなつかし菊畑
[やぶちゃん注:同日文日記全文。「槳基」はママ。他の箇所でも久作は将棋をこう書いている。四箇所に出る「(國)」は何を意味しているのか不詳。謂わずもがな乍ら、「歸りて即興帳を作りて駄句る」は日記本文である。]
十一月二十二日 金曜
今日は祖母君の二七日なり。人の一生は日記帳の如し元來白紙のみ。自がじし書き込むなり。生死も亦記事に過ぎず。然れ共維は佛家の説なり。吾之をとらず。
夜長く表紙つめたし日記帳
[やぶちゃん注:以下、『午后九時父上歸り給ふ。』(改行)『千葉の地面買決定、奈良原外出の報告』が日記全文。]
十一月二十三日 土曜
○木枯や四十八灘一息に
○木枯の吹き出づる方や沖の島
○凩の行衞や何處雲萬里
○寢ころべば野菊を雲の行きかひて
○靜けさを何に驚く夜長哉
○秋の空高天ケ原は其上に
○躓いて親指痛し秋の暮
十一月二十四日 日曜
○菊畑此處よりにげし狂女哉
○凩や昨夜の夢ももろ共に
○木枯しや勘當されし子の行ヱ
○茅わけて山へと去りぬ天狗風
○鬼ごつこ男にげ込む菊畑
○桐の葉で下駄の汚れをぬぐひけり
○柳散りて行きつ歸りつ小守哉
十一月二十五日 月曜
○寢るに惜しき炭火に語り明しけり
○百舌の聲須彌壇上の一句哉
○小供落ちて無花果熟れて盲井戸
[やぶちゃん注:「盲井戸」は「めくらいど」であるが、所謂、筒井筒を持たない、ただすっぽりと開いている井戸を指すようである。古い地誌書を調べると板やコンクリートなどで蓋をしたものとは別に「めくら井戸」という語が並列して出るが、これは井戸の上に吸水システムを作って井戸そのものは地面の下に封鎖してしまうか建物の床下に隠してしまう井戸を指しているように読める。]
○通夜の夜や佛のみ覺めて菊の花
○木枯や枕に寄する備前物
○袖を眼に鬼燈膝に落しけり
○馬の糞喰ひたるあたり女郎花
○笛吹いて汽車走り行く枯野哉
○木枯や雨戸おそろし夜もすがら
〇阿蘇の烟南へ十里秋の風
十一月二十六日 火曜
〇山里夕日靜に柿の數
十二月三日 火曜
有り難や木佛金佛阿彌陀佛叩く木魚の音はぽんぽん
[やぶちゃん注:「ぽんぽん」の後半は底本では踊り字「〱」。]
十二月四日 水曜
火事止みて犬の聲絶えて風過ぎて
ひややかに殘る冬の夜の月
十二月八日 日曜
木枯の雲も木の葉も捲き去りて晴れたる朝日心地よき哉
寂しさを打てや長谷寺の鐘のこゑ鎌倉五山冬の夜の月
吹き散らせ天地も共に木枯よ憂に重き吾命をも
十二月九日 月曜
茶菓子あり火あり炭あり夜長哉
[やぶちゃん注:これを以降の年末の日記には詩歌類は載らない。]
« 夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅲ) 大正元(一九一二)年 (3) | トップページ | アリス物語 ルウヰス・カロル作 菊池寛・芥川龍之介共譯 (七) 氣違ひの茶話會 »