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2015/09/23

夏の弔ひ   立原道造

    夏の弔ひ

 

逝いた私の時たちが

私の心を金(きん)にした 傷つかぬやう傷は早く愎るやうにと

昨日と明日との間には

ふかい紺靑の溝がひかれて過ぎてゐる

 

投げて捨てたのは

涙のしみの目立つ小さい紙のきれはしだつた

泡立つ白い波のなかに 或る夕べ

何もがすべて消えてしまつた! 筋書どほりに

 

それから 私は旅人になり いくつも過ぎた

月の光にてらされた岬々の村々を

暑い 涸いた野を

 

おぼえてゐたら! 私はもう一度かへりたい

どこか? あの場所へ  (あの記憶がある

私が待ち それを しづかに諦めた――)

 

 

[やぶちゃん注:底本は国立国会図書館近代デジタルライブラリーの昭和二二(一九四七)年角川書店刊立原道造「詩集 優しき歌」の画像を視認した。生前刊行の処女詩集「萱草に寄す」の知られた一篇で、「SONATINE No.2」の第二篇である。

冒頭の「逝いた」は後続の諸本のルビからも「ゆいた」と訓じてよいであろう。逝(い)ってしまった、の意である。

「愎る」は「なほる(なおる)」。恢復する。

「紺靑」は「こんじやう(こんじょう)」で、ここはプルシアン・ブルーの色合いと採ってよかろう。

「涙のしみの目立つ小さい紙のきれはし」角川文庫中村真一郎編「立原道造詩集」の編者注に、道造の『愛した少女鮎からの手紙を旅』(昭和一二(一八三七)年八月の関西旅行)『の途次、潮の岬の海上で破り捨てている』とある。「鮎」とは関鮎子のことで、道造二十、信濃追分で出逢った娘で、恐らくは彼が最も愛した女性であったと思われる。個人ブログ「Poema 詩をよむ」の立原道造「はじめてのものに」④によれば、当時十八歳(推定)、追分の本陣「永楽屋」の孫娘で、千葉で弁護士を開業していた関一二の娘であったとある。

「涸いた」は「かわいた」。]

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