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2015/09/01

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第七章 神國の首都――松江 (四)

       四

 

 『ほー、け、けう!』

 私の鶯がいよいよ眼を醒まして朝の祈を唱へた。讀者は鶯を知らないだらうか?それは神聖な小鳥で、佛教の信仰を告白する。一切の鶯は邈乎たる古代から佛教を名乘つてゐて、皆悉く世人に經文の貴さを説法する。

 『ほー、け、けう!』

 日本語では法華經、梵語でサダルマ・プンダリカ。日蓮宗の聖典法華經である。私の小さな、翼を持つた佛教信者の信仰の告白は頗る簡單だ。たゞ神聖な名を再三連禱(リタニー)の如くに繰返へしては、合間に、滑かな囀り聲を轉ばせる。

 『ほー、け、けう!』

 たゞこれだけの句だ。が、その歌ひやうの美しさ!いかにも悠然、惚れ(ほ)惚(ぼ)れと有頂天になつて、その美妙至極な一音一音を玩味しつゝ歌ふ。

 經に書いてある。『この經を持ち、讀み、教へ、又は寫す者は、必ず眼の八百善德を得て、三界を見渡して、下は阿鼻喚地獄に到り、上は宇宙の際涯までに及ぶ。耳の千二百善德を得て、三界一切――神、鬼、惡魔、人間以外の者までも――の諸音を聽く』

 『ほー、け、けう!』

 簡單の一語である。が、經にかう書いてある。『この經より唯一語なりとも欣んで受くる人は、その功德は四十萬阿僧企耶(アサンケーヤ 譯者註一)世界の一切の者に、すべて幸福に必要なるものを供するよりも無限に大なるべし』

 『ほー、け、けう!』

 いつも彼はそれを歌つた後と、彼の歡喜の囀り聲――鳥の讚歌――を放つ前に、敬虔なる少刻の休みをする。初めに囀りの聲、次に約五秒の休憩、それから神聖なる名の緩い、美しい、莊嚴な唱聲を、冥想的驚異の裡にゐるやうな音調で發する。次にまた歇んで、更にまた盛に豐富熱烈なる囀聲を發する。讀者がもし彼を見たならば、何うしてかゝる細い咽喉から、かくも強く鋭いソプラノが迸り出でるだらうと驚くだらう。何故となれば、彼は歌ひ鳥の中では最も小さなものの一つだから。しかも、彼の歌は遙かに廣い河を越えても聞えるので、通學の子供が一町も離れた橋の上で、毎日それを聽くため立佇まる。それから、彼の形姿は貧弱なのだ。漠然たる色を帶びた小さな體は、檜の木で造つた大かな箱の鳥籠の中で、殆ど見え難いほどだ。籠の針金格子の小窓の上には、紙を蔽ふてある。暗いのが好きだから。

 彼は纎弱で暴虐的までに氣むづかしい性質である。食事は一切細かに碎いて、秤で重さを量つて、毎日精確に同時刻に給與せねばならない。たゞ生かして置くだけにも、有らんかぎりの注意を要する。けれども、彼は貴重なものだ。遠い處を探がし、隅々を求めて漸つと得らるゝ稀有な高價のものだ。實際、私の力では買ふことは出來なかつたらう。日本の最良なる淑女の一人なる、出雲の知事の令孃が、外人教師が一寸した病氣の間、淋しく感ずるだらうと思つて、この珍奇な小鳥を見舞品として贈つてくれたのだ。

 

    譯者註一。阿僧企耶又は阿僧祇(劫)
    は無數を意味す。

    譯者註二。縣知事籠手田安定氏令孃
    を指す。

 

[やぶちゃん注:「邈乎」は既注でるが再掲しておく。「ばくこ」と読み、遠く遙かなさまを言う(参考までに、別に、人を軽んずるさまの意もあるので注意されたい)。

「法華經、梵語でサダルマ・プンダリカ」ウィキの「法華経」によれば、法華経(ほけきょう、ほっけきょうとも)は、初期大乗仏教経典の一つである「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」( Saddharma Puṇḍarīka Sūtra 、『「正しい教えである白い蓮の花の経典」の意)の漢訳での総称』で、『梵語(サンスクリット)原題の意味は、「サッ」sad)が「正しい」「不思議な」「優れた」、「ダルマ」(dharma)が「法」、「プンダリーカ」(puṇḍarīkaが「清浄な白い蓮華」、「スートラ」sūtraが「たて糸:経」であるが、漢訳に当たってこのうちの「白」だけが省略されて、例えば鳩摩羅什訳では『妙法蓮華経』となった』(鳩摩羅什(くまらじゅう/くもらじゅう/サンスクリット語でクマーラジーバ 三四四年~四一三年/一説に三五〇年~四〇九年とも)は亀茲国(きじこく:現在の新疆ウイグル自治区クチャ県)の西域僧で、後秦の時代に長安に来て約三百巻もの仏典を漢訳し、仏教普及に貢献した訳経僧。最初の三蔵法師――仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶(法師)、また転じて訳経僧を指す一般名詞―で、後の玄奘など多くの三蔵が現れた。時に後の玄奘と共に「二大訳聖」と称される)。『さらに「妙」、「蓮」が省略された表記が、『法華経』である。「法華経」が「妙法蓮華経」の略称として用いられる場合が多い』。漢訳は、部分訳・異本を含めて十六種が現在まで伝わっているが、完訳で残存するものは「正法華経」(十巻二十六品・竺法護(じくほうご)訳・二百八十六年)と「妙法蓮華経」(八巻二十八品・鳩摩羅什訳、四百年)、そして「添品妙法蓮華経」(七巻二十七品・闍那崛多(じゃなくった)と 達磨笈多(だるまぎった)の共訳・六〇一年)の三種で、「漢訳三本」と称されている。『漢訳仏典圏では、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』が、「最も優れた翻訳」』『として流行し、天台教学や多くの宗派の信仰上の所依として広く用いられている』。『天台宗、日蓮宗系の宗派には、『法華経』に対し『無量義経』を開経、『観普賢菩薩行法経』を結経とする見方があり、「法華三部経」と呼ばれている。日本ではまた護国の経典とされ、『金光明経』『仁王経』と併せ「護国三部経」の一つとされた』。『なお、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五は『観音経』として多くの宗派に普及している。また日蓮宗では、方便品第二、如来寿量品第十六、如来神力品第二十一をまとめて日蓮宗三品経と呼ぶ』とある。内容や成立などの詳細はリンク先を参照されたい。

「連禱(リタニー)」原文“a litany”は英語でキリスト教に於ける聖職者の唱える祈願に会衆が唱和する連祷(れんとう)・リタニアを指す。英国国教会では祈祷書中の嘆願の意。但し、皮肉に転じて、長々とした繰り返しの多い説明、くどくて退屈な話、の意もあるので注意されたい。

「惚れ(ほ)惚(ぼ)れ」この部分、底本には読みのルビは実はなく、「惚れ惚れ」の後半は踊り字「〲」になっているこれは「ほれぼれ」と読んでいることを明確に示すものであるが、踊り字「〱」「〲」を使用しないという私のポリシーから、特例的に読みを配する仕儀としたものである。

「この經を持ち、讀み、教へ、又は寫す者は、必ず眼の八百善德を得て、三界を見渡して、下は阿鼻喚地獄に到り、上は宇宙の際涯までに及ぶ。耳の千二百善德を得て、三界一切――神、鬼、惡魔、人間以外の者までも――の諸音を聽く」は、「法華経」巻六の「法師功徳品第十九」の冒頭に出る部分をかなり省略して述べている。神奈川県横浜市保土ヶ谷区西谷の日蓮宗妙福寺公式サイト内の「妙法蓮華経」のページの旧字体版から引用させて戴く(一部を恣意的に正字化した)。

   *

   《引用開始》

妙法蓮華經。法師功德品。第十九

 

爾時佛告。常精進菩薩摩訶薩。若善男子。善女人。受持是法華經。若讀。若誦。若解説。若書寫。是人當得。八百眼功德。千二百耳功德。八百鼻功德。千二百舌功德。八百身功德。千二百意功德。以是功德。莊嚴六根。皆令淸淨。是善男子。善女人。父母所生。淸淨肉眼。見於三千大千世界。内外所有。山林河海。下至阿鼻地獄。上至有頂。亦見其中。一切衆生。及業因緣。果報生處悉見悉知。爾時世尊。欲重宣此義。而説偈言

 

 若於大衆中 以無所畏心 説是法華經 汝聽其功德

 是人得八百 功德殊勝眼 以是莊嚴故 其目甚淸淨

 父母所生眼 悉見三千界 内外彌樓山 須彌及鐵圍

 幷諸餘山林 大海江河水 下至阿鼻獄 上至有頂天

 其中諸衆生 一切皆悉見 雖未得天眼 肉眼力如是

   《引用終了》

 この部分、平井呈一氏(一九七五年恒文社刊「日本瞥見記(上)」「第七章 神々の首都」)では、かなり法華経原典に忠実な形で訳文を作っておられるので、以下に引用させて戴く。ルビはすべて現代仮名遣であるため、一部を拗音表記に換えたことをお断りしておく(但し、「受持」のルビ「ぢ」はママ)。

   《引用開始》

「若(もし)善男子(ぜんなんし)、善女人(ぜんにょにん)、是(こ)の法華経(ほけきょう)を受持(じゅぢ)し、若(もし)は読み、若(もし)は讃(じゅ)し、若(もし)は解説(げせつ)し、若(もし)は書写(しょしゃ)せん。是(こ)の人(ひと)は、当(まさ)に八百の眼(まなこ)の功徳(くどく)、千二百の耳(みみ)の功徳(くどく)、八百の鼻(はな)の功徳(くどく)、千二百の舌(した)の功徳(くどく)、八百の身(み)の功徳(くどく)、千二百の意(こころ)の功徳を(くどく)得べし。是(こ)の功徳(くどく)を以て、六根(こん)を荘厳(しょうごん)し、皆(みな)清浄(しょうじょう)ならしめん。是(こ)の善男子(ぜんなんし)、善女人(ぜんにょにん)は、父母所生(ふもしょしょう)の清浄肉眼(しょうじょうにくげん)をもって、三千大千世界(せかい)の、内外(ないげ)の有(あ)らゆる山林(せんりん)、河海(かかい)を見ること、下(しも)阿鼻地獄(あびじごく)に至(いた)り、上(かみ)有頂天(うちょうてん)に至らん。亦(また)其(そ)の中(なか)の一切(いっさい)の衆生(しゅじょう)を見(み)、及(およ)び業(ごう)の因縁(いんねん)、果報(かほう)の生処(しょうじょ)を悉(ことごと)く見(み)悉(ことごと)く知(し)らん。」

   《引用終了》

   *

「阿鼻喚地獄」「あびくわんじごく(あびかんじごく)」と読むが、他に阿鼻地獄・阿鼻叫喚地獄・無間地獄・阿鼻焦熱地獄などとも呼称する八大地獄の第八の地獄。梵語の音訳「阿鼻旨」の略で「無間(むげん)」と訳すのが一般的。原義は「間断なく」の意である。地下の最深部にある最悪の地獄とされ、五逆(小乗では殺母・殺父・殺阿羅漢・出仏身血(仏身を傷つけること)・破和合僧(教団を乱すこと)を指し、大乗では寺塔や経像などの破壊・三乗の教法を謗(そし)ること・出家者の修行を妨げること・小乗で言う五逆の一つを犯すこと・業報を無視して悪行をなすことを指すとする)などの大悪を犯した者が落ちて火の車・剣の山などで絶え間なく苦しみを受ける場所とされる。

「この經より唯一語なりとも欣んで受くる人は、その功德は四十萬阿僧企耶(アサンケーヤ)世界の一切の者に、すべて幸福に必要なるものを供するよりも無限に大なるべし」これは前の引用の「法華経」巻六の「法師功徳品第十九」の前の章(同巻六)の「随喜功徳品第十八」の初めの法の部分を、やはりかなり略して述べたものである。同じサイトから引用させて戴く(一部を恣意的に正字化した)。

   *

   《引用開始》

妙法蓮華經。隨喜功德品。第十八

 

爾時彌勒菩薩摩訶薩。白佛言。世尊。若有善男子。善女人。聞是法華經。隨喜者。得幾所福。而説偈言

 

 世尊滅度後 其有聞是經 若能隨喜者 爲得幾所福

 

爾時佛告。彌勒菩薩摩訶薩。阿逸多。如來滅後。若比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。及餘智者。若長若幼。聞是經。隨喜已。從法會出。至於餘處。若在僧坊。若空閑地。若城邑巷陌。聚落田里。如其所聞。爲父母宗親。善友知識。隨力演説。是諸人等。聞已隨喜。復行轉敎。餘人聞已。亦隨喜轉敎。如是展轉。至第五十。阿逸多。其第五十。善男子。善女人。隨喜功德。我今説之。汝當善聽。若四百萬億。阿僧祇世界。六趣四生衆生。卵生。胎生。濕生。化生。若有形。無形。有想。無想。非有想。非無想。無足。二足。四足。多足。如是等在。衆生數者。有人求福。隨其所欲。娯樂之具。皆給與之。

   《引用終了》

 この部分、やはり平井氏のものでは、かなり法華経原典に忠実な形で訳文を作っておられるので、以下に引用させて戴く。ルビはすべて現代仮名遣であるため、一部を拗音表記に換えたことをお断りしておく(但し、「受持」のルビ「ぢ」はママ)。

   《引用開始》

「‥‥是(こ)の経きょう)の一偈(いちげ)を聞きて、随喜(ずいき)せん功徳(くどく)、尚(なお)無量無辺(むりょうむへん)なり。……四百万億(おく)阿僧祇(あそうぎ)の世界(せかい)の六趣(ろくしゅ)、四生(ししょう)の衆生(しゅじょう)……是(かく)の如(ごと)き等(ら)の衆生(しゅじょう)の数(かず)に在(あ)らん者(もの)に、人(ひと)有(あ)りて福(ふく)を求(もと)めて、其(そ)の所欲(しょよく)に随(したが)ひて、娯楽(ごらく)の具(ぐ)、皆(みな)之(これ)に給与(きゅうよ)せん‥‥。」

   《引用終了》

 なお、この内、原文は『四百萬億。阿僧祇世界』(平井氏も『四百万億阿僧祇の世界』)とあって、ハーンの『四十萬阿僧企耶(アサンケーヤ)』とは桁が違うのであるが、そもそもが漢字文化圏に於ける数の単位の一つである阿僧祇(あそうぎ/サンスクリット語 asaṃkhyeya)の数値は時代や地域によって異なり、また、現在でも人により解釈が分かれている。日本では一般的に10の56乗を指すが、10の64乗とする人もあり、はっきりしない。日本の数単位は一・十・百・千・万・億・兆・京・垓・𥝱(=秭:じょ)・穣・溝・澗・正・載・極・恒河沙(ごうがしゃ)・阿僧祇・那由他(なゆた)・不可思議・無量大数の計二十一単位で知られているのであるが、参照したウィキの「阿僧祇」に、この「京」以上の数については、『指数表記が用いられるのが普通であって実用ではまず用いられないので』、「極」(これのみ仏典以外から作られた単位らしい)以降の値が『どうなっていてもそれほど問題にはならない』とあり、そもそもが落合氏が「無數を意味す」と述べている通り、『阿僧祇は元は仏教用語で』、梵語では「数えることができない」の意味である、とあるから、正確な実数を確定することには事実上意味がないと私は思っている。数学的にマニアックな興味のある方はウィキをお読みあれ。私ははっきり言ってこれ以上ディグする気は起らない。悪しからず。

   *

「歇んで」「やすんで」(休んで)と読む。

「迸り」「ほとばしり」と読む。

「彼は歌ひ鳥の中では最も小さなものの一つだから」鳥綱スズメ目ウグイス科ウグイス Horornis diphone の♂は十六センチメートル(♀より小さく十四センチメートルであるが鳴くのは♂)で、スズメとほぼ同じ大きさである。

「彼は纎弱で暴虐的までに氣むづかしい性質である。食事は一切細かに碎いて、秤で重さを量つて、毎日精確に同時刻に給與せねばならない。たゞ生かして置くだけにも、有らんかぎりの注意を要する」ウィキの「ウグイス」によると、『その飼養は、古くから行なわれ、足利義政の頃に流行し、その弊害の大きさから法度において禁じられたが、江戸時代、とくに文化から弘化にかけて、流行し、徳川家治、徳川家斉もこれを愛し、小納戸役にお鳥掛という職を置いたほどであった』とあり、その「飼育法」の項には、『一番子の雛を巣ごと持ち帰り、藁製の畚(ふご)に入れ、巣口を綿で覆い、その畚を小蒲団で包み、温かい室内に置き、雛がピピピと鳴いて餌を求めたらすり餌を与え、夜は暖房して寒さを防ぐ。羽翼が整って離巣するようになれば』、一羽ずつ『籠に移す。籠には親籠、雛籠、付籠、袖籠(付子の雛を持ち運ぶ)、旅籠(遠方に携行する)、水籠(水浴びさせる)などの種類がある。籠にいれたウグイスはさらに籠桶(こおけ)に入れる。籠桶はキリ製で』、高さ四十五センチメートル、幅三十センチメートル、長さ八十センチメートルほどで、『正面は障子のけんどん』(上から蓋や扉が嵌め込むようになっている構造を指す)『になっている。キリ製なのは、それ以外では、琴と同じく、鳴く音と調和しないからであるという。餌はすり餌が中心で、活き餌も用いる。すり餌は、玄米、米ぬか、青葉で作る。活き餌は、アオガエル、ヤナギの虫(ボクトウガの幼虫)、クサギの虫(コウモリガの幼虫)、エビヅルの虫(ブドウスカシバの幼虫)、イナゴなどである。その他、シンクイムシ、ミールワーム、ヨーロッパイエコオロギ、ヒメツメガエルなど入手しやすい活き餌がある。時期的に早く鳴かせるには、夜飼法などの方法がある。これは夜、籠桶の障子をはずして燈火に向けるもので、これを鳥をあぶるという』。九月中旬から『始めて、冬から春にかけて鳴かせる。付子といって、親鳥が鳴く音を練習させる方法もある。親鳥の籠桶から』約二メートル『離れたところに雛の籠桶を置き、自然に鳴方を習得させるものである』とある。

「秤」老婆心乍ら、「はかり」と読む。

「縣知事籠手田安定氏」元平戸藩士で剣術家としても知られた籠手田安定(こてだ やすさだ 天保一一(一八四〇)年~明治三二(一八九九)年)。維新後は明治元(一八六八)年の大津県判事試補就任に始まり、大津県大参事・滋賀県権令・滋賀県令・元老院議官を経て、明治一八(一八八五)年九月四日に島根県令(県知事)となっている(翌明治十九年七月十九日に「県令」から「知事」に呼称が変更された)。島根県知事の退任は明治二四(一八九一)年四月九日であるから、ハーンと彼の令嬢の接点は退任の前年であるこの明治二三(一八九〇)年九月以降の、たった七ヶ月の間であったということが判る。但し、籠手田とハーンの接触はもっと早く、同年の六月頃であることが、個人サイト「わにの昼寝」の「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)」(リンク先の少し下の記事)の以下の記載で判明した。ハーンは日本到着(四月四日)の『3ヶ月後には東京で当時島根県知事であった籠手田安定(こてだやすさだ)と、島根県尋常中学校および師範学校の英語教師となる契約を結んだ。当時としては破格の月給100円だった。ハーンを雇い入れた知事の籠手田安定は、殖産や教育に力を入れ、わらじ履きで県内を巡視し、人情味豊かな知事として知られていた』とあるからである(なお、ここには松江までのルートを『東京から汽車で姫路まで行き、そこから人力車で米子まで出て、汽船で松江に入った』としている(下線やぶちゃん))。続いて籠手田は新潟県知事・滋賀県知事を歴任、最後は貴族院議員となっている。なお、参照したウィキの「籠手田安定」によれば、彼には少なくとも三女までいたことが判った。]

 

 

Sec. 4

'Ho—ke-kyo!'

My uguisu is awake at last, and utters his morning prayer. You do not know what an uguisu is? An uguisu is a holy little bird that professes Buddhism. All uguisu have professed Buddhism from time immemorial; all uguisu preach alike to men the excellence of the divine Sutra.

'Ho—ke-kyo!'

In the Japanese tongue, Ho-ke-kyo; in Sanscrit, Saddharma Pundarika: 'The Sutra of the Lotus of the Good Law,' the divine book of the Nichiren sect. Very brief, indeed, is my little feathered Buddhist's confession of faith—only the sacred name reiterated over and over again like a litany, with liquid bursts of twittering between.

'Ho—ke-kyo!'

Only this one phrase, but how deliciously he utters it! With what slow amorous ecstasy he dwells upon its golden syllables! It hath been written: 'He who shall keep, read, teach, or write this Sutra shall obtain eight hundred good qualities of the Eye. He shall see the whole Triple Universe down to the great hell Aviki, and up to the extremity of existence. He shall obtain twelve hundred good qualities of the Ear. He shall hear all sounds in the Triple Universe,—sounds of gods, goblins, demons, and beings not human.'

'Ho—ke-kyo!'

A single word only. But it is also written: 'He who shall joyfully accept but a single word from this Sutra, incalculably greater shall be his merit than the merit of one who should supply all beings in the four hundred thousand Asankhyeyas of worlds with all the necessaries for happiness.'

'Ho—ke-kyo!'

Always he makes a reverent little pause after uttering it and before shrilling out his ecstatic warble—his bird-hymn of praise. First the warble; then a pause of about five seconds; then a slow, sweet, solemn utterance of the holy name in a tone as of meditative wonder; then another pause; then another wild, rich, passionate warble. Could you see him, you would marvel how so powerful and penetrating a soprano could ripple from so minute a throat; for he is one of the very tiniest of all feathered singers, yet his chant can be heard far across the broad river, and children going to school pause daily on the bridge, a whole cho away, to listen to his song. And uncomely withal: a neutral-tinted mite, almost lost in his immense box-cage of hinoki wood, darkened with paper screens over its little wire-grated windows, for he loves the gloom.

Delicate he is and exacting even to tyranny. All his diet must be laboriously triturated and weighed in scales, and measured out to him at precisely the same hour each day. It demands all possible care and attention merely to keep him alive. He is precious, nevertheless. 'Far and from the uttermost coasts is the price of him,' so rare he is. Indeed, I could not have afforded to buy him. He was sent to me by one of the sweetest ladies in Japan, daughter of the governor of Izumo, who, thinking the foreign teacher might feel lonesome during a brief illness, made him the exquisite gift of this dainty creature.

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