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2015/09/25

『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」 名越切通

    ●名越切通

名越切通は三浦へ行(ゆく)道也、此峠鎌倉と三浦との境也、甚だ嶮峻(けんしゆん)にして道狹し、左右より覆ひたる岸二所あり、里俗大空峒、小空峒と云ふ、峠より東を久野谷村と云、三浦の内なり、西は名越鎌倉の内なり

[やぶちゃん注:例によって「新編鎌倉志卷之七」から私の注ごと引く。

   *

〇名越切通 名越切通(なごやのきりどをし)は、三浦へ行く道也。此の峠、鎌倉と三浦との境(さかひ)也。甚だ嶮峻にして道狹(みちせば)し。左右より覆ひたる岸(きし)二所(ふたところ)あり。卑俗大空峒(ををほうとう)・小空峒(こをほうとう)と云ふ。峠より東を久野谷村(くのやむら)と云ふ。三浦の内也。西は名越(なごや)、鎌倉の内なり。

[やぶちゃん注:「大空峒(ををほうとう)・小空峒(こをほうとう)」の部分には幾つかの謎がある。まずルビであるが影印では、「大」にはカタカナで「ヲ」のみ、「小」には同じく「コ」のみが振られ、「空」の右には「ヲホウ」が振られる。これは「大」が「ヲヲ(おお)」なのではなく、「空」が「ヲホウ(オホウ)」という読みであることを示す。ところが「空」には「ヲホウ(オオウ)」や「ホウ」という読みは存在しない。訛りとも考えられるが奇異である。「峒」は山中の蛮人で、その種族の住む山の中の洞穴の意である。名越の切通しは岩塊や切岸の著しく迫った狹隘路であるが隧道箇所はないが、暗く狹いことからかく称したものであろう。

「久野谷村」現在の逗子市久木の一部。

現在はネット上で見ると美事に史跡整備がなされて、一般的なハイキング・コースにさえ指定されているようであるが、今から三十数年前は詳細な鎌倉市街地図でも「名越の切通」のルートは途中で点線になって最後には消えており、ガイドブックでも踏査は難易度が高いと記されていた。二十一の時、私はとある梅雨の晴れ間に、ここの踏査を試みたことがある。意を決して古い資料にある古道痕跡の横須賀線小坪トンネル左外側を登るには登ったものの、その先には一切の踏み分け道もなく、鬱蒼とした八重葎――むんむんする草いきれの中、汗と蜘蛛の巣だらけになって小一時間山中を彷徨った。それでも時々見え隠れする地面に露出した明らかな人工の石組みに励まされた。「空峒」と思しいスリットのような鎌倉石の狭隘や掘割に出て、最後はまんだら堂に導かれ、今は取り壊された妙行寺の、拡声器で呼び込まれた(人が通ると何らかの仕掛けで分かるようになっており、住職自らがマイクで呼び込むのである)。そこで今は亡き老師小山白哲の奇体なるブッ飛んだ説法(地球儀を用いつつ、実に何億劫も前の宇宙の誕生から始まる非常に迂遠なもの)を延々と一人で聞かされた。たっぷり四十分はかかったが、頻りに質問などもしたせいか、老師には痛く気に入られ――「思うところがあったら、是非この寺へ来なさい、来る者は拒みませんぞ」――と言われたのを思い出す。そうして――「菖蒲が綺麗に咲いておる。見て行きなさい」――と言われた。……凄かった……グローブ大の、袱紗のような厚みを持った紫の大輪の菖蒲の花が、海原のように広がった紫陽花の海浮いていた……弟子らしき作業服の老人が菖蒲畑の手入れをしていたが、僕を見て――「和尚の話は退屈でしょう。よく耐えたねえ」――と声をかけられた。……そうして私は、初めて見る美事な多層のやぐら群や、住職が勝手に纏めてしまったり動かしたりした結果、史料価値が優位に下がったと噂される五輪塔群を一つ一つ眺めては、また一時間余りを過ごした。最後に寺の山門への坂の上で、和尚とさっきの御弟子が話しているのにぶつかった。聴こえてきたのは、先程の説法とは打って変わった……「テレビの撮影の予定は……」……「雑誌の取材の件じゃが……」……というひそひそ話であった。老師は、僕がまだいたのにちょっとびっくりして「まだおられたか。どうじゃった?」と聞かれ、僕が「やぐらとたいそう立派な菖蒲に感服致しました」と答えると、「そうかそうか」と微笑まれて私に合掌され会釈された――僕は生まれて初めて人に合掌と会釈を返し――山を降りた……それからすぐのことである……『鎌倉の隠れた花の寺』と称してまんだら堂の菖蒲や紫陽花が一躍ブレイク、老若男女の大集団があそこを日参するようになったのは……あそこで僕が見たのは……仙境と俗世の境の幻だったのかも知れない……今はもう……遠い遠い、懐かしい思い出である……

   *

以下、リンク先では、私がその時に戴いた小山白哲老師直筆のブットビの宇宙創造説の解説メモの画像と電子テクストを示してある(探すのが面倒な方はブログの「小山白哲老師 藪野直史伝授宇宙創造之仏説(肉筆)」にも掲載してある)。未見の方は、是非是非、どうぞご覧あれかし!

「久野谷村」現在の逗子市久木の一部。]

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