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2015/08/31

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第七章 神國の首都――松江 (一)

 

       第七章 神國の首都――松江

 

         

 

 松江で朝の夢を破る最初の物音は、丁度耳底で緩やかな大きな脈が搏つやうに響いてくる。それは太い柔かな鈍い衝擊の音だ――その規則正しさと、その掩ひかくしたやうな深い音と、その聞えるといふよりは寧ろ感ぜられるやうに、枕元から搖れてくる點からは、心臟の鼓動に似てゐる。それは單に米搗の太い杵の音なのだ。杵は一種の巨大なる木槌で、長さ約十五尺の柄が樞軸の上に水平に載せてある。米搗の男は柄の一端を强く踏んで、杵を擡げる。それから、足を放せば、杵はその重量によつて米の臼の中へ落ちる。杵の落ちる響が一定の拍子で洩れてくるのが、日本人の生活に伴ふあらゆる音響の中で、私には最も哀れに思はれる。米搗の音は日本といふ國土の脈搏だ。

 それから禪刹洞光寺の大きな鐘が、洞然と響渡つて、市の上空を撼がせる。續いて私の宿に近い材木町の地藏堂から、太鼓の淋しげな音が晨の勤行を告げる。最後には、早く出掛けた行商人の物賣の聲。『大根やい! 蕪菁や、蕪菁!』『薪(もや)や、薪(もや)や!』――炭火を燃やすための、小さな細い薪木の片を賣る女の悲しげな聲。

    譯者註。松江に來られた最初、先生は
    末次本町字緣取町の富田屋といふ旅館
    に宿つて居られた。富田屋から一町ば
    かり東北に榎藥師の地藏堂といふのが
    ある。本章の松江の記事は、富田屋滯
    在時代から始つて、やがて先生が家を
    構へられた頃までの見聞記である。世
    界を放浪し來つて、こゝで始めて家庭
    生活の人となつて持たれた家は、末次
    本町、織原氏の離座敷で、宍道湖を見
    渡して景色のよい處であつた。その家
    は以前には縣令の宅となつてゐたこと
    もあつた。後には中學校の寄宿舍にも
    用ひられた。最後に皆美館に合併され
    たが、燒失の後、その跡には現在該旅
    館の一部、東端の諸室が建つてゐる。

[やぶちゃん注:松江の旅館大橋館(後述する)公式サイト内の「小泉八雲ゆかりの地」によれば、ハーンは明治二三(一八九〇)年八月三十日午後四時、『対岸の港に船で着いた』とあり、貴重な詳細情報である。

「十五尺」四・五四五メートル。

「樞軸」「すうぢく(すうじく)」と読み、「樞」(枢)は元来は「くるる」で、開き戸を開閉する装置のことを指し、「軸」は車の心棒を言うが、そこから転じて、物事の中心となる重要な部分、枢要の意となった。ここは杵の搗くという主機能を持つところの足踏み式の横杵(よこぎね)の杵の部分(横に出る部分は「柄」)を指している。平井呈一氏は『軸木』と訳しておられる。

「洞光寺」少なくとも現行でも「とうこうじ」と濁らない(原文参照)。現在の島根県松江市新町にある曹洞宗松江金華山洞光寺。後に出る旅館富田屋のあった位置からは凡そほぼ南に一・四キロメートルほど離れた位置にある。

「撼がせる」「震撼」という熟語から想像出来るように、本来は「動かす・ゆする」、「動く・揺(ゆ)らぐ・揺れる」の意であるから、ここは落合氏は「ゆるがせる」と訓じておられるものと思われる。

「晨」「あさ」と訓じておく。

「大根」原文から、「だいこん」ではなく「だいこ」と叫んでいることが判る。

「蕪菁」やはり原文から、「かぶら」ではなく「かぶ」と叫んでいることが判る。

「薪(もや)」「日本国語大辞典」を見る限り、『たきぎにする小枝や木の葉。粗朶(そだ)。ぼや』とあり、本来は方言というよりも近世以降の古語のように思われる。以下に細い枝の焚き木としての方言の項もあるにはあるが、採集例は関東から四国まで極めて広域で、限定的な方言とは思われないからである。最後に「大言海」「綜合日本民俗語彙」から、語源は「燃やす」の意か、と記してある。

「末次本町」「すえつぐほんまち」と読む。松江市末次本町として現存する町名である。

「緣取町」「へりとりちやう(へりとりちょう)」と読む(後述)。この字(あざ)町名はネット検索では引っかからず、現行では最早、用いられていない模様である。但し、()今岡ガクブチ店の「松江絵葉書ミュージアム Matsue Postcard Museum」の「大橋正面の景(第16代)」の絵葉書とその解説に『当時このあたりは通称縁取町(へりとりちょう)といわれていた』。この名称は『界隈に畳の業者が集まっていたからである』とあり、読みと由来が分かった。但し、この富田屋については『この旅館は昭和6年の末次町大火にて消失』、『その後新築されたが現在は大橋館に売却されてない』(大橋館は島根県松江市末次本町四十(松江大橋北詰)の東側直近数十メートル圏内に現存する旅館)とあって、落合氏の言う「皆美館」(松江市末次本町十四に現存する旅館であるが、これは大橋北詰の西百メートル圏内にある、少なくとも名前も場所も全く別な旅館である。同皆美館の公式サイト内の「文人墨客に逢う」には、はっきりと小泉八雲が『来館し』たと記されてある)とする叙述と齟齬がある。識者の御教授を乞うものである(次注も参照されたい)。

「富田屋から一町ばかり東北に榎藥師の地藏堂といふのがある」これは現在の東本町一丁目に現存する薬師如来堂である(江波潤一氏のブログ「江波文學塾」の「町の歴史が消えていく」を参照されたい。それによれば残念なことに榎の大木は昭和六(一九三一)年五月十六日の大橋北詰を出火元とする大火で焼失して現存しないとある)。「一町」は約百九メートルであるからこれで富田屋が同定出来るかと思いきや、前注に出した大橋館では五十メートル弱、皆館では百六十メートルと、実に悩ましい距離なのである。

「織原氏」ラフカディオ・ハーン 日本海の浜辺を読むと、この家主が小泉セツをハーンに住み込み女中として紹介したことが判る。この記事は富田屋旅館を出るところから始まり、ハーンの複数の住居での暮らしぶりが実によく判る優れた記載で必読である。特に彼が富田屋旅館を出た理由が、意外にも激しい(といより、ハーンらしい真直な)義憤によるものであったことが知れて興味深い。] 

 

Chapter Seven

The Chief City of the Province of the Gods



Sec. 1

   THE first of the noises of a Matsue day comes to the sleeper like the throbbing of a slow, enormous pulse exactly under his ear. It is a great, soft, dull buffet of sound—like a heartbeat in its regularity, in its muffled depth, in the way it quakes up through one's pillow so as to be felt rather than heard. It is simply the pounding of the ponderous pestle of the kometsuki, the cleaner of rice—a sort of colossal wooden mallet with a handle about fifteen feet long horizontally balanced on a pivot. By treading with all his force on the end of the handle, the naked kometsuki elevates the pestle, which is then allowed to fall back by its own weight into the rice-tub. The measured muffled echoing of its fall seems to me the most pathetic of all sounds of Japanese life; it is the beating, indeed, of the Pulse of the Land.

   Then the boom of the great bell of Tokoji the Zenshu temple, shakes over the town; then come melancholy echoes of drumming from the tiny little temple of Jizo in the street Zaimokucho, near my house, signalling the Buddhist hour of morning prayer. And finally the cries of the earliest itinerant venders begin—'Daikoyai! kabuya-kabu!'—the sellers of daikon and other strange vegetables. 'Moyaya-moya!'—the plaintive call of the women who sell little thin slips of kindling-wood for the lighting of charcoal fires.

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