生物學講話 丘淺次郎 第十五章 胎兒の發育(1) プロローグ / 一 全形
第十五章 胎兒の發育
前章に於ては人間の胎兒の出來始めだけに就いて述べたが、この章に於ては更に胎兒全形の發育及び二三の體部の漸々出來上がる狀態を簡單に説いて見ようと思ふ。人間は受胎してから生まれるまでに、およそ四十週即ち滿九箇月と十日ばかりかかるが、その中最初の一週間か十日間は卵が輸卵管を通過しながら分裂するだけでまだ體の形を成すに至らず、また三箇月の終になると、已に小さいながら體の形だけは出來上がり、僅か一糎にも足らぬ身體にしては頭が割合に大きいが、尾も全くなくなり、手足の形も整ひ、指も五本づつ揃うて薄い爪まであるやうになる。されば體形が著しく變化するのは、第二週から第三箇月までの間であつて、それより後はたゞ各部の發達が進み全身が大きくなるだけである。
[やぶちゃん注:「三箇月の終になると、已に小さいながら體の形だけは出來上がり、僅か一糎にも足らぬ身體にしては頭が割合に大きい」学術文庫版では大きさを『三寸(約一〇センチ)』とする。これは底本の誤りとしか思われず、妊娠三ヶ月の胎児の大きさは五~八センチメートル程で、学術文庫版の方が正しい。一センチメートルに満たないというのは妊娠四週の半ばぐらいであろう。]
一 全 形
[二十七日頃の胎兒]
《やぶちゃん注―画像①底本原寸一致版》
[胎兒の發育
受精後第二週より第二箇月の終に至るまでの身體外形の變化を示す すべて實物の二倍大]
[やぶちゃん注:ここでは都合以下の四種の当該の同一画像を配した。
まず最初の①は本文及びキャプションと倍率を合わせるために原本の大きさから割り出した原寸大画像で示したものである。これはサイズ調節の関係上、国立国会図書館蔵の原本(同図書館「近代デジタルライブラリー」内)の画像からトリミングし、やや明るく補正してある。
次に示した②は寸法が小さいために細部が見えない①の補助として、同じく国立国会図書館蔵の原本(同図書館「近代デジタルライブラリー」内画像を最大の百%でダウンロード)したものを補正せずに示してある。
続く③は講談社学術文庫版の同画像である。白く飛びが強いが、上段の第三週の胎児の形状は、黒く潰れてしまった底本の①②よりも遙かに判別可能である。
しかし③はOCRで撮ったモノクローム版で画像密度が粗いことから、同学術文庫版をカラー・スキャンしたものも④として併載した。この④が最も上段の第三週の胎児の形状をよく視認出来る画像ではあると思う。]
まづ胎兒全身の形が如何に變つて行くかを見るに、懷胎第一箇月の中程には前に圖に示したとおり、殆ど「みみず」の短いものの如き形で、體の長さ僅かに三粍にも達せぬが、二十日目ごろになると、手足の出來始めが疣の如き形現れ、體の長さも一・二糎以上になる。これから後の體形の變化は、一々文句で書くよりは圖に依る方が説明にも了解にも便利であらうと思ふから、ここに第二週頃から第二箇月の終までの胎兒の發生を示した圖を掲げて、讀者と共にこれを見ることとする。まづ一番上の横列に示してあるのは、いづれも第三週の胎兒で、左の端のがおよそ十三四日位、右の端のが二十日位のものであるが、かやうな初期の胎兒はまだ頗る小さいのみならず、我々の常に見慣れて居る成人の身體に比して形が非常に違ふから、胎兒の何の部分が成人の何の部分になるか簡單に説明するい」とは容易でない。この列の胎兒には皆腹面に丸い袋が繫がって居るやうに畫いてあるが、これは「黄身袋」と名づける薄い膜の囊で、後に子供の身體となるべきものではないから、他の列の圖と比較する場合には、これを除いて考へるが宜しい。圖は悉く實物の二倍大に畫いてあるから、二分の一に縮めれば實物の大きさが知れる。次に第二列に畫いてあるのは、皆一箇月の下旬の胎兒で、その中、左の端のが二十三四日のもの、中央のは二十七八日のもの、右の端のがおおよそ三十日位のものである。即ち上二列を合せて、懷姙第一箇月の下半における胎兒の發育を示すことに當る。この列の胎兒はいづれも背が丸く屈し、特に頸筋の邊で急に曲つて居るから、顏は直に腹に面して居る。また體の後端には明な尾があるが、これは前に向うて曲つて居るから殆ど鼻の先に觸れさうである。右の端の圖で見ると、一箇月の終頃の胎兒では頭と胴とは殆ど同じ位の大きさで體の後端は背骨の續きを含んだ短い尾で終り、胴の上端と下端に近い處から、腕と足とが出來掛つて居るが、まだ開かぬ松蕈の如き形で手足らしいところは少しも見えぬ。いづれの圖でも胎兒の腹からは太い紐が出ているのを、根本に近く切り捨てた如くに畫いてあるが、この紐は後々まで殘る臍の緒の始まりである。
[やぶちゃん注:「黄身袋」学術文庫版では「きみぶくろ」と訓じている。学術的には現在、「卵黄嚢(らんおうのう)」と呼称する。鶏卵の黄身に相当する胎盤が確立するまでの繋ぎとする栄養供給器官である。
「胎兒の腹からは太い紐が出ている」「臍の緒の始まり」臍帯である。]
第三列より第五列までに竝べてあるのは、第二箇月の胎兒で、第三列の左の端のはその始、第五列の右の端のはその終わりに當るものである。これらを順々に比べて見るとわかる通り、第二箇月の間には顏も段々人間らしくなり、手足も次第に形が具はり、尾も頗る短くなつて、その月の終には、最早誰が見ても人間の胎兒と思はれる程の形となる。しかしまだ頭が非常に大きく、足は手の割には小さい。また男になるのか女になるのか少しもわからぬ。なほ第三週・第四過頃の胎兒には、頸の兩側に魚類に見ると同じやうな鰓孔が四つづつもあるが、第二箇月の間にこれらの鰓孔は次第に見えなくなつて、たゞその中の第一番のものだけが、耳の孔となつて後まで殘る。これによつて見ると、陸上動物の耳の孔は、魚類の鰓孔の一つに相當することが明に知れる。
胎兒の全形は三箇月の末にはほゞ出來上がるから、三箇月以後はたゞ各部が大きくなるだけで、別に著しく變形する處はない。二箇月ではまだ男女の別が判然せぬが、三箇月の末には最早外陰部の形狀が明らかになつて、男か女かは一目して識別せられる。更に五箇月頃からは全身に細い毛が密生し、六箇月になると胎兒が動き始め、七箇月には餘程發育が進んで身長も三〇糎以上となり、産み出されても生存し得る位になる。かくて月滿ちれば、大きな赤子となつて生まれ出るのである。以上述べた通り人間の胎兒は、決して初めから成人を縮小した如き形に出來るのではなく、最初は全く形の違うたものが出來、それより漸々形狀が變化し、新な器官が生じなどして、終に生まれるときの赤子の形が出來る。例へば體の後端に有る尾の如きも、初め明にあつたものが後に消え失せる。即ち二十日頃までは手も足もなく、體は後程細くなり長い尾で終つて恰も魚類の如くであつたのが、その後手足が生じ、手足が延びても暫時は尾が明に見えて「ゐもり」・「さんせううを」または犬・猫の胎兒と同じ形を呈して居る。體が更に大きくなり、手足がなほ延びると共に、尾は段々短くなり、三箇月目に至ると、尾は全く隱れて見えなくなる。しかし骨だけは成人になつても尾骶骨として殘り、人によつてはこれを左右に振り動かすための筋肉までも存して居る。稀にはこゝに圖を示した如くに、生まれた後にも尾が殘つて居ることがある。頭と胴との大きさの割合、腕と脚との長さの割合なども發生の進むに從ひ漸々變つて行くが、生まれたばかりの赤子はなほその續きとして胴に比べると頭が大きく、前肢に比べると後肢が短い。
[尾の殘つてゐる子供]
[やぶちゃん注:これは学術文庫版が白く飛んでリアリズムに乏しいため、国立国会図書館蔵の原本からトリミングし、補正を加えたものである。]
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