夏花の歌 立原道造
夏花の歌
その一
空と牧場のあひだから ひとつの雲が湧きおこり
小川の水面に かげをおとす
水の底には ひとつの魚が
身をくねらせて 日に光る
それはあの日の夏のこと!
いつの日にか もう返らない夢のひととき
默つた僕らは 足に藻草をからませて
ふたつの影を ずるさうにながれにまかせ搖らせてゐた
‥‥小川の水のせせらぎは
けふもあの日とかはらずに
風にさやさや ささやいてゐる
あの日のをとめのほほゑみは
なぜだか 僕は知らないけれど
しかし かたくつめたく 横顏ばかり
その二
あの日たち 羊飼ひと娘のやうに
たのしくばつかり過ぎつつあつた
何のかはつた出來事もなしに
何のあたらしい悔いもなしに
あの日たち とけない謎のやうな
ほほゑみが かはらぬ愛を誓つてゐた
薊の花やゆふすげにいりまじり
稚い いい夢がゐた――いつのことか!
どうぞ もう一度 歸つておくれ
靑い雲のながれてゐた日
あの晝の星のちらついてゐた日‥‥
あの日たち あの日たち 歸つておくれ
僕は 大きくなつた 溢れるまでに
僕は かなしみ顫へてゐる
[やぶちゃん注:底本は国立国会図書館近代デジタルライブラリーの昭和二二(一九四七)年角川書店刊立原道造「詩集 優しき歌」の画像を視認した。生前刊行の処女詩集「萱草に寄す」の「SONATINE No.1」と「SONATINE No.2」の間に挟まる『小間奏曲風』(角川文庫版「立原道造詩集」の編者中村真一郎の評釈)の二部から成る詩篇である。中公文庫「日本の詩歌」第二十四巻の脚注では、この詩篇は『叙情挿曲(インテルメツッオ)としてはさまれ、明るいクラブサンとフリュートを響かせている』とある。同書よれば、この二部はもともとは別々に発表されているとあり、
「その一」は昭和一一(一九三六)年七月号『四季』初出/詩題「ながれ」/「薊(あざみ)の花のすきだつたひとに」という添え書き
を持ち、
「その二」は、それよりも前の、同年二月号『コギト』が初出/詩題は本篇と同じ「夏花の歌」
であるとし、さらに、詩中にも出る通り、
《引用開始》
「夏花」とは、薊の花や夕すげの花のことであろう。作者が「僕の村ぐらしの日々はその花の影響下にあるのを好んだ」(「風信子」)という花は、詩集名の「萱草」である。作者の自解によると、「萱草はゆうすげである。それは高原の叢で夏のころ淡く黄(きいろ)く咲く花だった。そしてそれは夕ぐれの薄明りを愛する花だった」という。
《引用終了》
とあり、私が今更ながら「立原道造の詩集「萱草に寄す」の「萱草(わすれぐさ)」とは何か?」で驚いてぐちゃぐちゃお喋りしたところの、彼にとっての「わすれぐさ」が、確信犯としての単子葉植物綱キジカクシ目ススキノキ科キスゲ亜科ワスレグサ属ワスレグサ属ユウスゲ Hemerocallis citrina var. vespertina であったことが既に明記されているのであった。また、同書の「萱草に寄す」の脚注の同詩集解説冒頭部分には、同詩集は『彼の愛する軽井沢高原に咲く夕すげの花に似た黄橙色の表紙で』あるとも記されてある。先の私の子供染みた独り仰天の物謂いは、どうか、笑ってお許しあれ。なお、「風信子」は「ヒアシンス」と読むと思われる。彼が自身の詩集「萱草に寄す」について解説した雑誌『四季』に載せた文章の表題である(私は未読)。]
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