日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十章 陸路京都へ 弥阿弥ホテルの部屋/燕の巣/藁葺屋根/舟大工のことなど
図―658
このホテルは日本風ではあるが、西洋風に経営されていて、それ迄の、各様な日本食の後をうけて、半焼のビフテキ、焼馬鈴薯、それからよい珈琲は、誠に美味であった。我々のいる建物に達するには、長い坂と石段とを登らなくてはならぬが、これが中中楽でない。部屋にはいずれも広い張出縁と、魅力に富んだ周囲とがあり、佳良である。私は屋根の一つある、一間きりの小さな家を占領しているが、張出縁から小さな反り橋がこれに通じ(図658)、灌木の叢(くさむら)が床と同じ高さまで生え繁っている。私の写生帳は襖や格子細工や窓の枠や美しい欄間やで一杯である。それ等の意匠の典雅と美麗とは、即席の写生図で示すことは不可能である。薄板に施した形板きざみは完全で、例えば打ちよせる波は、奇妙な牧羊杖の手法と空中にかかる各々の水流とで、あく迄月並ではあるが、而も速写写真が示す波の外見を、そっくり表している。数百マイルにわたってこの国を旅行する人が驚かずにいられぬのは、如何に辺鄙な寒村でも、これ等の仕事を充分やり得る腕を持つ、大工や指物師や意匠家がいることである。
[やぶちゃん注:「形板きざみ」原文は“The stencil-cutting”。型板(紙)で伐り抜き取ったような手法、そのデザインのことを指している。
「数百マイル」百マイルは約百六十一キロメートルであるから、六、七倍として八百~千百キロメートル。本州を例に取れば南北長さは千三百から千五百キロメートル相当。]
図―659
一番よい部屋の天井に近く、燕の巣がかかっている家が多い。燕が巣をかけ始めるや否や、その下に小さな棚をつり、巣をつくる途中で落ちやすい泥が畳をよごすのを防ぐ(図659)。この鳥が、家の内では、外よりも余程繊細な、こみ入った巣をつくるのは面白いことである。事実燕は、彼等と一緒に住む人達の趣味を理解しているらしく思われさえする。
駿河、三河、尾張と来るにつれて、藁葺屋根の屋梁に変化が見えたのは興味があった。私は内部の台所から来る煤で、真黒になった藁葺屋根を、数人の男が修繕しているのを見た。壁土をこねる男が、巧妙に屋梁をかざり立てる方法は興味が深い。
[やぶちゃん注:「屋梁」既にこれには「むね」と石川氏はルビを振っている。]
その日我々は河を越したが、そこでは何人かが舟をつくっていた。私は二人の男が鉄の槌で舟板の端を叩いているのを見た。いわば木理(きめ)を叩き圧えるのであるが、こうすると舟板を次の舟板に合わせる時、叩き潰された端は濡れるとふくれるから、しつかりと食い合う。
[やぶちゃん注:「圧える」老婆心乍ら、「おさえる」と訓ずる。]
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