日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十三章 習慣と迷信(3)
今日の午後長井嬢のところへ行って、葦屋根の端を写生した【*】。彼女の兄さんである増田氏は私に、この葺材は一種異様な蘭(い)で、屋根葺に用いる普通の藁よりも高価であると共に、余程長くもつと語った。かかる屋根は非常に重く、完全に水を通さぬ。日本の屋根は、葺いたのでも瓦を敷いたのでも、我国の建築に現れた何物とも甚だ相違しているので、吾人はしょっ中屋根を写生していたい誘惑を感じる。屋根には変種が多く、それぞれの国に特異な型がある。我国の建築家が、棟木と軒の、固い直線に捕われていて、それから離れられぬのは、情無いような気がする。セント・ローレンス河に沿うフランスカナダ人の家屋は、軒を僅か上方に攣曲させてあるが、これがそれ等の外観にある種の典雅さを与えている。
* 『日本の家庭』を見よ。
[やぶちゃん注:「長井嬢」不詳。
「彼女の兄さんである増田氏」不詳。
「我国の建築家が、棟木と軒の、固い直線に捕われていて、それから離れられぬのは、情無いような気がする。セント・ローレンス河に沿うフランスカナダ人の家屋は、軒を僅か上方に攣曲させてあるが、これがそれ等の外観にある種の典雅さを与えている」「『日本の家庭』を見よ」セント・ローレンス川(英語:St. Lawrence River/フランス語:Fleuve
Saint-Laurent)は北米大陸の五大湖と大西洋を結び、カナダ東部を東北に流れる河川。水源である五大湖を含めると世界第二位の推量を誇る。フランス語音写でサン・ローラン川とも呼称する。参照したウィキの「セントローレンス川」によれば、オンタリオ湖出口からセントローレンス湾まで千百九十七キロメートル、水源からの全長は三千五十八キロメートルもある。『上流部はカナダのオンタリオ州とアメリカ合衆国のニューヨーク州を隔てる国境を形成し、その後はケベック州内を流れる。川幅は広大であり、中州として大小無数の島々が点在する。オンタリオ湖を出たところにあるサウザンドアイランズ地方はセントローレンス諸島国立公園として国立公園に指定されている』とある。同河畔のモントリオールから南東三百キロメートルのメーン州ポートランド生まれのモースには馴染みの大河であった。斎藤正二・藤本周一訳「日本人の住まい」(八坂書房二〇〇二年刊)の「第二章 家屋の形態」の屋根の各論部分はその半分以上を実に「草葺屋根」が占めている(屋根論に挿入された全三十四図の内、実に十八図が草葺屋根に関わるものである)。その中で、モースはここで述べている感懐を再度、表明し、本邦の草葺屋根の合理性を強く説いている。ここでのモースの主張をより強固にするものであるからして、同書から引用させて戴く。
《引用開始》
日本家屋の屋根や棟に見られる絵画的な美しさと多様性になじむにつれてとかく考えるのだが、なぜアメリカの建築家は、家屋の側面にばかり注意を向けて、屋根に対しても同じような美的感覚を持ち、工夫をこらさないのであろうか。なぜ普通の木造家屋の棟が、きまって二枚の幅の挟い目詰め板で構成されているのか、あるいはなぜ屋根自体が常に硬く、直線的で角ばっているのかということについてのもっともな理由がないのである。アメリカの気候が過酷だといってもこれは弁解にならない。というのは、セント・ジョン川上流域およびメイン州北部地域には、フランス系カナダ人の木造家屋があるが、これらの家屋では屋根が広く張り出しており、軒づけのところで美しく反り上がっている。外観的にも、ニューイングランドの硬い感じの三角屋根に比べてはるかに美しい。
アメリカでは、家屋建築にさいして革葺屋根を復活させることをしないのは、不思議と言うに尽きる。アメリカの建築史では、数多くの古いものが受け継がれているのを見る。革茸屋根がふたたびはやるようになれば、アメリカの風景にまた新しい魅力が増すことだろう。草草屋根は絵に描いたような美しさがあり、暖かい感じで、水排(は)けがよいのである。日本では、草茸屋根は普通程度のものでも、十五年ないし二十年は良好な状態で機能する。最上の仕上げの場合、草葺屋根は五十年くらいの耐久性があると聞いているが、この数値は信じがたい。風雨による損傷のため、しばしば部分的に補修が行なわれ、最終的には、全面的な葺き替えが必要となる。草葺屋根は古くなると塵埃(じんあい)が詰まって黒ずんだ色をしており、厚い敷物を敷いたようになる。ここに灰色の地衣類が群生するばかりでなくさまざまな草木類、苔類も生える。葺きかたが正しい場合は、きわめて水排けがよく、心配されるような雨水の浸透はない。
《引用終了》]
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