忘れてしまつて 立原道造
忘れてしまつて
深い秋が訪れた!(春を含んで)
湖は陽にかがやいて光つてゐる
鳥はひろいひろい空を飛びながら
色どりのきれいな山の腹を峽の方に行く
葡萄も無花果も豐かに熟れた
もう穀物の收穫ははじまつてゐる
雲がひとつふたつながれて行くのは
草の上に眺めながら寢そべつてゐよう
私は ひとりに とりのこされた!
私の眼はもう凋落を見るにはあまりに明るい
しかしその眼は時の祝祭に耐へないちひささ!
このままで 暖かな冬がめぐらう
風が木の葉を播き散らす日にも――私は信じる
靜かな音樂にかなふ和やかだけで と
[やぶちゃん注:底本は国立国会図書館近代デジタルライブラリーの昭和二二(一九四七)年角川書店刊立原道造「詩集 優しき歌」の画像を視認した。生前刊行の処女詩集「萱草に寄す」の知られた一篇で、「SONATINE No.2」の第三篇。老婆心乍ら、「峽」は「かひ(かい)」と読み、尾根の間の狭く細長い谷を指し(元は「山の交(か)ひ」の謂いである)、「凋落」は「てうらく(ちょうらく)」と読み、草木の生気が衰え凋(しぼ)み枯れることをいう。「深い秋が訪れた!」と同時に括弧書き乍ら「春を含んで」とやらかす若々しい新しい、それでいて不可思議な哀感を含羞した抒情の放声が素敵に哀しい。]