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2015/08/03

雨ふり 村山槐多 (決定版) ――国立国会図書館の差替画像によってまたしても彌生書房版全集の誤りを発見――

 

  雨ふり

 

雨がふつて來てしまつた

雨がふる、空を慄はせてふつて

私の頭の毛を濡せる

草木と同じに

 

仲よく私も濡れる

草木と同じに

 

雨は愛嬌よくふつて

私の頭の毛を濡せる

 

雨よ

お前のいたづらを

私はうちへかいつて

かはいた手拭に言ひつけるよ

 

    ×

美しいおばさん

まつたく私はあなたが好きだ

頰ペたにかじりつきたい程

あなたは私のりんごだ、戀人だ、可愛ゆい人だ

あなたは貧しい

かなしさうにあなたはうなだれて居た

おばさんのかなしさうな樣子を見ると

自分は胸がふさがる

美しいおばさん

私は持つてるものを皆あげちやつた

今でも上げたいのだ

だけれど困つたことには

私は一錢もないのです

實を言へば私はまだ晩の御飯もたべない

ゆるしてお呉れよ

おばさん

おばさん

 

    ×

うつくしい無心の女

あなたは遠くにきらめく靑い星だ

とらへがたく及びがたい物だ

淸く高く聖なる物だ

そう私は思つて居る

そう信じて居る

そこで私はいつも嬉しい

あなたをそう思つて居るから

 

    ×

私は描かう

すべて悦びと歡樂とに溢れし物を

醉ひし若者等を

美しき女の群を

花咲き亂るゝ風景を

 

貧しくみにくき物に私は唾液を吐かう

ひたすらに私は追ふ

すべての甘き快き物を、

 

    ×

櫻の花が咲いた

けむりの樣な空に輝きそめた

燈のともる樣に咲いた

美しい、

 

それを見て私の心臟は音を立て始めた

時計が直つてきた樣に

私の唇に酒と戰ふ唾液が湧き出た

噴水塔に水が送られた樣だ

 

さあ遊ばう

飮まう

美しい花、お前さんと

身も世も打忘れてじやれましやう

 

お前さんが散る時

わかれのかなしみがふと來るまでは

お前さんのあるかぎりは

私たちは一滴の涙の影もあるまい

 

    ×

私は醉つた

そなたはまだか

そら一時が鳴る、あかるくうつくしくひびく

何ていゝお天氣だろう

 

お菓子の樣に硝子の樣に

甘い輝いた群集ぢやないか

窓の外をとうるのは

 

晴れた空だ

薔薇色の地面だ

酒だ、さかづきだ、瓶だ、

 

美しいそなたは

もつとおあがり

とろりと醉ふまで、

 

    ×

眞赤な幕を引くと

眞黃な小さいおどけがおどる

小さい愛らしいおどけ者がおどる

 

眞靑な空が映る

歩いて行く澤山の女の眼に

きらきらと空は輝やく

 

花が咲く、咲いてはしぼむ

 

物の響が耳よりも心につたはる

 

春のうらわかさがものみなに溢れる

うれしくてたまらないやうに

お菓子の樣なおどけがおどる

 

赤のうしろで黃の點が、

 

    ×

神の定め給へるわが一生は

刻々に盡きてゆく

死の暗のうめきはきこゆ

近きかなたに

 

盡きよ盡きよわが生の間

喜びあれなげきあれ

樂あれ苦あれ

かくして盡きよ

 

わが神に常にわれたより

その定めをまつ

常に常にわれはうなづきて

その定めを受く

 

神の定め給へるわが一生は

刻々に過ぎてゆく

われはそのうちにうなづく

死の闇の至るまで常にうなづく

 

    ×

ぶどうの房の如く

諸兄の惡はたはゝに

わが心より垂れ下る

 

神よこの憎むべきこのみを

わが心よりとりすて給へ

 

神よ

神よ

 

われは涙とゝもにいのる

心の眞底より

 

    ×

どこで生れ

いつ生れ

どうそだつたか

 

その一瞬すつかりそれを忘れる

私はまつたく忘れてしまふ

 

その時私はやつと息をつく

始めて生きる

 

忘れる事が

完全に生きる事だ

刻々の狂氣が

ほんたうだ、

 

忘れよ

生きよ

 

    ×

私は死を怖れない

私はもう死んで居るから、

私の心の底は冷めたい、固い、

眼をとぢて居る

息をしないで居る

 

一切は墓場の上の幻だ

私のやる事は

私の生は

みんなそれだ

 

私は何も怖くない

私はその底それ自身

虛無だ

 

    ×

私はなにだらう

私は空氣だ

私はどこにもある

どこへでもゆく

 

美しい女の唇にも舞つてるし

牢屋の中の殺人犯の黑い肺にもとびこむ

人を殺す爲めに動いた腕の中の血にも現はれた

天にも地にも私はある

 

私はそれ一つでそれすべてだ

私は天下御免(めん)の者だ

 

いやしくもある

貴とくもある

高くもある

低くもある

善くもある

わるくもある

 

その底で私は馬鹿だ

 

    ×

勝て、勝て、勝て

一切は善い、

一切は善い、

 

自分を尊べ

自分の行をたゝへろ

 

その美しさに

ほれぼれと

自分に見入れ、

 

それで善いのだ

それが絶對なのだ

 

    ×

火花の樣に飛んではねて生きやうと

始終思ひながら

つまらない物につまづく

そしてしおれる

 

悦びの外に何も知らずに居やうと

始終念じながら

かなしみは數々つきまとふ

 

このもどかしさに飽きた

私はさびしさに耐へず

ひとり伏して居る

 

    ×

ほんとの事はただ一つ

それは死だ

一切はその上の幻だ、花火だ、けぶりだ

 

美しい幻は見たいが

それより上に用はない

 

強い剛い立派な

黑いダイアモンドの樣な死

その行先のきまつた私

この世に何ののぞみがあらうよ

 

    ×

血が私の口から滴り

死神がくゝと笑ふ

このむごたらしい事實が

よくも起つた、

 

私まで笑つた

あまりの唐突さを

笑つてだまつた

そして泣いた

 

それから九十九里の海べへかけ出して

ぼんやり沖を見た、

 

    ×

自ら私は腕を見、足を見る

この美しい貴とき命のいとなみに見入る

赤い健康はいまその上にゆらめく

炎の樣に輝やいて居る

 

しかも私は愁ひて居る

命の力がわきにそれて

この腕この足のなえ靑ざめん時の來る事あるを知れば

 

健康は私にとつて小さい油壺持つランプのその

明るさだ、灸の色だ、

油はぢきに盡きる

油の量を私は知る

 

健康を見る事は愁ひだ

それ故私はもう思ふまい

自分の身體を見まい、

 

 

[やぶちゃん注:本詩篇は私は大正七(一九一八)年四月中旬の結核性急性肺炎の発症後に書かれた最初の詩篇と読む。まず、詩中で「春」が詠まれていること、「死」のイメージへの傾斜が今までになく極めて具体的なニュアンスを以って語られていること、がまず、そう推定する根拠である。そして「それから九十九里の海べへかけ出して/ぼんやり沖を見た、」という詩句である。確かにこの前年末から年始にかけて「モナリザ」の「をばさん」への恋情を吹っ切ろうとして彼は九十九里浜へ向かったことは先に書いたが、私はここの描写はその時の回想とはちょっと思われないのである。そして「全集」年譜によれば、彼は結核発症から四、五ヶ月後の、この年の九月に千葉九十九里浜へ転地療養しているからである。『病気あがりの槐多は九十九里の村や磯を歩き、考えた。あの弾力ある肉体は失われていた。「自殺の念も時々現れる。いけない」と日記に書いている。全集に所収の晩年の詩、死の想念とたたかう詩はこの頃書かれたものだ。九十九里は槐多にとって生と死を懸命に問う場所でもあった』とあることが、私の推定を支持して呉れるものと思う。

   §

 本詩篇の中で、次の「×」で括られた三つのパート、

   ■

    ×

ぶどうの房の如く

諸々の惡はたはゝに

わが心より垂れ下る

 

神よこの憎むべきこのみを

わが心よりとりすて給へ

 

神よ

神よ

 

われは涙とともにいのる

心の眞底より

 

    ×

どこで生れ

いつ生れ

どうそだつたか

 

その一瞬すつかりそれを忘れる

私はまつたく忘れてしまふ

 

その時私はやつと息をつく

始めて生きる

忘れる事が

完全に生きる事だ

刻々の狂氣が

ほんたうだ

 

忘れよ

生きよ

 

    ×

私は死を怖れない

私はもう死んで居るから

私の心の底は冷めたい、固い

眼をとぢて居る

息をしないで居る

 

一切は墓場の上の幻だ

私のやる事は

私の生は

みんなそれだ

 

私は何も怖くない

私はその底それ自身

虛無だ

   ■

の内で、

   ★

神よ

 

われは涙とともにいのる

心の眞底より

 

    ×

どこで生れ

いつ生れ

どうそだつたか

 

その一瞬すつかりそれを忘れる

私はまつたく忘れてしまふ

 

その時私はやつと息をつく

始めて生きる

忘れる事が

完全に生きる事だ

 

刻々の狂氣が

ほんたうだ

 

忘れよ

生きよ

 

    ×

私は死を怖れない

私はもう死んで居るから

私の心の底は冷めたい、固い

   ★

の二十八行分は、彌生書房版「増補版 村山槐多全集」の当該部を参考にしながら、恣意的に正字化し、これまでの底本の特性から推理して句点などを除去し、記号等を変更操作したものである。何故というに、底本としている国立国会図書館近代デジタルライブラリーの画像は、この相当箇所(底本の444頁と445頁)が別な画像に入れ替わってしまっているためである(国立国会図書館側の作成ミスと思われる)。その際、若干の問題を感じたのは、

   ●

その時私はやつと息をつく

始めて生きる

忘れる事が

完全に生きる事だ

 

刻々の狂氣が

ほんたうだ

 

忘れよ

生きよ

   ●

の箇所の二行の空きの部分で、彌生書房版「増補版 村山槐多全集」では、この二行の空きが、他よりも半行ほど詰っている点であった(こんな現象は同全集の組版では他に見られないと思う)。しかし、確かに意図的に間を空けているように見えることは事実である。これを無視するかどうするか悩んだのであるが、底本の『槐多の歌へる」の両開き頁をカウントしてみると、二頁の組版として二十八行で組まれていることから、この二行を詰めると、画像脱落頁が二頁で二十六行になってしまい、前後に空行も入らないことは明白であることから、敢えて以上のように表記する(二行の一行分の空行を挿入)こととした。大方の御批判を俟つものではある。なお本日只今、国立国会図書館へは正しい画像へ差替えてもらえるよう、通知しておいた。【以上は二〇一五年七月十六日記。行空き部分には短い抹消線が入っている。】

【以下、二〇一五年八月三日追記】本日、国立国会図書館が訂正画像を差し替えて呉れた。その結果、「全集」の行空けには誤りがあることが判明した。即ち、

   §

    ×

どこで生れ

いつ生れ

どうそだつたか

 

その一瞬すつかりそれを忘れる

私はまつたく忘れてしまふ

 

その時私はやつと息をつく

始めて生きる

 

忘れる事が

完全に生きる事だ

刻々の狂氣が

ほんたうだ、

 

忘れよ

生きよ

 

    ×

   §

のパートは「全集」では、

   §

    ×

どこで生れ

いつ生れ

どうそだつたか

 

その一瞬すつかりそれを忘れる

私はまつたく忘れてしまふ

 

その時私はやつと息をつく

始めて生きる

忘れる事が

完全に生きる事だ

 

刻々の狂氣が

ほんたうだ

 

忘れよ

生きよ。

 

    ×

となっている。底本行空きの部分が丁度、二段組ページの上段から下段の位置にあるので、単純に組版を誤ったものと推定出来る。加えて以前にも(抹消部)述べた通り、「完全に生きる事だ」と「刻々の狂氣が」の間には逆に極めて不自然な半行分空行がある。ますます「全集」の組版の誤りを感じさせるものである。迅速な対応を採って呉れた国立国会図書館に深く感謝するものである。これによって、またしても「全集」の誤りが明らかとなった

 

「濡せる」(二箇所)はママ。「全集」は孰れも「濡らせる」。

「私はうちへかいつて」はママ。「全集」は「かへつて」。

「かはいた」はママ。

「おばさん」は総てママ。

「そう私は思つて居る」の「そう」もママ。これ以下、三個所も同じ。

「じやれましやう」はママ。

「お天氣だろう」はママ。

「窓の外をとうるのは」はママ。

「眞黃な小さいおどけがおどる」の「おどる」はママ。これ以下、三箇所も同じ。

「ぶどう」はママ。

「諸兄の惡はたはゝに」の「たはゝ」はママ。

「私はなにだらう」はママ。

「生きやうと」はママ。

「そしてしおれる」はママ。

「悦びの外に何も知らずに居やうと」の「居やう」はママ。]

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