小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第八章 杵築――日本最古の社殿 (八)
八
階段を昇ると廣い廊下があつて、全部廊下へ向つて開ける、廣くて高い室へと、神官は先導して行く。私は隨いて行き乍ら、この室には兩側に凹間があつて、そこに三つの大きな宮のあることに、辛つと目についた。二つの宮には天井から疊まで白幕が蔽ふてある。この幕には金色の花を中心にした、直径四寸位の黑い平圓盤の形が上下に列つた裝飾を施してある。しかし奧の隅の第三の宮からは幕が引除けてある。これは金巾の幕で、これを掛けたのが主要の宮、即ち大國主神の宮だ。宮の中は唯だ普通の神道の諸象徴と至聖所の外面が見えるのみで、至聖所の中は誰人も拜觀することを得ない。長い低い檯が一端を廊下の方へ、他端を凹間の方へ向けてこの宮の前に据ゑられ、奇異な寶物が載せてある。この檯の廊下に近い方の端に、鬚の生えた莊嚴な人物が、異樣に髮を結ひ、全身眞白な裝束をして、最高の神官らしい姿勢で、疊を敷いた床の上に坐つてゐた。案内者の神官は、私にその人の前に坐つて禮をするやう指圖した。これが杵築の宮司、千家尊紀で、この人に對しては、私宅に於てさへ誰も膝を折つてでなくば、言葉を發しないし、太陽の女神の後裔であつて、今猶人間以上に考へられて衆庶の尊敬を受けつゝある人である。私が日本の敬禮の習慣に隨つて平伏すると、初對面の者をも直ぐに寛ろがせるやうな、慇懃至らざるなき挨拶を受けた。私の案内を務めた神官は、今や宮司の左側の床の上に坐つた。同時にたゞこの聖殿の入口まで隨いて來た他の神官達は、外の廊下で、それぞれ座に着いた。
[やぶちゃん注:「辛つと目についた」前にも注したが、「辛つと」は「やつと(やっと)」と訓じていよう。辛うじて、の意である。しかし「やっと目についた」という日本語はそれでも「辛つと」→「目につく」という呼応が、どうにも気持ちが悪い。「目につく」は目にはっきりと付くのであって、辞書的にも「目立つ」「目に焼きついて残る」の意を上げるものが多い。「見回してみても目につく程度だ」という謂い方はあるが、これにしても、明確に視界に入ってくるのはそれぐらいなものだ、の謂いであって、これははっきり識別認識出来ることを言う。されば「やっと目につく」というのは「程度だった」を附してやっと使用に耐えるものであり、しかもここではハーンはその実態をやっとこさっとこ、今頃になって気づいた、見て認識し得た、と言っているのだから、やはり落合氏の訳は私には承服出来ない。平井呈一氏はここを『わたくしは辛うじて、その部屋の両側の入れこみになっているところに、大きなお宮が三つあるのを見てとった。』(下線やぶちゃん)と訳しておられる。これこそ正しい日本語の呼応であると私は思う。
「四寸」約十二センチメートル。
「列つた」「ならつた(ならった)」と訓じていよう。列(なら)んだの意。
「金巾」これだと「かなきん」或いは「かねきん」で綿布の一つで固く縒(よ)った糸で目を細かく織った薄地の白い広幅の綿布を指すがどうもおかしい。原文を見ると“gold brocade”とあって、これは金襴(きんらん)のことである。平井氏をそう訳しておられる。失礼乍ら、落合氏は「金帛」のつもりでこの熟語を用い、それがそのまま金襴の意味と同義だと思い込んでおられたのではあるまいか。大方の御批判を俟つ。
「長い低い檯」「だい」或いは「つくえ」と読んでいよう。原文は“a long low bench”で、落合氏はそのまま訳すには不敬過ぎると思ったのであろう。なお、“bench”には、そもそもが長椅子以外に、ベンチ状をした長い台・作業台・細工台の意はある。落合氏は今はもうまず使わられることのない長い卓、机の意のこれを用いること神に供物を捧げるための特別な設えという雰囲気を訳文に添えようとなさったのであろう。ここは確かに平井氏のように『低い台』では、無神論者で神社で手を合わせたことの数少ない私でも、何となくぶっきら棒で不敬な印象を受ける。
「凹間」これで「ひくま」と読む。周りからへこんだ場所や部屋の意。因みに、出っ張った所という対義語は「凸間」で「でくま」と読む。「凸間凹間」で「でくまひくま」と読み、所謂、「でこぼこ」のことを言う四字熟語でもある。
「千家尊紀」既出既注。]
Sec.
8
The
priest leads the way into a vast and lofty apartment opening for its entire
length upon the broad gallery to which the stairway ascends. I have barely time
to notice, while following him, that the chamber contains three immense
shrines, forming alcoves on two sides of it. Of these, two are veiled by white
curtains reaching from ceiling to matting -curtains decorated with
perpendicular rows of black disks about four inches in diameter, each disk
having in its centre a golden blossom. But from before the third shrine, in the
farther angle of the chamber, the curtains have been withdrawn; and these are
of gold brocade, and the shrine before which they hang is the chief shrine,
that of Oho-kuni- nushi-no-Kami. Within are visible only some of the ordinary
emblems of Shinto, and the exterior of that Holy of Holies into which none may
look. Before it a long low bench, covered with strange objects, has been
placed, with one end toward the gallery and one toward the alcove. At the end
of this bench, near the gallery, I see a majestic bearded figure, strangely
coifed and robed all in white, seated upon the matted floor in hierophantic
attitude. Our priestly guide motions us to take our places in front of him and
to bow down before him. For this is Senke Takanori, the Guji of Kitzuki, to
whom even in his own dwelling none may speak save on bended knee, descendant of
the Goddess of the Sun, and still by multitudes revered in thought as a being
superhuman. Prostrating myself before him, according to the customary code of
Japanese politeness, I am saluted in return with that exquisite courtesy which
puts a stranger immediately at ease. The priest who acted as our guide now sits
down on the floor at the Guji's left hand; while the other priests, who
followed us to the entrance of the sanctuary only, take their places upon the
gallery without.
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