日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十二章 京都及びその附近に於る陶器さがし 風景スケッチ(その2)
図―673
紀伊のある所で、私は稲田の草を取るのに使用する、奇妙な道具を見た。それは底の無い箱で、その内側には二本の棒が横に渡してあり、それに木の留釘が打ってある。この箱から長い柄が出ていて、それで稲の列の間を押して行くのである。図673を見れば、その形がたいていは判るであろう。これは我我がそれを見た村の住人が発明したものである。
[やぶちゃん注:これは「手押し除草機」と呼ばれるもので、現在でも改良されたものが実際に使われている(グーグル画像検索「手押し除草機」を参照されたい)。幾つかのネット記載や古そうな画像を参考にする限りでは、明治以降に創出された農工具のように思われ、東北地方への伝搬は、写真では昭和も戦後のことのように記されてあるので、南の稲作農家に於いて創始されたものというのは正しいように思われる。]
和泉と紀伊の国境をなす山脈を越える峠は、道路が完全で、見事な石の橋もあり、実に愉快だった。
図―674
人はいたる所で、山の洪水から道路を保護するために、念入りの努力が払われていることに気がつく。渓流の河床でさえも、激流が何等の害をしないように、道路同様に鋪石してある。図674を見る人は、朧気ながら、橋の迫持受(せりもちうけ)と河床とを保護する方法を知るであろう。水があまりに早く流れることを防ぐために、橋の下方には大きな堰が出来ている。ここに出した橋は、和泉を去って紀伊に入った所の峠にあるものの一つである。
[やぶちゃん注:「迫持受(せりもちうけ)」橋のアーチ状になった両岸に接合する両端部分を受ける箇所を指す。ここは図のその部分の石組を指していよう。]
私は和泉で、屋根が奇妙な方法に処理してあるのを見た。先ず柿板(こけらいた)を薄く並べた上に、泥を薄く敷きつめ、その上から大きな木の槌で綿の種子を一層叩き込む。種子は油をしぼり取った残物であるが、油気があるので、泥が固くなり、太陽で焼かれる迄、防水上塗になるのである。
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