橋本多佳子句集「命終」 昭和三十四年 蘆刈
蘆刈
触らねば蘆火おとろふ刈蘆原
蘆刈がもの喰へば鋭刃やすらへり
妻遠し蘆原広し蘆刈男
高々と塔組む刈蘆に過ぎず
蘆刈の姥の重腰(おもごし)鎌させば
枯蘆中すでに枯蘆退路断つ
この風にこの枯蘆に火をかけなば
何得んと吾立つ恋得んと鹿駆く
廃戒壇あれば高まり野の穂絮
泥擾乱泥鰌いつぴき身を隠し
[やぶちゃん注:「穂絮」老婆心乍ら、「ほわた」と読む。穂綿。チガヤ・アシなどの穂のことで、かつては綿の代用とした。
どうもロケーションが判然としないので感情移入が私にはし難い句群である。「高々と塔」が「組」まれていて、「鹿」と「廃戒壇」とくれば、これは奈良のように見えるが、奈良に冥い私にはそれ以上(というかそれが正しいかも含めて)は感じが湧いて来ない。標題に「蘆刈」と持ってくれば、まずは能の「蘆刈」を読者はイメージするであろうが、それを思わせるのはせいぜい三句目の「妻遠し」ぐらいなもので、寧ろその他の句は実際のアシ・ヨシ刈りの景物を嘱目している感を私は受ける。また能のハッピー・エンドの「蘆刈」の雰囲気は全体からは全く伝わって来ず、孤立と哀愁を全体のコンセプトしているように見える点では、「大和物語」に見るような悲劇的な男女の別離を配した蘆刈伝承や、夢幻能をインスパイアした谷崎潤一郎「蘆刈」(これは粘着質で嫌いな谷崎の作品の中でも例外的に私の好きな作品である)を匂わせているものか? 但し、それらのロケーションは難波津であり、水無瀬の宮跡の山崎であって、このロケーションとは違うような感じがする(といっても私は難波津も水無瀬離宮跡も訪れたことはない)。しかし全体、殊更にわざとらしく、それでいてどこか説明的(接続助詞「ば」の頻出が蚊柱のように忌まわしく五月蠅い)で如何にもな安っぽいクロース・アップの多様が鼻につく。例えば、
「触らねば」(C-UP)→「蘆火」が「おとろふ」(C-UP)
「もの喰へば」(C-UP)→「鋭刃」が「やすら」ふ(C-UP)
「妻遠し」/「葦原広し」(パースをつける)→「蘆刈男」(C-UP)
「姥」で「鎌させば」(バスト・ショット)→「腰」が「重い」(C-UP)
「この風に」→「この枯蘆に」→「火をかけなば」
「恋得んと鹿駆く」→ならば「何得んと吾立つ」か
「廃戒壇あれば」→「野の穂絮」が「高ま」る(C-UP)
「泥鰌いつぴき」が「身を隠し」→「泥擾乱」(C-UP)
これは恐らく多佳子の実験であって確信犯なのであろうが、しかしどうもこの句群、好きになれぬ。こう評しながら、以前はいいと感じた「この風にこの枯蘆に火をかけなば」のジャンヌ・モローの「マドモアゼル」風(トニー・リチャードソン監督一九六六年フランス+イギリス合作。因みに本句は昭和三四(一九五九)年の作)の一句も、今は全くいいと感じなくなっている自分を見出している。却って禅語染みたような印象の「枯蘆中すでに枯蘆退路断つ」の方が、断然、いい。――蘆原を分け入って分け入って分け入って――そうして――振り返ると――蘆が音もなく――閉じているのである――これもまた、私が老いたからに他あるまい。]
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