譚海 卷之一 越中國もず巣をかくるをもて雪を占事
越中國もず巣をかくるをもて雪を占事
○越中の人語りしは、其(その)國雪深き所故、もずと云(いふ)鳥毎年晩秋に冬月くふべき餌に、蛙諸蟲のたぐひをとり來りて、樹に巣を營みかけ置く也。多くは杉の木に巣かくる事也。その巣の高低にて、今年の雪の淺深をしるといへり。和歌にもずの草くきとよめる物なるべし。
[やぶちゃん注:本条はスズメ目スズメ亜目モズ科モズ Lanius bucephalus の営巣行動と謂う所の「百舌の早贄(はやにえ)」を混同していておかしい。これは巣を除去して、早贄の位置としてならば、伝承として知られたものあるからである。
まず営巣の方を片付けてしまうと、モズは巣によって越冬などはしない。ウィキの「モズ」によれば、営巣は無論、繁殖のためであって、冬も終る二月頃から始まり八月頃までには、『樹上や茂みの中などに木の枝などを組み合わせた皿状の巣を雌雄で作り』、四~六個の卵を産む(年に二回繁殖することもある)。『メスのみが抱卵し、抱卵期間は』十四~十六日で、『雛は孵化してから』約十四日で巣立つ。
次に主題である「百舌の早贄」であるが、これについては私は既に「生物學講話 丘淺次郎 三 餌を作るもの~(1)」で古歌に詠まれたそれも含めて注を附している。ここではそれを少しいじって再掲することとする。丘先生のリンク先の記事も面白い。是非、お読みあれ。
「百舌(鵙)の早贄」はスズメ目スズメ亜目モズ科モズ Lanius bucephalus の特異習性として知られるが、ここで津村が述べ、長く一般にも言われてきたような冬季の食糧を確保するためという見解は、実は現在では必ずしも主流ではない。というよりもこの早贄行動は根本的には全くその理由が解明されていないというのが現状である。以下、ウィキの「モズ」の当該箇所を引用しておく(下線や太字は総てやぶちゃん)。『モズは捕らえた獲物を木の枝等に突き刺したり、木の枝股に挟む行為を行い、「モズのはやにえ(早贄)」として知られる。稀に串刺しにされたばかりで生きて動いているものも見つかる。はやにえは本種のみならず、モズ類がおこなう行動である』(本邦で見られるモズ科はモズ Lanius bucephalus 以外に、アカモズ Lanius cristatus superciliosus・シマアカモズ Lanius cristatus
lucionensis・オオモズ Lanius excubitor・チゴモズ Lanius tigrinus の五種)。『秋に最も頻繁に行われるが、何のために行われるかは、全く分かっていない。はやにえにしたものを後でやってきて食べることがあるため、冬の食料確保が目的とも考えられるが、そのまま放置することが多く、はやにえが後になって食べられることは割合少ない。近年の説では、モズの体が小さいために、一度獲物を固定した上で引きちぎって食べているのだが、その最中に敵が近づいてきた等で獲物をそのままにしてしまったのがはやにえである、というものもあるが、餌付けされたモズがわざわざ餌をはやにえにしに行くことが確認されているため、本能に基づいた行動であるという見解が一般的である』。『はやにえの位置は冬季の積雪量を占うことが出来るという風説もある。冬の食糧確保という点から、本能的に積雪量を感知しはやにえを雪に隠れない位置に造る、よって位置が低ければその冬は積雪量が少ない、とされる』(私もまさに中学高校時代を過ごした富山県高岡で山里の古老から聞いた記憶があり、自宅のあった高岡市伏木矢田新町の二上山を下った尾根などでは、散歩中にしばしば蛙や蜥蜴の「百舌の早贄」を見かけたものである)。しかし食糧確保であるという大前提が崩れている状況では、後者は論理的に納得し得る内容を伴わない。因みに「はやにえ」は歴史的仮名遣では「はやにへ」と表記する。
「和歌にもずの草くきとよめる物」「生物學講話 丘淺次郎 三 餌を作るもの~(1)」では以下のように注した。
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万年青氏の「野鳥歳時記」の「モズ」に、以下の二首が挙げられている。鑑賞文も引用させて戴く(失礼乍ら、一部の誤表記を直させて貰った)。
垣根にはもずの早贄(はやにへ)たててけりしでのたをさにしのびかねつつ 源俊頼
「夫木和歌抄」より。『この歌の意味するところは、モズは前世でホトトギスから沓(くつ)を買ったが、その代金(沓手)を払うことが出来なかった。現世になってモズはその支払いの催促を受け、はやにえを一生懸命つくってホトトギス』(しでのたおさ:ホトトギスの異称。)『に供えているのだというのである。モズの不思議な習性は、昔から人の関心を寄せていたようだ』。
榛の木の花咲く頃を野らの木に鵙の早贄はやかかり見ゆ 長塚節
『榛の木の花は、葉に先立って二月頃に咲き、松かさ状の小果実をつける。これが鳥たちにとって結構な餌となるので、この木があると野鳥が集まる所だと推測できる。謂わば、探鳥の目当てのシンボルともなる木で』ある、と記される。
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ただ、私のミスでこの時、引用先をリンクし忘れ、今回、探してみたが、残念なことに万年青氏の引用先は既に消失している模様であった。しかしどうも「余生歳時記」というブログをお書きになっておられる方が、それをお書きになっていたのではないかと思われるので、そう私が推測した同氏の記事「余命は楽しく過ごそうよ」をリンクさせて戴き、御礼に代えさせて頂こうと思う。
さて、ここでは歌語の「もずの草くき」であるが、「日本国語大辞典」を引くと、これは「もずの草茎」或いは「もずの草潜」と表記し、読みは別に「もずのかやぐき」とも読むもので、元来は、『モズが春になると山に移り、人里近く姿を見せなくなることを、草の中にもぐり隠れたといったもの』とあって、この原義は早贄の生態行動とは全く違う(季節が反対で行動も全く異なる)ことが判る。ともかくもこの原義で用いられた例として同辞典は以下の二首を挙げている。
春さればもずの草ぐき見えずとも我れは見やらむ君があたりをば 作者不詳(「万葉集」巻・十・一八九七番歌)
たのめこし野辺の道芝(みちしば)夏ふかしいづくなるらむ鵙の草ぐき 藤原俊成(「千載和歌集」恋三・七九五番歌)
一方、同辞典では②として『「もず(百舌)の早贄」に同じ』ともする。これはどうも誤用と思われ、しかも幾つかの古歌を見たが、探し方が悪いのか、原義で用いられているものばかりが目につき、早贄の謂いで「もずのくさぐき」を用いるのは近世以降の俳諧(秋の季語)ばかりである。幾つか拾う。
やき芋や鵙の草莖月なき里 言水(「金剛砂」)
草莖を失ふ百舌鳥の高音かな 蕪村(「新五子稿」)
草莖を預けばなしで又どこへ 一茶(「七番日記」)
草茎をたんと加へよ此後は 一茶(「七番日記」)
草茎のまだうごくぞよ鵙の顏 一茶(句稿断片)
なお、今回、神戸市教育委員会公式サイト内の加藤昌宏氏の「神戸の野鳥観察記」の「3.モズのはやにえ(速贄)」をとても面白く、また興味深く読まさせて戴いた。お薦めである。]
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