小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十一章 杵築のことゞも (一)
第十一章 杵築のことゞも
一 一八九一年七月二十日 杵築にて
晃は最早私と共には居ない。彼は佛敎雜誌を發行するため、神聖な佛敎の都なる京都ヘ行つた。それで私は迷ひ子になつたやうな氣がする――彼は神道のことを何も知らないから、出雲ではあまり役に立つまいと、彼が再三斷言したけれども。
が、私が今夏休みの初めの期間を送つてゐる杵築では、當分澤山の伴侶を得られさうだ。この小さな町には、私を知つてゐる學生や敎師が多いのだから。杵築は山陰に於て最も神聖な場所であるのみならず、また最も繁盛なる海水浴場だ。稻佐の濱は日本中で最もよい濱の一つだ。海濱の旅館は廣く、風通しがよくて、心地よい。浴室には游泳後に鹽分を洗ひ落すため温浴と新鮮の冷水浴があつて、全く完備したものだ。それから、晴天の日、夏のひろびろとした海原を見渡す眺めは快絕だ。灣の右方を塞いで、町を蔽ふた山から、松樹の生えた、大きな、崎嶇たる岬――杵築岬――が延び出でてゐる。左方には低い長い山嶺が、濱傳ひの彼方の眼界に鋸齒狀をなして、その背後には靄然たる一巨形が蒼空へ聳えてゐる――三瓶山の截頭圓錐形の影法師。前面には日本海が天に建つてゐる。して、そこには晴夜、火の水平線が現れる――三四哩の沖に碇を卸した無數の漁船の松明――肉眼ではその火光が一帶の連續せる炎と思はる〻ほど夥しい。
宮司は私と私の一友を、天神祭りの晩に、その邸で催される豐年踊の見物に招いた。この踊は出雲特有である。また宮司の命によつてのみ行はれるから、それをこ〻で見るのは稀有の好機會だ。
[やぶちゃん注:実は最初のクレジットは底本では「一八九二年七月二十日 杵築にて」となっているが、以下の原文を見て頂ければ分かる通り、「一八九一年」の誤訳であるので、例外的に訂した。来日(明治二三(一八九〇)年四月四日)から一年三ヶ月後の、
明治二四(一八九一)年七月二十日
に始まる杵築での全一章であることが判る(本作の中で明白なクレジットを持つのはここが最初である)。ところが、である。「八雲会」の「松江時代の略年譜」を見ると、
明治二四(一八九一)年
の条には、
七月二十六日 『西田千太郎と杵築に出発。稲佐浜の養神館に投宿する。』
八月 四日 『出雲大社で豊年踊りを見学する。』
とあって、このクレジット「七月二十日」とは全く合わないのである。それどころか、ここでハーンは「私が今夏休みの初めの期間を送つてゐる杵築」と述べ、「この小さな町」と言っていることからは――この七月二十日には私は杵築にいた――と述べていることになるのである。しかし、この「八雲会」年譜を見ると、事実は、どうも、そうではないらしい。書き間違いや記憶違いとはおよそ思われない。とすれば、これは、何のためかは不明であるが、このクレジットには文学的な虚構が施されている可能性が極めて高いということになるのである。この謎について、識者の御教授を乞うものである。
そうして、そこにはもう、あの青年、真鍋晃は、いないのである。彼と別れた理由も述べられてある。以前にも注したが、ウィキの一九八四年放映の山田太一脚本になるNHKドラマ「日本の面影」の記載には、真鍋晃に就いては、『「西欧文化を学びたい」という理由でハーンの通約兼世話係となり、松江まで付き添うが、日本の伝統文化に関心を寄せるハーンと意識がすれ違い、半年で横浜に帰った。のちに海軍中尉となり、帝大講師となっていたハーンと東京で偶然再会する』という設定(あくまでドラマ上の設定であって、事実かどうかは不明である。実は彼に就いてはどうもあまり良く判っていないというのが本当らしい)となっている。なんとなく、この『日本の伝統文化に関心を寄せるハーンと意識がすれ違』ったというのは、ここまでの、「知られぬ日本の面影」での晃の発言から、かなり、腑に落ちるような気が個人的にはしていることを告白しておく。
「崎嶇」「きく」と読み、山道の険しいさまをいう。
「三四哩」凡そ四・九から六・四キロメートル。
「私の一友」既出既注の西田千太郎である。以上の通り、「八雲会」の「松江時代の略年譜」に明確に記されてある。]
Chapter Eleven
Notes on Kitzuki
Ⅰ
KITZUKI, July 20, 1891.
AKIRA is no longer with me. He has gone to Kyoto, the holy Buddhist city, to edit a Buddhist magazine; and I already feel without him like one who has lost his way—despite his reiterated assurances that he could never be of much service to me in Izumo, as he knew nothing about Shinto.
But for the time being I am to have plenty of company at Kitzuki, where I am spending the first part of the summer holidays; for the little city is full of students and teachers who know me. Kitzuki is not only the holiest place in the San-indo; it is also the most fashionable bathing resort. The beach at Inasa bay is one of the best in all Japan; the beach hotels are spacious, airy, and comfortable; and the bathing houses, with hot and cold freshwater baths in which to wash off the brine after a swim, are simply faultless. And in fair weather, the scenery is delightful, as you look out over the summer space of sea. Closing the bay on the right, there reaches out from the hills overshadowing the town a mighty, rugged, pine-clad spur—the Kitzuki promontory. On the left a low long range of mountains serrate the horizon beyond the shore-sweep, with one huge vapoury shape towering blue into the blue sky behind them—the truncated silhouette of Sanbeyama. Before you the Japanese Sea touches the sky. And there, upon still clear nights, there appears a horizon of fire—the torches of hosts of fishing-boats riding at anchor three and four miles away—so numerous that their lights seem to the naked eye a band of unbroken flame.
The Guji has invited me and one of my friends to see a great harvest dance at his residence on the evening of the festival of Tenjin. This dance—Honen-odori—is peculiar to Izumo; and the opportunity to witness it in this city is a rare one, as it is going to be performed only by order of the Guji.
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