はじめてのものに 立原道造
SONATINE No.1
はじめてのものに
ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた
その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた (その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峽谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ聲が溢れてゐた
――人の心を知ることは‥‥人の心とは‥‥
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた
いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と‥‥また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた
[やぶちゃん注:底本は国立国会図書館近代デジタルライブラリーの昭和二二(一九四七)年角川書店刊立原道造「詩集 優しき歌」の画像を視認した。生前刊行の楽譜様の処女詩集「萱草に寄す」巻頭を飾る「SONATINE No.1」群の最初の一篇である。中公文庫「日本の詩歌」第二十四巻脚注によれば、本篇は昭和一〇(一九二五)年十一月号の『四季』である。「SONATINE No.1」群の次に載る「またある夜に」とともに発表されたのを初出とする。
角川文庫版中村真一郎編「立原道造詩集」の注解には三箇所に以下のような注が附されてある。
「ささやかな地異」『地上の小異変、ここでは浅間山の爆発を指す。』[やぶちゃん補注:但し、単なる小噴火であって被害が起ったような記録に残されるべき噴火ではないので注意されたい。]
「この村」『長野県佐久郡軽井沢町追分、中仙道の旧駅浅間根三宿の一つ。』[やぶちゃん注:「浅間根三宿」は旧中山道の浅間根越えの三宿とされた追分・沓掛・軽井沢を指す。]
「エリーザベト」ドイツの作家『シュトルム』『の小説「みずうみ」の女主人公の名、めぐりあった少女をなぞらえたもの。』
また、中公文庫「日本の詩歌」第二十四巻脚注は本詩を総括して、
《引用開始》
昭和九年夏、室生犀星、堀辰堆のいる軽井沢に休暇を過した道造は、この年も夏期休暇を待ちかねて出かけ、長野県信濃追分の油屋(旅館)に滞在、八月上旬浅間山の噴火をはじめて見聞した。また彼はそこで出会った少女に仄かな恋心を覚え、はじめての経験という意味をこの題名に含めて、五篇の物語めいた詩のプロローグとしている。
ソナチネは、小規模のソナタ形式の奏鳴曲。道造はこの音楽形式にあこがれて、自己の詩情をささやかに構成企画したのであった。
この詩に盛られた物語の筋は、「かなしい追憶のやうに」音たてて火山灰の降る村の展望からはじまる。月明のその夜、笑い声溢れる雰囲気の中で、少女の蛾を追う手つきに、恋のいぶかしい疑惑を覚え、心をいらだてる。そして、火の山の悲しい物語とエリーザベトのはかない恋物語(ドイツの抒情詩人テオドール・シュトルム作「みずうみ」)が、この詩全体に、悲しい影を投げかける。その抒情は淡い哀愁につつまれ、予知すべからざる不安感におののく青春の生命(いのち)が、音楽のように奏でられている。
《引用終了》
と解析している。それが果たしてダーツのように的を射たものであるかどうかは別として、作詩状況のリアリズムが良く纏められてあり、まさに戦前の映画のワン・シークエンスを観せるような、なかなか自信に満ちた評釈である(さればこそ長々と引かせて戴いた)。
なお、シュトルムの「みずうみ」は、私の小学校高学年以来の数少ない愛読書の一つである。
以上、「萱草に寄す」というソナタの「SONATINE No.1」は本篇を第一篇として、以下、
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と続いて演奏されて終えた後、インテルメッツオとしての、
「夏花の歌」の「その一」「その二」
を挟んで、「SONATINE No.2」へ移って、
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で全曲を終えるのである。最後に立原道造の意図した演奏の通りにお読みあれかし。道造のために――]
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