日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十章 陸路京都へ モース先生茶の湯体験記 その二
間もなく我々に面した、辷る衝立が、静かに横に押されてみきが出現し、三角形の漆器盆を一つ一つはこび込んだ。各種の皿は最上等の品で、飯皿と大きな飯匙とは陶器、酒入れは豪奢に細工をした金属、盃は美事な漆器であった。飯は一つの鉢に、漬物を添えた生魚は他の鉢に、揚げた鰻と瓜は別の鉢に、味噌汁と百合の根とは更に別の鉢に、それからそれを料理したその容器のままで膳に出す、最も美味な羹(あつもの)は、蓋のある皿を充していた。主人は子息と一緒に、母家で同様の料理を供される。食事の間、客と共にいることは不適当とされているのである。我我は然し張出縁の向うにいる彼を、よく見ることが出来た。我々が食事をしている最中に、老主人は我我と共に酒を飲むべく入って来た。我々は先ずみきと酒を飲み、彼女の父親も同様にした。盃をゆすぐ杯洗は無く、盃は小さな台にのって、あちらこちら往復した。娘と飲んだ後、我我は主人と飲んだ。
[やぶちゃん注:「揚げた鰻と瓜」原文は確かに“fried eels and melon”であるが、これは恐らく鱧か穴子の天麩羅ではあるまいか? 「瓜」は南瓜だろうか?]
図―653
次に非常に美しい漆塗の盆が出された。それには菓子の小さな堆積がのせてあり、又別の盆には何等かの野菜がのせてあったが、私は写生に忙しくてこれ等を食わなかった。菓子は我々の飯茶碗の蓋にのせられた。これが終ると残った菓子を二つの包みにわけ、娘はその一つを袂に入れ、老人は自分の手に持ち、二人とも退去した。そこで熱い湯が持ち出され、その少量ずつが我々が食い終った食器の各々に注がれた。礼儀上からいえば、私は各々の皿の内容全部を食うべきであったろうが、私はあまり暑いので多く食わなかった為に、他の人々が非常に注意探くやったように、皿を洗った湯を飲み、自分自身の皿を紙で拭うという、不愉快な必要事をやらずに済んだ。皿をそれぞれ徹底的に清めて膳に置くと、みきがそれを一つずつ持って行った。次に寒天菓子の四角い切を三つ入れた、漆塗の箱が持って来られ、菓子は美しい四角の漆器の皿にのせられて供された(図653)。寒天菓子を一本の箸で食い終ると、その箸はこの場合の記念として持って帰ることになっている。寒天菓子を食っている間に、みきが非常に形式ばった様子でかっかと燃える炭火を入れた鉄製の容器(図654)を持って入って来て、鉄の箸【*】でそれを一片ずつ沈下した炉に置いた。
図―654
* これ等はハシと呼ばれ我々の鉄鉗に相当する。
[やぶちゃん注:「鉄鉗」原文は“tongs”。なお、図653は底本の図版がカスレている上に、明らかなヨゴレが認められるため、原典画像からトリミングした。]
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