日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十三章 習慣と迷信(1)
第二十三章 習慣と迷信
富岡の話によると、手紙を書く時には句読点を使用せぬそうである。手紙は漢字で書くので、句読点をつけることは、受信人が漢文を正当に読めぬと做すことになり、これは失礼である。印刷では句の終りにまるをつけ、あるいは項の終りを示すために頭文字のLに似た形をつける。まるは支那の古典に用いられ、Lは他の主文に使用される。
[やぶちゃん注:「富岡」既注の宮岡恒次郎であろう。
「Lに似た形」鍵括弧の閉じる《 」 》記号の方である。ネットを管見するに、鍵括弧を西洋言語記号であるシングル及びダブルのコーテーション・マーク(「‘ ‘」と「”“」 quotation marks)を日本語に借入したものではないか、などと書いている御仁がいるが、会話文や心内語・引用の用法はそれに準じたものではあろうが、私はこの《 」 》は近世以前の記載に幾らも見ることが出来ることから、本邦独自のものと考える。一節に庵点(「〽」)の変形したものともいう。いずれにせよ、濫觴は西洋由来ではないと断ずるものである。]
図―691
以前は、手紙を書くのに、発信人の名前を受信人の名前の真下に書いた。現在では、発信人の名前を手紙の別の側に書く。旧式な人だと、発信人の名前が書いてない手紙は受取らぬこともある。過去に於ては、婦人に向けた手紙は、単にその家の長に宛てたものである。更に家長に宛てた手紙は、その外側に「何卒御自身でおあけ下さい」即ち「親展」としてない場合には、彼の妻、息子、親友等が開いて読んでも差支えないのであった。封筒が使用される迄は、一枚の紙を面白い方法で折って包み紙とした。図691に於る輪郭図一から十五迄は、この畳み方の順序を示している。最初に紙を一、二、三の如く折り、それを七、八の如くひろげ、手紙を入れてから、すでに出来た折目をしおりに、今度は別の折りようをしてたたみ込む。
[やぶちゃん注:こんな封書を一生に一度ぐらい、送ってみたいものではないか。]
大和の国で私は、張出縁や門口の屋根の縁辺を構成する装飾瓦の、非常に効果的な並べ方を見た。これは我国の建築家にも参考になると思う。大和では、私が旅行した他の国々のどこに於るよりもより多く、瓦を装飾の目的に使用する。装飾的な平瓦は、あまり一般に使用されぬらしい。少数を庭園の小径で見受ける。六兵衛の住居の庭にあるのを私は気がついた。
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