来日直後のハーン御用達の横浜の車夫「チア」(チャア)についての一考察
「私の車夫は『チヤ』といふ名である」原文は“ My kurumaya calls himself 'Cha.'”である。私はこれについて、ある推理がある。これは本当にこの車夫の名前なのだろうか? という素朴な疑問なのである。平井呈一氏は「チャア」と表記されておられしかも、原文に即して『わたくしの雇った俥(くるまや)は自分で自分のことを「チャア」と呼んでいる』と訳しておられる。「チア」や「チャア」から想像される名は、姓ならば「千屋」「千谷」「千野」「茅屋」であろうが、当時の車夫が自ら姓を名乗ることは私は考え難いと思っている。すると名や通称であるが、そうするとますます想像し難い。「茶之助」や「茶々丸」とかで「茶」、通称で「茶屋」「茶」などは一見ありそうにも見えなくはないが、寧ろ、私はどうも車夫の呼び名としては変な気がして退けたいのである。とすれば……これは実は姓でも名でも通称でもないのではないか? と思うのである。即ち、これは単に彼の一人称ではなかったか? というすこぶる素朴な疑問なのである。そもそも平井氏の訳を待つまでもなく、原文がそれを物語っているではないか? 私は三十三年間、神奈川で公立高校の教師をしていたが、生粋の横浜生まれの複数の同僚が、しばしば自分のことを「あっし」と呼ぶことを非常に面白いと思い続けてきたのである。しかもこの「あっし」は決してクリアなものではなく、もっと正確に音写するなら「アッシ」或いはもっと正確には「ァッシィ」と聴こえるものである。私はこのハーンの原文の“Cha”を見ていると、思わずこの“achi”がハーンには音としてかく聴こえたのではなかったか? と深く疑っているのである。大方の御批判を俟つものではある。
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