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2015/08/18

アリス物語 ルウヰス・カロル作 菊池寛・芥川龍之介共譯 (八) 女王の球打場

 

    八 女王(ぢよわう)の球打場(たまうちば)

 

 大きな薔薇の樹が、庭の人口の傍(そば)に植わつて居りました。その樹に咲いて居る花は白でした。けれども三人の庭師が、せつせとそれを赤く塗つて居りました。アリスは大層不思議に思つて、よく見るために側へと寄つていきました。アリスが三人のところへ間近に來ましたとき一人が、「おい、氣をつけろい、五の野郎、こん々におれに繪具をはねかすない。」

 「どうともしやうがないさ。」と五は不機嫌さうに言ひました。「七の野郎がおれの肘をついたんだよ。」

 すると七が顔を上げて言ひました。「さうだらうよ、五の野郎、お前はいつも他人に罪をなすりやがる。」

 「貴樣餘けいな口なんぞ利かない方がいいぜ。」と五がいひました。

 「おれはつい昨日も女王樣が、貴樣を打首にしてもいい位だつておつしやるのを聞いたぞ。」

[やぶちゃん注:底本は「おちしるのを聞いたぞ。」であるが、「おつし」の下に一字分の空白があり(行末)、脱字と断じて、恣意的に訂した。]

 「何でだ。」と、一人の男が初めて言ひました。

 「それはお前には用のないことだ、二の野郎。」と七がいひました。

 「うん、それはあいつに用のあることだ。」と五がいひました。「それだからわしがあいつに話してやるよ――玉葱(たまねぎ)の代りにチユリツプの根を料理番に渡したからなんだ。」

 七は刷毛(はけ)を投げだして、かういひ始めました。

 「さてまあ、いろいろと、不公平な事のうちで――。」このとき七は、アリスが、そこに立つてヂツと見てゐるのを知つたものですから、急に言ひかけた言葉をのみ込みました。それで他(ほか)のものも亦(また)周(まは)りを見まはして、アリスの居るのに氣がつきました。みん々は揃つて叮嚀にお辭儀をしました。

 「あの一寸お尋ねしたいのでずが。」とアリスは少しくおどおどして言ひました。「どうしてこの薔薇を塗つていらつしやるんですか。」

 五と七は何にも言はないで、二の方を見ました。二が低い聲で話しはじめました。「まあ、その理由(わけ)と云ふのはねえお孃さん、ここに赤い薔薇を植ゑなければならなかつたのです。ところが間違へて白い樹を植ゑたのです。そのことを女王樣に見つけられたら、わたし達はみんな打首になるのです。それでお分りでもありませうが、女王樣がここへいらつしやらないうちに、一生懸命赤に塗つて居る次第なのです――。」このとき庭の向ふをキヨロキヨロ見て見た五が叫びだしました。「女王樣だ、女王樣だ。」すると三人の庭師は、直ちに、平伏してしまひました。多勢(おほぜい)の人の足音がやつて來ました。アリスはぜひ女王を見たいと思つて、すぐ振り返りました。

 先づ初めに棒を持つてゐる、十人の兵士がやつて來ました。この兵士共は庭師と同じやうな恰好をして居ました。それは平べつたい長つぽそい形で、その角(すみ)から手や足がでてゐました。次に十人の廷臣たちかやつて來ました。この人達は全身ダイヤモンドで飾られてゐて、兵士達と同じに二列になつて歩いてきました。そのあとから王子たちが來ました。みんなで十人、二人づつ手をつないで、この小さい可愛(かはい)らしい子供たちは、愉快さうにとんでやつて來るのでした。どれもみんなハートの形で飾られて居りました。次には賓客達で、大抵(たいてい)は王子樣か女王樣でしたが、アリスはその中(なか)に白兎が入つて居るのを見つけました。兎はあわてた、こせついた風で話をしながら、話の一つ一つにニコニコ笑つたりして、アリスには氣づかない風でそばを通り過ぎました。それからハートのヂヤツクが王冠を朱の天鵞絨(ビロウド)の褥(しとね)の上にのせて持つていきました。そしてこの大行列の一番終りにハートの王樣女王とがやつてきました。

[やぶちゃん字注:「棒」原文“clubs”。クロッケー(Croquet)用の「クラブ」だが、通常は木製の「木槌」で「マレット(mallet)」と呼ぶ。]

 アリスは三人の庭師のやうに、顏を地につけて平伏(ひれふ)して居なければならないものかどうか、疑はしく思ひました。行列を見る場合そんな規則があるなどと聞いた覺えがありませんでした。「それに人人(ひとびと)が行列が見えないほど顏を地につけて平伏(ひれふ)して居ては行列をしたつて、好の役にもたたないぢやないの。」と考へました。それでアリスは自分の場所に立つて行列のくるのを待つてゐました。

 行列がアリスの方へやつて來ましたとき、みんな一人殘らず立止つてアリスを見ました。すると女王はいかめしい顏をして言ひました。

 「これは誰(たれ)だ。」女王はハートのジヤツクにいつたのでしたが、この男はただお辭儀をしてニコニコ笑つて居るばかりでした。

 「馬鹿!」と女王は我慢しきれない樣に、頭をふりながらさう云つてから、アリスの方を向いて訊ねました。「お前の名は何といふのだい。」

 「陛下、私(わたくし)の名前はアリスでございます。」と大層叮嚀にいひましたが、心の中ではかう思ひました。「まあ、この人達はつまり、カルタの一組にすぎないぢやないの、わたしこんな人達こはがるには及ばないわ。」

 「それから、この者たちは誰(たれ)だ。」と女王は薔薇の樹のグルリに、平伏(ひれふ)して居る、三人の庭師を指ざし右がら言ひました。なぜなら、この男達は地に平伏(ひれふ)して居るので背中の印は外(ほか)のカルタ仲間と同じですから、庭師だか、兵士だか、廷臣だか、自分たちの子供の中の三人だか分らないのでした。

 「どうしてわたしに分りませうか。」とアリスはいつて、自分ながらさういひだした勇氣に驚きました。「そんなことはわたしに係(かかは)りのない事でございます。」

 女王は怒(おこ)つて眞赤になりました。しばらくの間恐ろしい獸のやうない目をして睨んでゐましたが、金切聲(かなきりごゑ)でどなり始めました。「あの女の子の首を切れ、切つてしまへ。」

 「馬鹿ねえ。」とアリスは大層大きな聲で、キツパリと言ひました。すると女王は默り込んでしまひました。

 王樣は女王の腕に手をかけて、おぢおぢしながら言ひました。「まあ、おまへ、考へてごらん。あれはねんねえに過ぎないよ。」

 女王は怒つて王樣から顏をそむけて、ヂヤツクに言ひました。「あいつらを、ひつくり返せ。」

 ヂヤツクは大層用心深く片足で、言はれた通りにしました。

 「おきろ。」と女王は金切聲をはり上げて言ひました。十ると三人の庭師は直(ただち)にとび起きて、王樣や女王樣や、王子たちや其の外、誰(たれ)にでもお辭儀をし始めました。

 「もうお止(や)め。」と女王は金切聲でいひました。「おまへたちのすることを見て居ると、目がまはつてくる。」それから薔薇の樹の方を向いて、いひました。「お前たちはここで何をしてゐたのだい。」

 「陛下のお氣に召すやうに。」と二人は片膝をつながら、恐れ入つた聲でいひました。「わたしたちはあの――。」

 「分つた。」と女王は薔薇の花を調べて見てから言ひました。「この男たちを打首にしろ。」それから行列は動き出しました。後(あと)にはこの不仕合せ攻庭師を死刑に處するために、三人の兵士が殘りました。三人の庭師たちはアリスのところへ走つて來て助けを願ひました。

 「お前たち打首になることはないわ。」とアリスは言つて、近くに置いてあつた大きな植木鉢の中に三人を入れてしまひました。三人の兵士たちは、しばらくの間、庭師を探しに歩きまはつてゐましたが、やがて落ちつきはらつて行列の後(あと)についていきました。

[やぶちゃん字注:この最後の「やがて落ちつきはらつて行列の後(あと)についていきました」の「ついていきました。」は、底本は「ついていましまた。」であるが、誤植と断じ、以上のように恣意的に訂した。因みにこの前後の一文の原文は“The three soldiers wandered about for a minute or two, looking for them, and then quietly marched off after the others.”である。福島正実氏の訳は『やがて静かに、ほかの者たちの後を追って更新して行きました』であり、大久保ゆう氏のそれ(青空文庫版)は、『だから3まいの強者は、ものの数分うろうろとさがしただけで、あとはみんなの後を追ってすたすたすた。』である。「ついていきました。」で私は問題ないと信ずるものである。]

 「打首にしたか。」と女王が叫びました。

 「仰せの通りに、首をはねましてございます。」と兵士たちは叫びかへしました。

 「よろしい。」と女王は叫びました。「お前(まへ)球打遊(たまうちあそ)びができるか。」

 兵士たちは默つてアリスの顏を見ました。――といふのは、この問(とひ)は明らかにアリスに尋ねられたからでした。

 「はい。」とアリスは大聲でいひました。

 「それではおいで。」と女王はどなりました。

 そこでアリスは、この次にはどんなことが起るだらうかと思つて、行列に加はりました。

 「ええと、ええと、大層よい天氣ですなあ。」とアリスのそばで、おどおどした聲が言ひました。アリスは例の白兎のそばを歩いて居るのでした。兎は心配さうにアリスの顏をのぞき込んでゐました。

 「大層よいのねえ。」とアリスが言ひました。公爵夫人はどこにいらつしやるの。」

 「シツ、シツ。」と兎はあわてて、小さい聲でいひました。かう言ひながら兎は心配さうに一寸(ちよつと)振り返りました。それから爪先立(つまさきだち)をして、アリスの耳に口をつけ、ささやきました。「夫人は死刑の宣告をうけたのです。」

 「なんで。」とアリスは言ひました。

 「あなたは『なんて氣の毒な』といつたのですか。」と兎が訊ねました。「いいえ、さうぢやないわ。」とアリスは答へました。「わたし少しも氣の毒には思ひませんわ。『なんで』とわたしはいつたのよ。」

 「夫人は女王樣の耳を打つたのでした。」――と兎はいひ始めました。アリスはキヤツ、キヤツと笑ひました。

 「まあ、お靜かに。」と兎は驚いていひました。

 「女王樣に聞えますよ。公爵夫人はね、少し遲くなつて來たのです。すると女王樣がおつしやるのに――。」

 「みんな場所におつき。」と女王は雷(かみなり)のやうな聲でいひました。家來たちは、ぶつかり合つてころびながら、そこいら中(ぢゆう)を駈けまはり始めました。けれども、一、二分のうちに場(ば)におちついて、それで遊戯(いうぎ)が始まりました。

 アリスは、こんな珍らしい球打場(たまうちば)は、生れて初めて見たとと思ひました。それは、どこも畦(あぜ)や溝(みぞ)ばかりでした。球(たま)は蝟(はりねずみ)で、棒は生きた紅鶴(べにづる)でした。そして兵士たちは、アーチをつくるのに、自分達の身體(からだ)を二重に折(を)つて、手と足とで立たなければなりませんでした。

[やぶちゃん字注:「生きた紅鶴」原文“live flamingoes”。フラミンゴの方が最早、分りが良い。]

 アリスが先づ一番むづかしいことだと思つたのは、紅鶴(べにづる)をあつかふことでした。アリスはそれの身體(からだ)を丸めて、大層工合よく、足を下にさげて、脇の下にかかへることかできました。けれども、アリスがそれの首を眞直に旨(うま)くのばして、それの頭で蝟(はりねずみ)の球(たま)を打たうとする時になると、いつもぐなりとまがつてしまつて、ずゐぶん變な顏をしてアリスの顏をヂツと見るものですから、アリスはこれを見ると笑ひださないでは居られませんでした。アリスがその首を下にさげて又打ち始めますと、今度は蝟(はりねずみ)がころがらないで、のそのそ匍(は)つていかうとしますので、全くいらだたしくなりました。その上、蝟(はりねずみ)を打ちださうとする方向には、一面に畦や溝があつて、それに二重(ふたへ)に折れて輪(わ)をつくつて居る兵士は、いつも起き上つたり、方方歩きまはつたりしますのぺ アリスは間もなく、この球打遊(たまうちあそび)はほんとに難しい遊戯(あそび)だと定(き)めてしまひました。

 球打(たまうち)をする人達(ひとびと)は順番なんか待たず、始終喧嘩をして、蝟(はりねずみ)をとりあつて、一度に球打をしだしました。それで女王はすぐに怒つてしまつて、地團(ぢだんだ)をふみながら、どなりたてました。「あの男を打首にしろ。」とか、「あの女を打首にしろ。」とか、一分間に一度位(ぐらゐ)の割合で言つて居りました。

 アリスも大層心配になつてきました。アリスは、まだ女王とほんとに喧嘩だけはしませんでした。けれども、いつどうなるかも知れないことだと思つてゐました。「さうしたら、わたしどうなるだらう。」とアリスは考へました。「この國の人達(ひとたち)は、打首をすることが大變好きらしいわね。だのに、生き歿つてる人がゐるから、全く不思議だわ。」

 アリスは逃げ道をさがして、見つけられないで、逃げられるかどうかと考へてゐました。そのとき空中に妙な形をしたものが現はれました。初めのうちは何だかさつぱり見當がつきませんでしたけれども、一、二分の間(あひだ)ヂツと見て居ると、それかニヤニヤ笑ひの口(くち)だといふことが分りました。それでアリスは獨語(ひとりごと)をいひました。「あれはチエシヤー猫だわ。これでわたし話相手ができたわ。」

 「御機嫌如何ですか。」と物が言へるだけ口が出て來た時(とき)猫はいひました。

 アリスは猫の目かでてくるまで待つてゐました。それから分つたやうにうなづきました。「耳がでてくるまでは話をしても無駄だわ。すくなくとも片耳だけでも。」

 すぐに猫の頭がすつかり出て來ました。そこでアリスは紅鶴(べにづる)を下に置いて、自分の話を聞いてくれるものができたのを喜んで、球打(たまうち)の話をしだしました。猫は頭だけ見せれば十分だと思つて、それ以上には姿を現はしませんでした。

 「みんなが正直に球打ちをして居るとは思へないわ。」とアリスは、不平らしい口付(くちつき)で話しだしました。「それにあの人達は無茶に喧嘩をら喧嘩をするもんだから人のいふことなんかきこえやしないの――そしてこれといつて別に規則もないらしいのよ。まあ、もしあつても誰(たれ)も守りはしないわ。――それに何から何まで生き物を使うんですもの、その混雜といつたら考へもつかない位(くらゐ)だわ。たとへていへば、わたしが次にくぐつでいかねばならないアーチは球打場(たまうちば)の向ふの端なんかを歩き廻つてゐるの。――そして今しがたもわたしが、女王の蝟(はりねずみ)を打たうとすると、私のが來るのを見つけてずんずん逃げていつてしまふといふ仕末なの。」

[やぶちゃん字注:最後の「そして今しがたもわたしが、女王の蝟(はりねずみ)を打たうとすると、私のが來るのを見つけてずんずん逃げていつてしまふといふ仕末なの。」という箇所は少し分かり難い。原文は“—and I should have croqueted the Queen's hedgehog just now, only it ran away when it saw mine coming!”で、私の生きたハリネズミの球が転がって来るのを見ると、女王の生きたハリネズミの球は自分で勝手に元あった位置から「ずんずん逃げていつてしまふといふ仕末なの」よ! と憤慨しているのである。]

 「お前は女王樣は好きかい。」と猫は低い聲でいひました。

 「ちつとも。」とアリスが言ひました。「女王樣は大變に――」といひかけると、女王がすぐアリスの後(うしろ)で、耳をかたむけてゐるのを見つけましたので「――きつと勝つでせう。だからおしまひまで勝負をやる必要なんかないわ。」と言ひました。

 女王はニコニコして通つていきました。

 「お前は誰(たれ)に話をして居るのだい。」と王樣はアリスの傍(そば)へやつてきて言ひました。そして大層不思議さうに猫の頭を見ました。

 「これは私の友達で――チエシヤー――猫ですの。」とアリスはいひました。

 「御紹介しますわ。」

 「わしはあれの顏つきがきらひだ。」と王樣がいひました。「けれども望みとあれば、手にキツスをゆるしてやる。」

 「あんまり望みでもありません。」と猫はいひました。

 「小癪なことをいふな。」と王樣は言ひました。「そんなにわしの顏を見るな。」王樣はかう言ひながら、アリスのうしろへいきました。

 「猫は王樣の顏を見てもいいものです。」とアリスは言ひました。「わたしはある本で見たことかあります。でもどこだつたか覺えてゐません。」

 「とにかく、あいつは取りのけなければいけない。」と王樣は大層キツパリといつて、丁度そこを通りかけた女王に話しかけました。「ねえ、お前あの猫をとりのけてくれないか。」

 女王にはどんなむづかしい、又は易しい問題でもそれを定めるには一つの方法しかありませんでした。それで「あいつを打首にしろ。」といつて見向きもしませんでした。

 「わしは自分で首斬人(くびきりにん)をつれてくる。」と王樣は熱心にいつて、駈けだしました。

 アリスは自分も戻つていつて、勝負がどんな樣子だか見たいと思つてゐましたが、そのとき女王が怒つて、金切聲を張り上げて居るのを聞きました。順番を間違へたといふ理由(りいう)で、女王が三人に死刑の宣告を下したのでした。アリスは勝負が滅茶苦茶になつて、自分の順番だかどうだか分らないほどでしたから、樣子を見て居るのがいやになつてきました。それで自分の蝟(はりねずみ)を探しにでかけていきました。

 蝟(はりねずみ)は外の蝟(はりねずみ)と爭(あらそ)つてゐました。それをつかまへて他の蝟(はりねずみ)を打つのに至極いい時だと思ひましたが、今度は困つたことには、紅鶴がお庭の向ふへ行つて、樹の上にとび上らうとあせつて居るのが見えました。

 それで紅鶴をつかまへて歸つて來ますと、蝟(はりねずみ)の爭ひはすんで居て、二匹ともどこかへ去つてしまつてゐました。「でも平氣よ。アーチの兵士たちがこつち側にはゐなくなつてしまつたから。」

 そこてアリスは紅鶴をのがさないやうに、脇にしつかりかかへて、お友達と話をしに戻つていきました。

 アリスがチエシヤー猫の處に戻つていつて、驚きましたことには、猫のまはりに多勢(おほぜい)の人があつまつてゐるのでした。首斬人と王樣と女王との間に口喧嘩がおこつてゐて、三人が三人とも一緒にしやべりたててゐました。けれども他(ほか)の者たちは默りこんで、不愉快さうな顏をしてゐました。

 アリスの姿が見えると、三人はアリスにこの問題をきめてくれるやうにと賴むのでした。三人はアリスに自分の言分(いひぶん)をくりかへしました、けれども、一緒に話すものですから、何をいつて居るのかよく分ませんでした。

 首斬人の言分は、首が身體(からだ)についてゐてゐければ首を切ることはできない、それに今迄にそんなことはしたこともないし、又自分の樣な年齡になつてから、そんなことをやり始めようとも思はないといふのでした。

 王樣の言分といふのは、首のあるものの首をきることができないことはない、そしてこれは馬鹿げた話ではないといふのでした。

 女王の言分といふのは、今すぐできないやうなら、誰(たれ)でもかまはず、みんなを打首にする、といふのでした。(このおしまひの言葉で、一同は至極ものものしい心配げな顏をしました。)

[やぶちゃん字注:最後の丸括弧閉じるは底本になし。恣意的に附した。]

 アリスは外に何もいふべきことを思ひつかず、唯(ただ)、「それは公爵夫人のものです、夫人に訊いて見た方がよろしいでせう。」とだけ言ひました。

 「あの女は牢屋に入(はひ)つて居(ゐ)る。」と女王は首斬人にいひました。「ここへ連れてこい。」それで首斬人は矢のやうにとんでいきました。

 猫の頭は首斬人が行つたときから、段段と消えはじめ、公爵夫人を連れてきたときには、すつかり見えなくなつてゐました。そこで王樣と首斬人は、アチラコチラをドンドン走り廻つて猫を探しました。けれども他(ほか)の人達は、又勝負をやりに立ちかへつていきました。

 

[やぶちゃん注:冒頭の第一段落最後のカード「2」の庭師が「はねかすない」という語を用いている。詳細は木下信一氏の手に成る「菊池寛・芥川龍之介共訳『アリス物語』の謎」を参照されたいが、木下氏は少なくともこの「はねかす」という語を芥川龍之介に特徴的な東京訛りと捉え、最大でこの冒頭辺りまでは、龍之介が翻訳したのではないかという仮説を建てておられることを紹介しておく。少なくとも、この前の第七章までは確実に芥川龍之介訳「アリス物語」であるというのが木下氏の推理であり、以降はそれを引き継いだ菊池寛訳になるものと推断されておられる。]

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