夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅴ) 大正一三(一九二四)年 (全)
大正一三(一九二四)年
[やぶちゃん注:大正二(一九一二)年から大正一二(一九二三)年の日記は底本にはない(実在しないかどうかは不明。ただ、一月四日の記事に『此年になつて日記をつける事になつた氣が知れぬ。若返つたのか年のせいか』という自嘲の言葉を記しているところを見ると、ある有意な期間、彼は日記を書いていなかった可能性が頗る高い)。この間、大正二年に慶応大学文学部を退学(基本的に父親の厳命に拠る)、福岡県香椎の杉山農園経営に従事することとなった(経営実状は惨憺たるものであった)が、各地を気儘に放浪、大正四年六月二十日、突如自己意志によって東京文京区本郷の喜福寺にて剃髪、禅僧として出家して法号を泰道と称した(継母及び実父杉山茂丸側近内に長男である直樹(久作の本名)を廃嫡する策動を察知して自ら先手を打ったものらしい)。翌年にかけて行雲流水の行脚に出るが、大正六年に僧名のまま還俗、杉山家を継承して再び杉山農園に戻った(父茂丸の命と継母の願いに拠る。この頃より執筆活動が開始され始める)。大正七年二月二十五日、鎌田クラと婚姻、この頃、喜多流謠の教授資格を伝授され、鎌倉郡長谷三〇五番地より杉山農園に正式に転籍、大正八年には長男龍丸出生し、農園経営に力を入れ始めている。大正九年、父のコネで玄洋社系の『九州日報新聞』記者として入社、翌大正十年には福岡市荒戸町杉土手に転居し、次男鉄児が生まれている。大正十一年には同新聞社社会部から家庭欄担当に配置換えとなって、童話を多く執筆し始める(十一月には代表作の一つ「白髪小僧」を杉山萠圓名義で誠文堂より出版)。大正十二年九月一日の関東大震災では同新聞社震災取材特派員記者として八面六臂の活躍をしつつ、童話執筆も旺盛であった。以下、本大正十三年には、三月一日附を以って『九州日報』を退社(震災取材の疲労甚だしきに拠る休養を理由とする。但し、翌大正十四年四月一日附で再入社し、凡そ一年後の大正十五年五月に再度、退社している)するが、この頃より本格推理小説の執筆が既に始まっていた模様である(同年十月博文館の探偵小説公募で杉山泰道名義で「侏儒」が選外佳作となっているからである)。]
一月一日 火曜
◇ニツコリと云ふも事も無い幸福さ
◇ゆつくりと急いで娘道を問ひ
◇今年からコスモスを蒔く幸福さ
◇晴れ渡るあとから下駄を提げて行く
[やぶちゃん注:元旦らしい祝祭句群であるが、生活感がリアルに出ていて好ましい。]
一月二日 水曜
◇煙よ煙よデモ五圓借せ二圓借せ
[やぶちゃん注:「煙よ煙よ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
◇ふりかへる煙の中の月一つ
◇殘る煙癪は癪だがなほる方
◇煙つたい奴に生憎金があり
[やぶちゃん注:ここは次の川柳と間に有意な一行空けがある。]
◇借りる丈け借りて急用思ひ出し
◇大急ぎお辭儀が角を折れまがり
◇先生がドテラを召していらしてよ
◇先生がかはつて居るで又睡り
◇晴やかに笑つて扨と暗い顏
[やぶちゃん注:久作に金をたかってくる青年達(思想左右不詳)の影が、何とも彼の心にどんよりとしたものを落している感じが強く感じられる。この蠅どもに就いて御存じの識者の方の御教授を乞うものである。]
一月三日 金曜 快晴 寒
[やぶちゃん注:この「金曜」の記載はママ。久作の誤り。事実は木曜である。]
晴れ渡る田舍をとぼとぼ歩みくれば
いつか思ひに頭うなだる
秋の夕日眞赤に海を渡り來るを
笛吹き乍ら汽車よぎり行く
[やぶちゃん注:前年(或いはそれ以前)の秋の回想吟であることが判る。ここから前後の詩歌群も嘱目吟と読むととんだ誤読を仕出かすかも知れないので、御用心。]
一月四日 金曜
空の煙地上の煙かぐやかに
わが見晴らせる秋の神聖よ
間引きする吾が二の腕に春の陽は
いつとしも無くうすれ行くも
手術室のヱンジンの音ひそやかに
白雲一つ窓よぎり行く
硝子窓おびゆる如く音たてゝ
晴れ渡りゆく秋の曉
一月五日 土曜 晴
電鐡のポールが窓をよぎり行く
あとより秋の雨晴れて行く
街ゆけば思ひめぐらす事多し
三十のわれ早老いけるか
[やぶちゃん注:当時、夢野久作、満三十五歳であった。]
長崎に明日着く船のしみじみと
海わたりゆき秋の日暮れぬ
何處からか見知らぬ犬がついて來る
秋のまひるの街のしづけさ
笑ひ出すあとよりすぐに眞面目になる
何か彼女の氣にかゝるらし
一月六日 日曜
クラと博多より歸るさ柴藤とつれ立つ。女づれなり。
博多發四時十三分の汽車を待つ間立石氏の處へよる。川流作者六人われもまじりて作る。
講談雜誌二百圓懸賞の題「まけぬ氣」十分間吟也。一分間二十圓これ程のかねまうけはあるまじと古野しやれる。
惚れたのと戀との區別人にきかれ
あはれなるわれ頭かくのみ
近い中にマント買へると云ふことが
心うれしく幾月かつとめぬ
わが兒等を海に連れ來て幾度か
石投するうち淋しくなりぬ
進物のチョッキわざっとスイタ樣
[やぶちゃん注:全文表示。最終川柳の「チョッキわざっと」はママ。「クラ」は久作の妻。「芝藤」は芝藤精蔵と言い、喜多流能楽師範で芝藤醤油店社長。彼は久作と喜多会問題で大喧嘩をした人物と底本注にある。]
一月七日 月曜 晴
◇安いねと笑つたら先づ買はないの
◇茶を嗅いでお菓子を嘗めていづれ又
◇もういけませんと云ふ程婆でなし
◇大變よ坊ちやまの手に赤インキ
◇銀紙に腰を拔かした譯を云ひ
◇赤い夕日にんじん花にしみぐとしみつき光り秋高晴るる
一月八日 火曜 晴れ
今の思ひ今限りかと思はるゝ
夕日眞赤し夕日眞赤し
はるかなる雲路の鳥を見送りて
しばし佇む秋老いし心
歸路みちうなだれて行く物思ひの
絶え間絶え間に蟲すゞろ泣く
一月九日 水曜 夜急雨
思ひ絶え思ひ絶えつゝ物思ひく行く秋の野の風
秋の風彼の山の草吹枯らせ靑さに絶えぬ吾思ひなれば
赤土を切り開かれし山の端に今年の秋より汽車通るてふ
消しゴムで消え相な雲が空を行きサアと雨ふる秋の夕暮れ
何やらむ心の底に飢えかわき秋の一日の靜かに暮るゝ
鼠なき姐御ジロリとふりかへり
信越線で日本大陸横斷すれば兩方に秋の梅見えたるわ
人間よ汝は無用のものなる哉靑空をじつと見つめる心
一月十日 木曜
月の中に又月のあり月のあり吾が涙つひにあふれ出でしかな
吸殼を河に投げすてふと思ふわれにわかれて消えてゆくもの
一月十一日 金曜
エスペラントと英語とまじりヒラヒラと秋の夕浪暗くなりゆく
[やぶちゃん注:「ヒラヒラ」の後半は底本では踊り字「〱」。次の一首の「ヒラヒラ」も同じい。]
先生の鬚なれば何故可笑しいかヒラくと秋の夕浪の打つ
一月十二日 土曜
運命に囚はれじとてもがくはどその運命に囚はるゝかな
實父のためまゝ母のため三十まで童貞なりし男なりわれ
一月十三日 日曜
無殘なる大東京の燒けあとにやつぱり月は一つしか出ず
[やぶちゃん注:前日の日記には『鎌田にとまる』とはあるものの、これや以下の情景は関東大震災後の回想吟と思われる(十一日は博多に居り、この日は長崎と思われる『新大工町』にいた友人を訪ねている模様だからである)。]
しづかなる此世の夢のたまゆらと知らでや星の空を飛ぶらむ
吾が歌のわが聲となる嬉しさよ吾が手を揉みてよろこぶ
わが妻は時折り何か泣きてあり尋ねも得せぬ吾が心弱さ
黑烟は空にたゞよひ汽車の音ははるかに遠く春の陽に沈む
蓮池の蓮の枯れ葉の一つ一つ石れい渡り日の暮れて行く
煙突がたふれて來さうに思はれて秋の靑空恐ろしき哉
病院の音ことも無きあかつきを患者はいかに耳すますらむ
雲漂ひ家立ち並び人あゆむ秋のまひるのあらはなる哉
一月十四日 月曜
何かしら相濟まぬ事ある如し秋日かゞやく街を歩めば
客人が歸ると急に腹がへり
畏こまつて亭主孫兒を抱いて居る
安ちやんを御覧なさいでかしこまり
月明るし月また暗しはるかなるちがやの山に風波るきこゆ
シグナルの光悲しも月の下のちがやの原を風渡るとき
雲盡きず月の光もまた盡きず風また盡きず吾が家のまはり
一月十五日 火曜
子の事を云ひもせぬのに母は詫び
鏡台と便所で讀むは祕報展
主よ彼女を早く信仰に入らしめよ
見慣れても變な婆卷煙草
厂手紙いくらか惚れてからの事
[やぶちゃん注:「厂手紙」「かりてがみ」か。蘇武の故事に基づく雁書から考えれば、「おくりぶみ」(恋文)かも知れない。識者の御教授を乞う。]
パンのみで生きてイヱスに唾を吐き
成金になつて世間が狹く見え
出かけ相な亭主にうまく子を預け
基督は世界最初のまけ惜しみ
瓦斯タンク何だか□□なものに見え
[やぶちゃん注:「□□」は判読不能字と思われる。]
度胸丈け群を拔いたが運の盡き
一月十六日 水曜
先生のドテラはあれでハツタンよ。
細君の度胸煙草の店を出し
内證では狐狸も馬鹿のうち
お前こそ狐だと云ふ仲のよさ
救世軍狐狸をおだて上げ
地震學まだ云ひ當てぬ狐付
ギヤーギヤーを狐ときいてこわくなり
[やぶちゃん注:「ギヤーギヤー」の後半は底本では踊り字「〱」。]
シテの出はワキのシビレが切れてから
犬公方男公方は出ずじまひ
一月十八日 金曜
詩は加藤竹は吉安うたひ俺れ
[やぶちゃん注:「加藤」底本注に加藤介春とある。福岡県出身の詩人加藤介春(かいしゅん 明治一八(一八八五)年~昭和二一(一九四六)年)か。早大在学中の明治四〇(一九〇七)年に相馬御風らと「早稲田詩社」を結成し、次いで「自由詩社」創立に参加、口語自由詩を唱え、後に久作の勤めた九州日報社、福岡日日新聞社に勤務した(講談社「日本人名大辞典」に拠る)。]
お茶は淸原無藝しの崎
屁は加藤豆は吉安酒はおれ
飯は杉山嬶ア篠崎(ダブ)
ソーネ花田モジモジ谷田阿呆瀨戸
アレクサ安藤わしが大原
歌社長女贄田に電話和田
[やぶちゃん注:周囲の人間をヤリ玉に挙げた徹底した揶揄嘲笑川柳らしいが、細部は不詳。]
一月卅一日 木曜
五月晴れひとりしみじみ機關手は汽車のくるまに油さすなり
二月五日 火曜
◇思ひなくねむりにしづむたまゆらとしらでや星の空を飛ぶらむ
◇はるかなる工場の笛に耳すます肺病の子の春のあかつき
二月廿日 水曜
家も無く金なく足袋は泥だらけタビのあはれを思ひしるかな
二月廿四日 日曜
[やぶちゃん注:『九州日報』第一回退社の六日前である。但し、以下の二十三首に及ぶ多量の歌稿は、この日の記事の後に特に『(欄外)』として載る。そして、ここで唐突に大正一三(一九二四)年日記は断絶している。]
俺一人が山に登つてゐるうちに
世界が津浪で亡びればよい
何かしら笑みかゞやきて街を行く
死なうと思ふて家を出づれば
俺の腕の大き靑すぢ斷ち切りて
血を吸はせやうかドクダミの花
秋日あかく
死人は頰の傷の横に
白い齒を剝いて……秋日あかあか
[やぶちゃん注:「あかあか」の後半は底本では踊り字「〱」。]
おれの罪が
輪に輪をかけて果てもなく
つながる果の三日月の光り
カフヱ一に來て
ストローを口にしてやっと
人を殺して來た氣持ちになる
[やぶちゃん注:「やっと」はママ。]
牛乳の瓶を毀して
自殺した娘
母は叱りませぬと云ふのに
居留地で西洋婦人が自殺した
原因はわからぬと
警官が笑ふ
知らぬ男
留守に尋ねて來たといふ
知らぬ男恐ろし夕の夕榮え
靑草を
新しい下駄で踏みわけて
逃げ出した氣持ち今も忘れず
同囚の
殘忍な顏を思ひ出す
夕日の前にハラハラ降る雨
[やぶちゃん注:「ハラハラ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
盗んだ金
まだ使ひ得ず村を行く
はるかにはるかに汽車の吹く笛
[やぶちゃん注:「はるかにはるかに」の後半は底本では踊り字「〱」。]
眞夏まひる
わが古き罪思ひ出づる
のいばらの花を見つゝも
毒藥の小さな瓶が唯一の
樂しみとなって
半日經った
[やぶちゃん注:「なって」「經った」の拗音はママ。]
此の斜面突落されてみたい
なぞ思ふうちフト
辷りはじめた
美しい此姉さんを
突き刺したら
香水の血が出るやうな氣がする
木の葉動かず
星もまたゝかず
たつた今人を殺した俺をみつむる
殺された態度を
探偵が眞似て見せた
あまり違ふので俺は笑ひ出した
靑空はいろんな罪を
仰ぎ見る人に教えて
知らぬ顏してゐる
地平線の
一直線の恐ろしさ
燕が叫んで逃げて歸つて來る
土深く死骸を埋めて
其の上に大きな石を
埋めてほゝ笑む
棚の上のアルコール漬の肺臓等
ため息し居り秋の日あかあか
[やぶちゃん注:「あかあか」の後半は底本では踊り字「〱」。]
妖女あり妖怪と躍り忽ちに
妖兒を孕めり印度の更紗
[やぶちゃん注:以上、まさにプレ「獵奇歌」群と呼ぶに相応しいが、言っておくが「獵奇歌(りやうきうた)」の公開開始はこれより四年後の昭和三(一九二八)年六月以降である。]
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